経験談として文章にまとめていてあらためて感じたことがある。それは私にとって「感情論だけで動く人間」や「感情論が行動の中心となっている人間」に対してものすごいトラウマと拒否感があるということ。
私の祖母(故人だが祖母の生前は同居していた)は我が家の絶対権力者だった。
母が近所のスーパーに食材を買いに行って帰ってくると「なにを買ったか」のチェックを祖母がする。祖母は祖母自身が気に入らない食べ物(とくに肉類)が食卓に並ぶのをことのほか嫌うため、今思うと私はその反動もあって肉類に執着するようになった。「好きなものを食べていればよい」という考えの祖母にとっては孫(私を含めて)の成長など関係なし。「甘いものをたくさん食べることが裕福な証」、「砂糖は高級品」と信じてやまない祖母はおかずの味付けも砂糖こってりの味付けを要求し母を困らせていた記憶がある。もしかすると内孫の存在は「祖母自身がお菓子を買うことのちょうどよい理由づけ」だったのかもしれない。
祖母はかなりの気分屋で気に入らないとすぐに喚き散らし大声で怒鳴り散らす。私が小学生のころは学校の宿題をしていることが気に入らないので喚き怒鳴るという状況だった(後日知ったのだが祖母は文盲とのことだった)。宿題をしなければ学校の先生に怒られ、宿題をしたら祖母の甲高い怒鳴り声がひびきわたる。私がどちらを選択したのか記憶にないのだが、もしかしたら、あるときは宿題をやって別のときは宿題をやらないという行動をとっていたのかもしれない。
ある意味では祖母にとっての「玩具」だった私は見た目の関係もあって小・中・高といじめに遭っていた。私にとって家は苦痛の存在だったので学校でも道化のようになるしかなかったのだが、それもまた特徴的であり、いじめる側からすれば格好のターゲットだったのだと思う。
祖母はあることないことを周囲に言いふらすので傍から見ると「かわいそうなおばあさんと姑いびりをする嫁(私の母)」という感じだったのかもしれない。しかし、それは表面の姿であってその実は祖母自身の思い通りにいかないと癇癪をおこして喚き散らし、さも祖母自身が被害者のような口調で周囲に言いふらすので私の両親は苦労していたのだと思う。
私は小さいころから感受性がものすごく強かったのだが、感受性が強い私にとっては「感情論だけで動く人間」や「感情論が行動の中心になっている人間」というのは天敵のようなタイプである。社会人となってからも仕事柄もあってそういうタイプの人間と関わることがものすごく多かったので、私にとっては心休まるときはなかった。四六時中ストレスを抱えているような感じで荒んだ生活を送っていた(仕事の内容だけ聞けば周囲の人からは一目置かれるのかもしれないが、私にとってはそんなものはどうでもよく、ただ一日が早く終わることだけを願っていたし、もう仕事を辞めたいと日々思っていた)
「こういう人たちとは関わりたくない」という自分の感情(本心か?)に蓋をして「これも仕事だからしかたがないか」と我慢して仕事を続けていた結果、ついに心身ともに壊れるときがやってきた。心身ともに壊れた私にとって見える世界はものすごくグレーで色というものが感じられない世界。自分自身に関わることさえもどこか空虚で他人ごととしか思えず、かつ、すべてが厄介ごとのように感じてしまう。
精神科に通院し処方された薬を飲み、体調が思わしくなければ部屋で寝ているだけの日々。いったいなんのために生きているのだろうかと思いつつも、唯一の救いは「体調が悪くて家で寝ているときはあの種の人間に出会わずに済む」ということ。通院するために外出するときは常に周囲に気を配り、あの種の人間に遭遇したらどうその場から離れるかというのを常に考えながら行動している。それでも、なにかの拍子に、あの種の人間に出くわすことがあるのだが、うっかり出くわしてしまうと過去の嫌なことが走馬灯のように頭のなかでぐるぐる蘇ると同時にどす黒い感情に心が押しつぶされたような感じになる。こういうのから解放されるときが来るとするのならば、私の人生に終焉がきたときなのかもしれないなと思う。
今の私が苦慮していること。それは、私にとって「あの種の人間」は拒否感の対象なので私からは関わらないようにしているのだが、もし、相手側からかかわってきて私が逃げきれなくなったときに私はどういう行動に出るのだろうかということ。「相手側を『物理的』に排除する方向に向かってしまう」のではないか…というのがとても不安。
もし「私と祖母の関係を一言であらわすとしたらどんな言葉ですか?」と尋ねられたとしたら言葉にするのは難しいのだが、強いて言うならば「面従腹背」という言葉かもしれない。ただ、面従腹背というのも私自身を守るための行動の結果。今となっては、面従腹背が染みついてしまった私には他人の考えも想像つかないし、ましてや私自身が本心でどう考えているのかもわからない。祖母の影響や仕事でかかわった人たちの悪影響を受け続け、人の顔色を窺ってから動くことしかできない私には「それは無理」ということもできないし「拒否する」ということもできず、心身が故障した今でも人の顔色を窺って生きる日々。私自身の本心はいったいどこにあるのやら。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
家族という固定された関係と、家という狭い空間で小さな頃からずっと緊張を強いられたこれまでだったんですね。なによりも感受性が強く敏感に感情を感じとるあなたにとって、絶対的に君臨する祖母さんと暮らしていたのは、まるで家の中に感情の地雷が埋められていたり、四方八方から突拍子もなく感情の矢が飛んでくる…そんな環境だったのかなと思いますし、自身を守るためには常に祖母さんの表情、言動、雰囲気を察知しながら過ごすのが当たり前の環境だったんですね。本来であれば伸び伸びと暮らす必要がある幼少期に感情論の前に意思が封印され、負の感情の前では無力であることをこれでもかというほど刷り込まれたのだろうと想像します。その経験は、自分の本心を感じ取ったり他人の気持ちや考えを想像するという行為に不具合を強くおこし、思考や行動に長く影響を与えているのだと思います。面従腹背の意味を調べてみると「表面では服従するように見せかけて内心は反対すること」とありました。意志や感情を潜めて必死に耐えながら、こころでは「これはおかしい」と感じ取って自分を守り、保ってきた…この熟語の意味からそんな想像をしました。例えば仕事や活動しようと外に出た時に感情論を中心としてひとたちに出くわさないという保証はありませんからそれはとても不安で怖いことだろうとも思います。ひとって出会ってみないと感情論のひとかわかりませんから、自分からひとと距離を取り、関わらないようにしてできるだけ出会うことを回避してきたこれまでなのかもしれません。まずは安全にやり取りできるコミュニティでひとと関わりながら、あなたのペースで少しずつこころや思考を回復に向けてみることもお勧めしたいです。まさにこの経験談を書いてくれたこともそのひとつだと感じました。死にトリの他のコンテンツもありますのでまた参加してみませんか。