経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

僕じゃ無くなった日、戦いが始まった日。

僕は27歳。高校卒業間際に母と兄に足の障害があることを知った。詳しく話すと神経系だけれども、そのうち動けなくなるそんな病気。
僕の家族は僕以外が障害者。
父:酒乱、自閉症
母:足の障害
兄:足の障害
弟:重度の自閉症

いつかは介護をしなくてはならない。
僕がしっかりしなきゃいけない。
誰にも頼れない、だから僕はカフェの経営の夢を諦めて職業訓練にて介護の資格を取り介護慣れするために介護の仕事を始めた。

介護の現場は他の所よりゆとりがあるグループホーム多分上手くやれていたと思う。お客さんに気にいられて認知症で5秒記憶が持たない人に名前を覚えて貰えて嬉しかった。
その日から僕はお客さんの幸せや笑顔を大切にするようになった。求められる技術が多くなった。
お客さんの笑顔のために人よりも頑張って、時間を作っていっぱい話をした。
僕にとって他人のお客さんが家族になった。

他の職員との対応の違いから他の職員からクレームが入った。「僕だったら良かったのに貴方は仕事が雑すぎる。私達の事を見ていない。」と言われたと。
周りに合わせて仕事をしてくれと、お客さんを人と思わないような介護をしろと遠回しに言われた。

介護業界の「理想」と「現実」。
僕の職場にいた数名の職員のお客さんへの対応が僕には許せなかった。怒りが込み上げつつ、僕はその職員達が不穏にさせてしまったお客さんの対応をする。
「それはいいから仕事して下さい。」と言われた。
その職員のせいで苦しんでいるお客さんが目の前にいてその対応を放置してる。そんな奴に。

僕はその職員に歩み寄ろうとしてきた、どうすればお互いが、お客さんが折り合いつけれるか等ホーム長も交えて。

ずっと耐えた。幸せを、忘れてしまうかもしれない刹那の笑顔のために。

耐えきれ無くなって僕は職場で倒れてしまった。
うつの傾向が強い適応障害と診断された。
その日からホーム長は僕を危険視し始めたのだろう。手作りおやつ支援を辞めろと、うつ病の奴にお客さんを任せられない。と言われた。

悔しかった。
苦しかった。
裏切られた気がした。

その職場はホーム長から新しい施設の立ち上げをするので君に来て欲しいと言われ入社した会社だったから。ホーム長は味方だと思っていた。
問題のある奴をクビにせず、僕とのシフトを被らないよう希望を出しても被せてくる。

立ち上げから2年目の事。
僕は用済みって事か。その後1本だけホーム長から電話があったが出る気になれず放っておいたら、他の社員から僕が出勤停止措置を受けた。とのこと。

僕は了承していないのに了承扱いとなり。
会社からの要請だったのにも関わらず給料は払われず。僕がおかしい奴でクビにすると。

ここら辺から僕は歪んでしまったんだと思う。
その後新しい施設に就職し、何事もなく仕事をこなしてたが新しい施設は人を人と見ないような施設だった。僕がおかしいのか?お客さんの部屋に居るのは排泄介助、着替え介助、移乗介助の時だけ、話す時は何かあった時だけ。
職員は職員同士でお客さんを無視して楽しそうにお話してる。

僕は仕事に追われながら、お客さんとの時間を大切にした。いつか終わる命、そのいつかに感謝されるような介護を。
ただの偽善者かもしれない、でも刹那でも相手を笑顔にできるなら僕は…と。

当然ながら1人で紛争したって会社ぐるみの介護の仕方には叶わない。

夜勤中に燃え尽きてしまった。
頭がぐるぐるして、「嫌だ」「嫌だ」「嫌だ」と目の前を見えないはずの言葉がスライドショーみたいに見える。僕の視界は真っ黒。
身体も言うことを聞かない鉛を背負ってるように「ここから逃げないと」僕の頭の中で聞こえた気がした。

助かったことに夜勤は2人体制で、相棒の女性が全て対応してくれた。
僕は動けず、7階建てのこのフロアから飛び降りたくなる気持ちを抑えるので精一杯だった。

不思議なことに職場から出ると普通の僕に戻った。あれはなんだったんだろうと思うくらいに。

病院では同じくうつ傾向の強い適応障害と。
しばらく休職するも社員から降格され、パートには休職制度がないから辞めざるを得ない状況になった。

そこから僕は仕事という緊張から解放されたからかうつ病が急激に進行することになる。

毎日が「死にたい」の連続。
毎日「今日は70%死にたい」「今日は30%死にたい」と季節、気温、気圧によってか死にたい気持ちとの戦い。

一緒に暮らしてるパートナーに養って貰ってる僕は動けない自分が悔しい、悲しい、対等じゃない僕が情けない。でも動けない。

パートナーの若い時間を無駄にさせてしまっている気がして何度も別れ話をした。
「今までかけて来たお金も時間も無駄にしたくないし君を愛してるから、だから簡単に死んだりしないでくれ」そう言われた。見透かされているような気持ちになった。別れたら死のうとおもっていたから。

育ての親である母にも「もしかしたら死ぬかもしれない。自分が自分で分からないんだ」と伝えた。
泣かれてしまった。「言ってなかったけど私のお父さん、貴方からしたらおじいちゃんはね、本当は病気で亡くなったんじゃないのよ。ほんとうは自殺だったの…だから貴方には自殺して欲しくないあの時なんで相談にのって上げられなかったのか、自殺を止める事が出来なかったのか今でも私を蝕んでるの。私にとって貴方は天使なの、貴方が死ぬんだったら私は後を追うと思うわ。」

