わたしが頑張ればいい。
わたしが頑張るしかない。
そう思って50年生きてきました。
いつも笑顔で快活で。
家族や友だちに楽しい話題を提供して。
欲しいものは自分が働いて買う。
やりたいことは諦めないし、求められたことは達成する。
そうやって、ずっとずっと走り続けてきました。
でも、もう疲れてしまった。
……「疲れた」っていう言葉、やっと吐き出せました。
使わないように意識していたんです。
疲れたって言ってしまったら終わりだと思って。
わたしは頑張っている、そう言い換えて……すり替えて、って言った方が正しいかもしれない。
自分をごまかして、やり過ごしてきました。
いろんなひとに救われ、助けられ、支えてきてもらった感謝はあります。
だからこそ、「もう無理」って言ってはいけないと思っていました。
……だけど、もう無理です。
もう、どんなにしてもお金を工面できない。
でも、夫には言えない。
家族親族にも言えない。
生活をわたしが働いてまわすしかないと思っています。
わたしの家は夫婦別会計、夫から生活費を渡されたことはありません。
毎日働いて働いて、家事もわたしひとりがこなして、心も体もクタクタで。
本音は言えない。
しんどいって言えない。
ニコニコしていなきゃ、って。
こんなふうになったのも、自業自得かな。
誰が悪いわけでもなく、すべてを笑顔の下に隠してきた自分のせいなんだろう。
全部、終わらせたい。
幕を引きたいです。
感想1
これまで、本当にお疲れ様でした。毎日毎日目の前にある義務や責任に真摯に向き合い、心を張りつめて、気力も体力も限界になってしまったのでしょうか。周囲からは頼もしく、しっかり者として理解されているのだろうと想像し、笑顔や明るいふるまいも想像し、そして「笑顔の下に隠してきた」孤独、苦しさを想像し、ずっとギリギリのところを保ってきたのだろうと思い、まずは心からの労いを伝えたいと思いました。そして、「疲れた」「もう無理」をようやく言うことができたことにも拍手を送りたいです。我慢することも苦しみや犠牲が伴いますが、本心を表現することにも覚悟や痛みが伴うと私は思います。
最後に「全部、終わらせたい」「幕を引きたいです」とありましたが、家庭というコミュニティの役割に関してその希望には全面的に賛同します。母として、妻として、家族のために我慢し、努力を続けてきたのだろうと推測していますが、あなたはあなたの人生を生きてもいいと思いますし、家庭というコミュニティから離脱する権利はあります。また、離脱しなくても、「無理なので頑張るのはやめます」ということもできますし、ためていた気持ちを爆発させてキレてもいいのです。
でも、きっとそれはあなたにとって簡単なことではないと思います。それよりも、我慢を続けることの方が楽だと思うかもしれません。それも、大切な気持ちなのでそう思うのもいいと思います。
私は経験談を読んで、心の中で「大丈夫ですよ」と声をかけていました。これだけのことを分かっていて、実際にこなす力があり、状況の難しさも理解していながら、自分の本心に気づき、そして「やっと吐き出せました」といって「疲れた」「もう無理」と言えたからです。自分の本心に気付ければ大丈夫なのだと私は思います。
あなたは「言ってしまったら終わり」だと思っていたと書いていました。私は「言ってしまったから、始まり」だと思っています。自分を取り戻すためのチャンスだと私は感じました。生活を変えることももちろんありですし、たとえ現状が変わらなかったとしても、気持ちを表明したことであなたは変わっているし、変わることができると私は感じました。
死にトリでよければ、いつでも本音を聞きます。これからも吐き出しに来てください。