私は2人姉弟の姉のほうです。小さい頃から男の幼馴染や友達と外で虫取りや川遊びをするのが好きでよく遊んでいました。
家族は両親と弟、祖父母です。
男勝りに育ってしまった私によく家族は「みっともない。」と言っていました。
おそらく女の子が木登りしたり、男の子に混じって遊んでいるのが気に食わなかったようです。とくに祖母と父親は良家のお嬢様とその息子だったので厳しく、門限も高校を卒業するまで16時半でした。
友達と満足に遊べず、学校と塾と家を往復するだけの毎日です。
外で遊べば怒られ、家に引きこもって本ばかり読んでいれば心配され、何をしても文句を言われました。
父親は勉強に熱が入りやすく、数学が苦手だった私をよく怒鳴っていました。休みの日に父が家にいると朝から晩まで自室に閉じ込められ、取調室で尋問されるような形で勉強させられてました。少しでも間違えたり、気に入らない字を書くと怒鳴られるか机を叩かれました。
もうトラウマです。高校生になる頃には父親とはまともに話せなくなり、目を合わせて挨拶するだけでも身体が震えました。
大学一年生のころ、親に決められた大学に通うことになり、通帳もカードも管理されていた私は逆らうことも出来ずに鬱々としながら通学していました。その中でストレスが限界まで来ていたのか授業中に倒れました。
その後、夏休み中に体調が悪化し、夏休みが終わる頃には通学のための電車に乗ることも出来なくなりました。結局半年休学して留年することになったのです。
休学して治療している間も家族から「仮病」「そんなストレスでおかしくなるなんてあるわけない。」「学校へ行きたくないからその言い訳に使ってるだけ。」と言われました。
その後、医者から実家から通学するのに耐えられないと判断され、一人暮らしを始めました。
そこからは4年ほど平和に過ごしていたのですが、大学を卒業する際に体調不良で休学していたことが原因で就職がうまく決まらず、そのまま一人暮らしを続けながら非正規で仕事をしていました。
土地柄なのかお客さんの気質が荒い地域で、「バカやろう」「使えないだらしない女」などと罵られながら何とか働いていました。
ところが一昨年、首にヘルニアが見つかり、重たいものを持たないという条件付きで仕事をすることになりました。周りの人たちがカバーしてくれたので助かりました。
そこから昨年9月に部署の統合があり、隣り合っていた部署と一緒になり、職場の環境が変わりました。周りの人たちもカバーしきれないほどの重たい荷物が頻繁に来るようになり、ヘルニアを悪化され、統合してから1か月もしないうちに休職し、療養をすることになりました。
実家で療養することになり、帰省していましたが、首と肩以外は元気なので買い物や散歩をすることがありましたが、家族はそれをよく思っていなかったようでサボっていると言われました。
その期間を耐えて何とか復帰すると、今度はお局さんの嫌がらせが待っていました。コルセットをつけ、周囲の人の助けを借りていたのが気に食わなかったのか、お客さんや他の人たちの前で「私たちばかりに負担が来てる。」」あんな使えない役に立たない子じゃなくて、ちゃんと使える子をよこして欲しい。」と言われました。挨拶をしても無視され、お礼を言えば舌打ちされ、見かねた上司が席を離してくれましたがそれ以降空気のような扱いを受けてました。
仲良くしてくれていた人もお局さんに何か言われたのか話すこともなくなり、孤立していきました。
それに耐えられなくなり、仕事を辞めたのが今月のことです。」ヘルニアを治して元気になったらまた戻っておいで」と言ってくれる人もいましたが、お局さんがいると思うと素直に頷くことは出来ませんでした。一人暮らしを続けながら治療するなら近くで仕事を見つけるのが1番ですが、クレーマーに顔が割れているので怖くて諦めました。
実家に帰り、仕事を見つけてまたお金が貯まったら戻ってくる計画でいましたが、それもうまくいきません。
父親が仕事を見つけるまで帰ってくるなと言ったからです。ヘルニアがあるとほぼ不採用になるような状態で仕事を見つけるのは至難の業です。貯金は治療で使い果たし、実家に帰ることも出来ず、家賃も払えない、親の援助は見込めず…。どうやって生きていけというのでしょうか。
接客業ならいいでしょと親は言いますが、ずっとお客さんに怖い目に遭わされてきた方としてはたまったものではありません。
ストーカー化した人や顔面を殴られ警察沙汰になったり、買い物中に付き纏われたり、写真を撮られたり…そんな目に遭ってまた接客業をやりたいとは思えませんでした。
今の私は社会のお荷物でしかありません。
助けを求めたくても家族ですら怖くて言えないのに、家族以外の人になんてとても出来ません。
私が一体何をしたというのでしょうか。
家族も信用できない、居場所もない、体はボロボロでもう何もないのです。これ以上何を失くせば静かに暮らせるのでしょうか。
弟のように要領よく、親に可愛がられてのびのびと生きてみたかったです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
これ以上何を失くせば静かに暮らせますか?
