子供に知的障害があることがわかり、さまざまな支援の手続きに走り抜けてきました。振り返れば、親の私自身がずっと「普通」に憧れ「普通」を目指した人生でした。子供のことがあり、また「普通」から外れていく落胆や悲しみと同時に「もういいかな」とも感じました。何を目指しているのか、分からなくなりました。
もう何もない国か世界に行きたい。
子供を、ただ抱きしめて生きていきたい。
ありのままでいたい。
永遠に終わらない「普通ごっこ」みたいで、もう疲れました。
次は何をすればいいですか。
誰を満足させれば良いのですか。
誰か教えてください。
「普通のふり」をすることに疲れました。
幸い子供は、「普通のふり」をすることが難しい子です。
私に歩めなかった人生を、歩めることを願います。どうか、自分らしい花を咲かせてほしいです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
咲く花
感想2
私はちょっと「普通」という言葉を使うことに抵抗感があります。「普通」という表現が存在していることで、苦しさを感じる人が数多くいるだろうし、かくいう私も「普通」に囚われ、苦しんでいる人間だからです。
あまりにも「普通」という言葉を定義するのは難しいと感じているので、ここでは特に定義せずぼんやりとした意味合いで使いますね。「普通」に憧れること、目指すことは自然なことだと私は思います。実際「普通」じゃないとみなされると、人から冷たい目で見られるかもしれないし、悪意を向けられるかもしれません。悲しいですが、「普通」じゃないことに対して人は敏感だと思うし、まだまだ寛容的な世の中ではないと私は思います。そんな中で、あなたはお子さんが冷たい目で見られたり、悪意を向けられることを防ごうと、「普通」を目指していたのではないですか?私はそのように想像をしました。(違っていたらごめんなさい。)もしそうだとしたら、それはお子さんを非常に大切に想われていたからこその行動だと思いました。これまで走り抜けてきたあなたを、私は労いたいです。
あなたも、あなたのお子さんも、私も、他のすべての人も、自分らしい花を咲かせられたらいいなと思います。経験談の投稿、ありがとうございました。
お返事1
ありがとうございました。
とても、救われました。
子供は子供自身の花を、私は私自身の花を、ただそれぞれに力いっぱい咲かせようと思いました。
その咲き方を、見た人がどう感じるかは、その人の問題で、私たちには関係がないのだと、思いました。
与えられた種を大切に、幸せに咲けるよう、守りたいと思いました。
心からのあたたかい言葉を頂き、本当にありがとうございました。
感想1
私にも重度の障がいをもつ子どもがいます。だから、短い文章でしたが、一文一文の中から具体的に走り抜けた手続きの様子や内容がやたらリアルに想像できて、吸い込まれるように読み進めました。そして、『幸いに子供は、「普通のふり」をすることが難しい子です。』の一文で何か救われた気持ちになりました。自分も子どもに障がいがあることでそれまで普通だと思っていたことが普通ではなかったことに気づいたり、自分の価値観を突き付けられて、自分と向き合わざるを得なかったことを思い起こしています。
あなたは子どもに自分の歩めなかった人生を歩んでほしい、自分らしい花を咲かせてほしいと書いていますが、それを書いているあなたもすでにそれまでに歩めなかった人生を歩み始めているだろうし、自分らしい花をこれからでも咲かせられるのではないかと思いました。
周囲からはいろいろな人がいろいろなことを求めてくるかもしれません。何をすればいいかは、あなた自身がわかっていると思いますし、誰を満足させればよいかもあなた自身に問えば教えてくれるように思います。
今回の投稿は、永遠に終わらない「普通ごっこ」を終わらせるための第一歩になると思いました。一人ひとりの力は小さいですが、その一人ひとりの一歩からしか始まらないと私は思っています。お互いに、それぞれ自分らしく歩んでいきましょう。