経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

誰も信じられない

物心ついたときから、自分から話しかけても、話しかけられても、拒まれることをかなりの確率で受けてきた。一番に記憶にあるのは、小学校1年のときに先生に相談、助けて欲しいと思い話しかけても、会議があるからと振り切られた。その上、別の先生から、チョロチョロするな、帰れ!言われる始末。そこから、自分しか守ってくれる人がいないと思えてしまった。

それだから、友人と呼べる人はいない。それでもなんとか大学までは行けたものの、就職とかもできてもすぐに辞めるのは目に見えているから、就活なんか全くしなかった。それから紆余曲折して、精神科デイケアとかでも、人とのコミュニケーション能力が回復することもなかった。

だから、赤ちゃんのように感情の起伏が激しいことがずっと続いてることになっている。

なんとかして生活を立てられるように就労移行支援に行くも全員が信じられないから、ずっと定着することもできないし、仕事ができる力も当然なのか身についていかない。だって、仕事の基本であるとされている「報告・連絡・相談」ができてないんだから。自分の場合、何か人から拒まれたり、逆ギレされるんじゃないかという恐怖感が常に付き纏われるから。

誰も信じられない。そして、どうすればいいかもわからない。死にたいとは言えないけれども、身体は生きていても、魂は死んだ状態。それからずっと続く状態で終わるんだろうと思ってしまう。もしかしたら、死よりも辛い状態かもしれない。

感想1

誰かを信じることはどうやってできるようになるのだろう?と考えました。きっと、子どもが大人になる過程で、そのままを受け止めてもらう経験が必要なのだろうなと何となく想像しました。するとあなたの文章にある「赤ちゃんのように感情の起伏が激しいことがずっと続いている」という表現が目に留まりました。そうか、赤ちゃんのように自然に出てくる感情を誰かに受け止めてもらうことが大切なのではないでしょうか。記憶の中では小1のエピソードが書かれていますが、ひょっとしたら記憶のないもっと小さいころ、言葉での表現ができない感情を受け止められた経験がなかったのかもしれません。
そして、最後の「死よりも辛い状態なのかもしれない」という表現も印象的でした。その前には「魂は死んだ状態」とも書いています。あなたにとって、マインドと他者との信頼あるつながりが生きる証だと感じているのかなと私なりに読み取りました。そうだとしたら、私もそのことに同感します。
最後に、コミュニケーション能力や報告・連絡・相談ができないことを書いていますが、もしかしたら周囲があなたのコミュニケーションを理解していない可能性がありそうだと思いました。コミュニケーションは一方的なものではないので、通じないとしたらあなたが周囲からとてもわかりにくいコミュニケーションの難しさを持っているのかもしれないと思いました。少しでも話が通じそうだ、この人とならかみ合いそうだと思う人がいたら信じるまでは行かなくても、うまく活用してみることから始めることもありかなと思いました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。
小学1年生の時の出来事が決定打となり、人を信じられない状態が続いていたのですね。その時のあなたは必死の思いでSOSを出そうとしたのに、拒まれて余計に傷ついたのではないかと想像してしまいました。もしそうだとしたら信じてもまた傷つくのではないか、「自分しか守れる人がいないのではないか」と思うのも自然な心の反応のように感じます。自分を守る手段のような側面もあったのではとも考えます。
人と関わることに恐怖が伴い、安心して過ごせない状態が続いているのは、確かに辛そうです。もしかしたら就労関係に関しては、〇〇ができなければというようなプレッシャーも同時に感じているかもしれません。
死にトリは自分のペースで関わっていくことができる場所だと思います。自分が変わる方法というよりは、信じられないことそのものについて死にトリでも一緒に考えられたらと私は思いました。

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