感想2
子どもの頃から、自分らしい姿を身近な大人から否定されてきた経験を読み、子どものあなたの気持ちを想像して、心がひりひりと痛みました。子どもにとっては自分を保護する立場の大人は想像以上に大きな影響力を持ちます。何が好きか、何をしたいか、子どもが成長するうえでとても大切なことを否定されたり、制約されたり、決められてしまったことは深い傷となってあなたに刻み込まれていったのではないかと思います。大学時代の体調不良や今のボロボロ状態も無理はないと思います。「私が一体何をしたというのでしょうか」と書いていますが、悪いことは何もしていないと思います。逆に不当に奪われ、扱われたのだと私は思いました。職場で嫌がらせを受けたり、お客さんにクレームをぶつけられたり、ストーカーの標的になったのも、子どもの頃からの不安や恐怖、対人関係の経験が影響しているように感じました。また、周囲に助けを求めることが怖くてできないのは、無力化されていしまっているからだと思って読んでいました。だから、あなたに力がないわけでも、何もできないわけでもないと思います。力を発揮できないような状況に追い込まれているだけですし、周囲の理解を得るチャンスも少なかっただろうし、力をつけるような機会も多くなかったのではないかと推測しています。
最後に弟さんのことが書かれていました。要領よく、のびのびと育った様子は羨ましいと感じるかもしれませんが、私はあなたのこれまでしてきた経験も大切なものだと思いました。そのような状況でも生きのびてきたことに深い敬意の気持ちを抱いています。そして、何よりもこのように経験談として書いて送ってくれ、つながったことを嬉しく思います。
私も子どもの頃に外遊びが大好きでした。だから、子ども時代に外で虫取りや川遊び、木登りをしている姿を想像して、のびのびとしたあなたらしさの片りんが明確に浮かんできます。その後にたくさんのつらい経験もあり、今はボロボロかもしれませんが、書いてくれた経験談の中にも、諦めたくないと思う気持ちや生命力の根源のようなものを感じています。
家族が信用できないとはっきり書けるのは、あなたが自分を見失っていない証拠だと感じています。家族が信用できなくても、頼れなくても、家族以外にも頼るところはありますし、意外とその方が頼りやすいこともあります。そうはいっても、途方に暮れてしまいそうなときやつらい気持ちを伝えたくなったときにはいつでも、死にトリに来てください。待っています。
お返事1
感想を読ませていただきました。
家族、友人、元職場の同僚や上司に助けを求めることを躊躇ってしまった私がネットで相談できる場所を探してたどり着いたのが死にトリさんでした。もうその頃には「絶対死んでやる。自分たちの困りごとばかり人に助けを求めてきて、私の話なんか一つも聞いてくれない人たちに少しでも後悔させてやる。」そのくらいの気持ちでいました。
でも、「死んだら負けだと好きなこともできなくなる、生きたくても生きれなかった人たちに失礼じゃないか」とも思っていました。
小学生の時に事故で友人を亡くしているので余計にそう思ったのかもしれません。
その上、自他共に認める負けず嫌いなのでその性格のおかげで今までなんとか耐えられたのだと思います。生きることを諦めきれなかったのはおそらくその2点があったからです。
小学生高学年の頃に遺書を書いたこともありました。何も食べる気にならなくて1週間近く飲まず食わずでベッドに寝ていた頃もありました。そんな状態の中、ギリギリのところで死ぬことを選ばずに済んでいるのはこうして思いを吐き出せる場所があったからです。
レポートを読んでくださってありがとうございました。
感想1
経験談の投稿ありがとうございました。タイトルの「これ以上何を失くせば静かに暮らせますか?」という言葉が、あなたの悲痛な叫びのように私には感じました…。
「どうすれば静かに暮らせるのか。」という気持ちを持っていらっしゃるということは、今現在、静かな暮らしを出来ていないということだと思います。あなたの静かな暮らしを、阻害しているものは一体何なのかと私は疑問に思いました。
あなたは幼い頃から、家族に否定的な声かけをされ続けたのではないかと思います。それは徐々にあなたの苦しさに繋がっていき、しかし家族はそんなあなたの苦しさに気づくことなく、なお否定的な声かけをし続けたという状況だったように見えました。また否定的な声かけは家族に留まらず、周囲の人間(職場の人など)からもあったのですね。
助けを求めたくても家族ですら怖くて言えないのに、家族以外の人になんてとても出来ないと書いてくれていましたね。私は、それはそうなってしまっても仕方なかったんじゃないかと思いました。あなたは大学生の時に倒れ、休学・留年をしたときに、家族から「仮病」などといった心無い言葉をかけられていました。また、ヘルニアが見つかり仕事に影響が出たとき、身体的なしんどさが恐らくあったのにもかかわらず、職場の人から嫌がらせを受けていました。それぞれ、あなたが心身ともに大変だったときに、適切なサポートや周囲の優しい声かけが充分になかったのではないでしょうか?そう考えると、助けを求めることに大きな怖さがありそうだと私は思いました…。
しかし私は、今のあなたには社会保障制度を利用して欲しいと思いました。あなたの考える静かな暮らしに近づくために、まずは使える制度を利用し、基盤を整えていく。助けを求めることは怖さがあるかもしれませんが、必ずどこかに今のあなたを受けとめ、助けてくれる人はいると思います。助けを求めることを、まだ諦めないで欲しいなと私は思っています。
また、もしよかったらこのサイトを見てみてください。
困りごと知恵袋 | 生きづLABO https://ikidulabo.lifelink.or.jp/solveproblems/
今のあなたの課題を解決するヒントが載っていると思います。ここ(死にトリ)にも、また来て欲しいなと思っています。