逃げ場所が無くなった気がした。
薬漬けの日々、戦いが終わらず苦しむ日々
いつになったらこの壊れた頭に晴れが来るのか分からないそんな恐怖といまも一緒にいる。

早く終わりにしたい。

感想1

 経験談の投稿、ありがとうございました。全て読ませて頂いて、お客さんに真摯に、そして誠実に向き合っていたであろうあなたの姿が浮かびました。またそれは恐らくお客さんだけではないのでしょう。(他の職員さんにも歩み寄ろうとしてきたとありましたね。)少なくとも、あなたに対応してもらったお客さんは幸せだったのではないでしょうか。私にはそう思えます。
 またあなたの経験談を読ませていただきながら、私の友人を思い出しました。その友人は集団の中でとてもまじめで、一生懸命取り組んでいましたが、周囲とのギャップによって苦しさや孤立感を感じていたと思います。しかし、その友人とあなたの物事に対しての取り組む姿勢は、決して間違っていなかったと私は思います。ただ、自分の信念を貫き通せない環境というのは、確かに存在しているのでしょう。(とても悔しいですが)
 体に負った傷なら目に見えて回復が分かるのに、心の傷は回復が分かりにくいものだと私は思います。また、精神疾患は薬の服用を数週間続けていれば、回復するような単純なものではないからこそ、先が見えない真っ暗なトンネルにいるかのような苦しさや恐怖感がありそうだと想像をしました。また、今現在も続いている「死にたい気持ち」との戦いは、恐らく長期戦になるのだと私は思います。「いつになったら…」や「早く終わりにしたい。」という気持ちになって、当たり前だと私は感じます。戦いにはものすごいエネルギーを消費しますし、戦いはこの日に終了するという明確なものもありません。しかし、そんな中で戦っているあなたを、私は尊敬します。
 あなたを大切に想っているパートナーさん、母親さんが「死んでほしくない。」と思うのはごく自然なことだと思います。ただ、私は以前「死にたいと感じている人に、死なないでくれと伝えることは、伝える側のエゴに過ぎないんじゃないか。」と考えた経験があります。また、死にたいと感じるということは、日々に耐えがたいそれぞれの苦しみがあるということだと私は思っています。(もちろん死にたいにはいろんな意味があると思いますが。)その苦しみから解放されたいと、終わりにしたいと思うこともごく自然なことだと思うのです。ですので、私はあなたの「死にたい」を、否定でも肯定でもなくそのまま受け止めたいです。
 1人で戦いに挑むのはしんどいと思うので、これからももしよかったら死にトリに参加しませんか?いつでもお待ちしていますね。

感想2

あなたが確かに経験してきた風景が浮かんでくるような文章でした。世界観がよく伝わってきたように思います。そして、同じ職場の中でもほかの人には別の世界が繰り広げられてきたのだろうということも想像していました。介護の現場を利用している人たちが日常を過ごす安心の基地としてみるのと、無難に働いて給料を得る職場としてみるのでは、見えてくるものはずいぶんと異なるように思います。私もずっと家族の介護をしていて、家族が福祉サービスを利用することもあるので、利用するところがどのような場所であるかによってその人の暮らしががらりと変わってしまうことは痛感しています。あなたのように共に過ごす時間や空間を大事にして、関わってくれる人たちに出会えることを期待しています。しかし、残念ながら現実的には仕事として機械的にこなすような人たちも多いことも感じています。
あなたは利用者さんたちとお互いの世界を尊重し合いながら交流していたのではないかと思いました。職員と利用者という関係を超えて、人と人との関わり合いとして成り立っていたのかなと思います。介護のスキルの問題よりも、そうした関係性でいられて、そのことによって自然と何をしたらよいか分かり、それが相手にも伝わったし、心地よく感じたのではないかと思いました。そう考えると、そうしたあなたの感性豊かな関わりは市場化の影響と人手不足の介護現場においては異端とされてしまったのかもしれないと残念に思いました。
そして、感性の豊かさはいろいろな物事を感じ取ることで自分自身に疲労やストレスを知らないうちにため込むことにもなります。周囲の理解がない中で、あなたが「僕じゃ無くなった」と表現するだけの状況になってしまうことも無理はないと思います。
家族の介護のために始めたきっかけを含めて、介護の現場で感じていた手応えはあなたなりに一つのアイデンティティ(自分らしさ)につながっていたのではないかと感じました。職場での周囲のやっかみ(と私は感じてしまいました)からの不当な扱いは単なる労働上の問題というより、あなたの大切なアイデンティティを踏みにじる扱いのように感じました。だからこそ、死にたくなったり、傷ついて動けなくなることも当然だど思いました。
でも、私は休んでからでも遅くないので、あなたのそのアイデンティティに誇りをもって、理解してくれる人と一緒に何かを始めてもらいたいと思いました。そして、それができる人だと思いました。最初にカフェ経営の夢についても書いていました。私は介護の経験とセンス、それとカフェ経営を融合させたらとても面白い取り組みになりそうだと思いました。今はそんな気持ちにならないかもしれませんが、あなた自身から湧きだしてくる力を発揮できる日が来ると思うので、今はじっくりと休んでもらいたいと思っています。
私は介護をしている身としても密かにそんなあなたの力を信じて、応援をしたいと思います。もしも、また表現したい気持ちがあればこうして送ってください。待っています。

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