子供の頃から手がつけられ無い程の不良でした。自分で言うのも変ですが笑その為親友と呼べる人も殆ど居なく、仕事は建設業で独立し全国を飛び回る忙しさでした。数年前に会社を法人化しましたが、コロナ禍など色々な要素が重なり倒産となりました。
会社が順調にいっている時は周りにも友人らしき方など数多く居ましたが、倒産と同時に居なくなり、妻とも離婚し子供にも会えない状況になりました。その時に大量の薬を飲んだりして死のうとしましたが死にきれませんでした。
相談する方も居ませんでしたが、もう一度人生をやり直そうと決意し、誰も知り合いが居なく0からのスタートできる場所を探して離島に移住しました。職場も見つかり新しい夢も見つかり、一筋の光が差しましたが、職場でのパワハラもあり、持病の糖尿病の合併症もあり救急搬送され現在入院中です。
入院費用も無く生活保護の申請をして通りましたが、一筋の光も消え、生きていくだけの人生なら消えて居なくなりたいと考えて居ます。生きるのも死ぬのも自分次第だし、ここに書く事は意味が無いとも思いましたが、相談相手も無く一人寂しく死んで行くのはあまりにも辛く、投稿致しました。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
年齢的にも、もう良いかな?
感想2
コロナなど色々な要素が重なり、家族・仕事でのそれぞれの人間関係に大きな変化があったのですね。私の想像なので違っていたら申し訳ないのですが、それまでの人間関係が一瞬で崩れてしまった状況だったのかなと思いました。そう考えるとその当時、あなたの中に強い孤独感が生まれていたのではないでしょうか。人と関わりはするけれど、関係性が長く続かず、どれも徐々に崩れていく経験を私はしたことがあります。その当時、「私には誰もいないんだな。」と強い孤独感に襲われていたことを、読みながら思い出しました。(今でも、その孤独感が完全に消えたわけではないのですが。)もしあなたが、その時の私と同じような感覚だったのであれば、首を吊った時の気持ち、死にきれなかった時の気持ち、なんだかわかる気がします。
それでもあなたは、死ぬに死にきれなかったところから、人生をやり直そうと決意したのですね。そのように決意するまでには、どんな気持ちの過程があったのですか?ぜひお話をお聞きしたいと思いました。
あなたが人生をやり直そうと決意し、職場と夢を見つけたことは、やっとの思いで探し出した小さな光だったのではないでしょうか。それまでは、光が差さない暗い世界にあなたはいたのかなと、「一筋の光が差した」という表現から私は想像をしました。
そんな光も消えたと感じた今、あなたが「消えて居なくなりたい」と考えることに納得がいきます。ただ、あなたはまだ光を探し出そうとしているから、この経験談に来てくださったのかなと私は思いました。光は、自然な光だけでなく、人工的な光もありますよね。ろうそくとか、懐中電灯とか。この場所が、あなたにとっての自然な光が差すまでのお手伝い
として…人工的な光のようなものになったらいいなと思います。
感想1
手がつけられないほどの不良で建築業を経営…同じ様なルートを通っている知人2人の顔が浮かびました。物心ついた時から型にはめられるのが嫌いでエネルギーに溢れているひとばかりでした。あなたも元々はそのようなひとだったのかもしれないな…そんな風に思いながら、あなたの離島にたどり着くこれまでの経験を実際に聞いてみたいと思いました。
肩書や商売だけでつながっていた人間関係なんだと知った時、ご家族と離れてからは孤独感もかなり強かったでしょうね…。死を試みてからまたやり直そうとしたのは持ち前の根性でしょうか。糖尿病の合併症もあるならこれまでの無理がここにきて…という感じでしょうかね。(ちなみに私の知人や兄も建築業で糖尿病です。それだけ身体も酷使して酒も飲んで)
本当にあなたの一筋の光は消えたのでしょうか。まさにあなたが書いている通り、生きるのも死ぬのも自分次第ということで、その時その時にご自分で決断されてこれまでやってきたんですもんね。その言葉をあなたが言うと納得が行きますし、これからも一筋の光を見出せそうな気もします。(もちろんお身体のことで無理はできないのだと思いますが)
でもそれにはちょっとひとりではしんどいかなと思いますので、どうかこれからも死にトリに参加しませんか。機会があればあなたのこれまでの経験について聞かせて欲しいです。
今の時代はこうやって離島でもつながれますから。年齢的に…何歳なのでしょうか。
またお待ちしています。