経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

土人の祭り

普通の、一般家庭で育ちました。
色々、妙な事が子供の頃からありました。
幼稚園の時に友人の家で出前のラーメンをご馳走に…割り箸を割ると指に破片が刺さりました。
おばあさんが何故か…ニヤニヤしながら破片を取ってくれました。
歪んた不思議な空間を思い出しました。
メタファーみたいな事ばかりで…本当の事は何も…ないって事に気がつきます。
肉体と精神さえも…自分の意志とは違う様なズレを感じます。
もう、生まれない事を祈るだけの国になってしまったな…っと自然だけは美しいから 残念な気持ちがします。
宗教には解決策はなくただの慰めなのかと、虚しくなります。
若くして死んだ人達を思うと、私は長く生き過ぎたと思います。
猫の事だけ心配ですが、自分の事は特にありません。
別に早く死んでも同じだから。

感想1

投稿者さんの見えていたり感じている世界はどういったものなのだろうと色々考えながら読ませてもらいました。子どもの頃から起った妙なこと、そしてそれについて感じたことはこれまで身近な人に話したことはあるのか気になりました。もしかしたらなかなか理解されにくく、そこに生きづらさや違和感も感じていたりするのかなとも考えていました。
本当の事は何もないことだったり、肉体と精神さえも自分の意志とは違う様なズレを感じているようですがそれは、実態として確かに存在はしていても投稿者さんの感覚としてそこに存在しないといったような感じなのでしょうか。もう少し詳しく投稿者さんの抱いている感覚を知ってみたいなと私は感じました。
自分のことを長く生き過ぎたと思うこと、別に早く死んでも同じと思うのはそれだけ“生きる”ということに前向きになれない事情だったり、こうして生きている世界に対しての諦めなどもあったりするのではないかなと勝手ながら想像をしていました。
思っていることや抱いている感覚を言葉で表現することが投稿者さんにとって苦痛でなければ、またいつでも死にトリに参加してほしいなと思っています。経験談の投稿ありがとうございました。

感想2

曖昧で象徴的な記憶の世界の話と、おそらく近くにいる猫の話も出てきて、現在と過去、そして具体と中小が入り混じった独特な世界観の文章だと思いました。どのような時間帯に、どこで、どのような姿勢で書いたのかなと気になりました。それ以前に、この死にトリをどのように知って、この経験談をどうして書いて送ろうと思ったのか、その動機も気になりました。でも、何となく伝わってきたのは生きる動機がほしいという気持ち、何かを感じ取りたいという意思があるけれど、今の世の中にはあまり見つからずに、どこかふわふわした気持ちでいるのだろうかということです。
最後に、タイトルの「土人の祭り」ですが、「土人のお祭り」という歌からとったタイトルですか?どういうことなのか不思議で調べてみたら、のちに「森の小人」というタイトルに変更になった歌でした。私も知っている歌でしたが、こんなタイトルとはまったく知りませんでした。(歌と全然違ったらすみません)想像力が足りなくて、よく分からない感想になってしまいましたが、また、自分の思いを誰かに伝えたいと思ったら死にトリに来てください。

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