初めまして。
気がついたら41才を、過ぎました。
子供の頃は、無視や、心無い言葉に囲まれて過ごしました。
(書いていて気が付きました。なんだか、両極端だったんですね。)
自分の分析を見て、「傷ついた状態から抜け出したいけれど」の言葉に、
「あぁ、自分は抜け出したい、抜け出せると思っているのか」と何故か涙が出ました。
抜け出すとはどういうことなのか、それが見えないから死を願う気持ちが生まれる。
この気持ちが「なかった」時は、ありません。
気がついたらあって、「ない」人たちに、とても憧れを抱いていました。
40才を越えた時から、
私と似た育ち方をしている人は
決して私だけじゃない、と強く思う様になりました。
色々見て、聞いて、
私に起きていることは、
きっと同じ様に苦しんでいる人がいて、
きっと同じ様に何かを掴もうとしてもがいているのに、
きっと同じ様に掴むべきそのものが定まらないでもがいている、と。
私が頑張る事は、どこにいるか分からないその見たこのない似た人たちも、
一緒に頑張る事に繋がるんだ、と、そう思う様になりました。
人生は、半分来てしまって、悲しい気持ちでいっぱいなのに、
時間を重ねたおかげで見えるものがあって、気持ちの処理が追い付きません。
私は、食事が、苦手です。
幼い頃は、母の気に入らない事が起きると、
「もう作らないからいいよ」と言われ、目の前で捨てられる家でした。
その後は、無視という、
私なんかまるでいない様な日常が続き、いつしか解除されている。
それが、普通とされていた、家でした。
食卓の、最後のあまり物はその日のうちになくなるように私の元に来て、
食事の出ない事を思うと、満腹関係なく食べ、夜中に堪えきれず吐いたりしていました。
食事は、嫌いです。怖いです。41才の今も、怖いです。
自分で作っているのに、自分でどうにかできるのに。
自分で、自分の苦しむ食事を作り、食べ、また作り、
自分をどうしたいのだろう、そんな輪の中にいます。この輪は私にとって絶望です。
今日、食べながら、「私が食べてもいい」食事をはなんだろう、と思いました。
ふと、「死にたい」と「思わない」人生とは、なんだろう、とも思いました。
「食べたくない」「食べなきゃいけない」
「死にたい」「生きなきゃいけない」
そうではなくて、「食べてもいい」と思う食事、
「死にたい」と思わない人生、
それが、「夢」と言うものでしょうか?
「夢」は、持ったことがないので、分かりません。
ただ、
「死にたい」から
「死にたい」と思わない人生とはどんなのもか、の気持ちの動きが、
私の心の中で、ことり、と何かが音をたてて動いた感じがしました。
探したいと思い、これが抜け出したいという事なのか、違うのか、
分からないですが、私にとっての変化でした。
書きたい、と思い、書かせて頂きました。
失礼します。
感想1
つらチェックをやってみた後に書いてくれたのですね。結果の一文があなたの奥に眠っていた何かを動かしたのかもしれない、もしそうだとしたら死にトリのサイトを開設して、よかったと思うと同時に、こうしてつながって経験談を寄せてくれたことに心から感謝と嬉しい気持ちが湧き上がってきました。経験談に寄せられる思いや経験は本当につらく苦しく、過酷な現実が多くあります。それを読んで私はいつも励まされ、嬉しい思いが素直に湧き上がります。おそらく、お互いにどこの誰かもわからない者同士ではありますが、何か大切な思いでつながっていると感じるからだと思っています。
経験談から、これまでの人生の当たり前がどのように根付いていくのかを垣間見たように思います。子どものころから日常で見聞きしてきたこと、感じていたことが心身に深く根付き、大人になり環境が変わっているのにもかかわらず、心身に根付いたものはそう簡単に変わらないということを改めて教えてもらいました。でも、簡単ではないかもしれないけれど、いつからでも変わることもできると私は信じていますし、変わりたいと思ったときに変わることができる社会になってほしいと願っています。そして、あなたの経験談はその願いへの可能性を示してくれたように感じました。
もっとも印象的だったのは40歳を過ぎた頃に「決して私だけじゃない」という感覚を抱くようになったということです。おそらく、苦しい状況でいると視野が狭くなり、自分だけがまるで取り残されてしまったような感覚になってもおかしくないと思うのですが、それが自分だけじゃないと思えたのはどうしてなのか?その感覚がおそらく私たちの生きる今の社会が少しでも苦しい思いをする人たちの力になったり、その人たちが社会の力になることへのヒントになるはずだと思いました。だから、ぜひもう少し話をしてみたいと思いました。迷いながら運営している私たちや似たような活動をしている人たちに力を貸してもらいたいと思いました。死にトリと連携しているサイト生きづLABO(https://ikidulabo.lifelink.or.jp/)がありますが、そこではまだ少し先になりますが研究員として一緒に活動してくれる人を呼びかける予定です。もしよかったら、こちらのサイトものぞいてみてください。