私は虐待されていたわけでも、いじめられていたわけでもなく、比較的恵まれた環境で生きてきました。今の職場は良いところで、上司も優しくとてもいい人で、仕事内容もそれほど激務という訳でもなく、とても良い環境です。
それでも、漠然と「生きたくない」と感じてしまうのです。「死にたい」わけではありませんが、「生きたくない」のです。
なぜ「生きたい」と思わなければならないのでしょう?なぜ「生きたくない」と思うことが悪いことなのでしょう?何か嫌な事があって「死にたい」と思う訳ではありません。もう充分に生きたと思っているから「死んでもいい」と思っているのです。
これ以上生きてもいい事は何も無いとわかっています。私は人間不信で人を好きになることができないし、人に好かれる性格もしていないので結婚や出産は望めません。このまま社会に良いように使い潰されて孤独に死ぬ以外の未来はないのです。それなのになぜ生きたいと思えるのでしょう?未来に希望などどうやって見出せばよいのでしょう?
この先、社会が良くなることはないでしょう。生きれば生きるほど、どんどん社会は悪くなり、生きづらい世の中になるでしょう。今は普通に食べられているご飯も、数年後には食べられなくなっているかもしれません。
今の生活はつらいです。どんなにつらくても仕事には行かなくてはいけないし、どんなに仕事を頑張っても生活が満足に出来るほどのお金は貰えないし、友達はいなくて孤独だし。「孤独を解消する方法」などを調べてみても『信頼のできる友人や恋人に相談しましょう』と書かれているばかりであてにならないし。
今の生活がずっと続く、もしくはもっと酷くなるのであれば、まだ幸せを少しでも感じられる今「生きるのを辞める」のが1番幸せなのではないでしょうか。私だって、苦しんで死ぬのは嫌ですから。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
「死にたい」じゃなくて「生きたくない」
感想2
伝えたいことは、とても素直に届きました。「死にたい」じゃなくて「生きたくない」のは全然おかしなことでもないし、そう思うことは自然だと思いました。そして、どんどん社会が悪くなって生きづらい世の中になることについても、同感しかありません。だから、未来も見出せず、死んでしまった方が楽だと思うのも納得です。
でも、逆におや?と思ったことがありました。「生きたい」と思わなければならないのでしょう?と、なぜ「生きたくない」と思うことが悪いことなのでしょう?という二つの問いかけでした。私は「生きたい」と思わなければならないという発想はなかったですし、「生きたくない」と思うことが悪いことだとも思ったことがありませんでした。でも、あなたは明確に前提として、「生きたいと」思わなければならない、そして「生きたくない」と思うことは悪いことだと周囲が言っているとか、社会が認識していると捉えていて、友達や恋人の話もできたので、世間一般で言われるような「これが幸せの形」だというイメージがどこかにあるのかな?と思いました。社会にある何かがあなたの発想や感じ方を縛っているように思いましたが、どうでしょうか?
生きたくないの背景には孤独の存在があるのではないかと感じました。じゃあ、その孤独とはどこからやってくるのだろうとずっと考えていますが、そのよくわからないけど、どこからともなくやってくる孤独感が漠然とした不安となってあなたを包み込んでいるように感じています。私はあなたが心の奥で「生きたい」と思える何かを本当は見つけたいと叫んでいるようにも思えました。
繰り返しますが、「生きたい」と思わなくてもいいと思います。そして、「生きていたくない」と思うことは悪いことではないです。でも、同じように「生きたい」と思ってもいいし、「生きていたくない」と思わなくてもいいと思います。自分の感じること思うことに耳を傾けていることが大切なのではないかと思っています。
感想1
経験談の投稿、ありがとうございました。「死にたい」と「生きたくない」って、一見同じ言葉のように見えて、微妙にニュアンスが違う気がします。私の中の解釈は、「死にたい」は能動的に自らの死を望んでいて、「生きたくない」は、このまま時が流れて生活続いていくことをストップさせたいと思っていて、それが結果として受動的に死を望んでいることに繋がる…みたいな解釈をしています。
「生きたくない」と思うことは、私は悪いことだと思いません。誰にでも思う可能性がある気持ちだと思っています。私自身も「生きたくない」と思った時があり、その時「自分が思うように生きることが出来ていないから、生きたくないのかな?」と考えたことがありました。そして、私の心の奥にある願望は一体何だろうと、紙に沢山書きだしました。書きだされた数多くのありのままの願望を見つめて、「これは全部遠い理想で、現実はとてもかけ離れているからこそ、生きたくないと思ったのかもしれない。」と感じました。
なぜこのお話を書かせて頂いたかというと、もしかするとあなたにも心の奥に「こう生きたい」などといった願望があるかもしれないと私が思ったからです。「こう生きたい」という気持ちが強ければ強いほど、「生きたくない」に変わる可能性があると、私は考えています。その2つの気持ちは、表裏一体のような感じがするのです。あなたの経験談の、「これ以上生きてもいい事は何も無いと〜見出せばよいのでしょう?」と、「今の生活はつらいです〜あてにならないし」の部分から、ここにあなたの見えていない願望が隠れているかもしれないと感じました。
完全に孤独を消し去ることは難しいかもしれないけれど、またここ(死にトリ)に来て、色んなコンテンツを活用してみて欲しいと思いました。あなたと同じような思いを抱えている人が、この場所にはきっといると思います。また、お待ちしていますね。