経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

私の

私は中学時代にいじめにあい不登校になりました。中学校の1年生の夏休以降に登校したのは1日でした。
学校に担任との交換日記のようなシステムがあったのですが、そこに悪口を言われて辛いと書きました。返事は人生楽ありゃ苦もあるさ!でした。そんな返事は求めてはいなかったので驚きました。
その後私が体調が悪くなり学校で吐いてしまうことがあって、そこでいじめがあると対応することになったみたいです。
加害者4人と担任の教師が私の家に来て謝罪をしましたがあれは言い訳でした。あと「私のことをいじめたのは私が悪かったからだ。」と言ってたました。内容は言い訳でした。その後加害者の親から電話がきましたが母が怒っていたのを覚えています。それから引きこもりになりました。外に出るのが怖かったからです。外でいじめた人に会うのもその知り合いに会うのもとても怖かったです。
その頃私の家は経済的に余裕がなく兄は高校に通いながらバイトをしてました。
母はパートをかけ持ちしてすごく大変そうで、父は就職が決まらずバイトをしていました。
私だけがなにもしないで家に居ました。
申し訳ない気持ちがどんどん大きくなって部屋からでるの時間も減りました。
その後に3学期に1度だけ登校しました。
教室ではいじめた子たちが私を見て「筆箱まだ同じの使ってる」と笑ったあと後ろでずっと悪口を言っていました。1時間目で帰ることにしたら担任が嬉しそうに「今日は職員室で皆でバンザイをしましたよ!」と笑いました。今私が悪口言われてるの聞いてましたよね?それはどうでもいいことですか?と、悲しくなりましたがそこでもう学校に来ることはないだろうと思いました。
文化祭も修学旅行も卒業アルバムも卒業式もないのが私の中学時代でした。

高校は通信制の学校を受験して合格しました。
自分の顔がコンプレックスになっていて鏡もみたくないのに全員で入学写真は映らないように下を向いて顔を隠しました。
高校生になってからは自分が人より劣っているとかんじて、朝の7時から22時まで必死に勉強をしました。同時に周りの子が痩せていて可愛いような気がしてダイエットをして47キロカラ4週間位で12キロ痩せました。
体は常に寒くて服を重ね着して座ると骨が痛く、肌もボロボロになって生理も止まりました。

その頃になると自分の感情のコントロールがきかず、何故か悲しくて泣きわめいたり、でも休むという選択肢はできなくて頑張らなきゃいけない。もう次はないからもっともっと頑張らなきゃと自分を追いつめる日々でした。でも途中で血便がでるようになってストレスかなと思いましたが、ストレスで血便はでないと言われ病院に行ってすぐに明日検査すると言われました。
病名は潰瘍性大腸炎でした。それでも私にとって重要だったのは勉強とダイエットだったので入院はしませんでした。
でも状態が外出もできないほど悪くなったので入院することになりました。1回学校に入院のバーコードのようなものを手首につけたまま通学もしました。この頃同じ病院の心療内科に通いはじめました。

試験を受けるために勉強を頑張りましたが、その時に自分が試験に対して凄く恐怖心を持ってることに気づき受けることができませんでした。
その後先生に説得されて追試で受けて前期のテストは合格しました。
結局後期はどうしても試験が怖くて受けることができず単位はとれませんでした。

それから休学して3年生になるころに復学しましたが、すぐに行かなくなりました。

その後は高卒認定をとりました。大学に行きたかったけど学費の面で諦めました。仕方がないって言い聞かせました。
20才の頃からバイトをしました。でもバイトをすると税金や年金や保険料で働けば働くほど貧しいのに出ていくお金が多くて厚生年金に入れてくれる会社でパートをはじめました。
そこではもう10年以上働いてるパートの方が多くて色々なことを言われました。仕事の注意ではなく私の生活などに対するただの悪口で部門の社員も他のパートに対しては言えないから私に対して八つ当たりを沢山しました。

ストレスが大きくなりこのままではおかしいのがさらにおかしくなると思って正社員の方に辞めたいといいましたが、辞めさせてはくれなくてどんどん追いつめられました。「心の病気なんてないんだから脳波をはかってこい。」とも言われました。
しばらくして仕事中に過呼吸を起こして、見て見ぬふりをしてた人が辞めるのを店長に言い行く機会をくれました。体調を崩してしまっているので辞めたいです。と言ったら、「やる気ないんでしょ」と言われて退職届を書いて帰りました。

次のアルバイトの面接を受けて合格した時に急に怖くなりました。これって次ダメだったらどうしたらいいんだろう。そう思った時にもうどうしたらいいのかわからなくて、ただ不安が溢れてどうしよもなくなりました。気がついたら自室の窓から落ちていました。

その後は普通に働くのは無理だと思い障害者手帳を取得して就労支援にも行きました。やめた後に元指導員の方から性的被害にあいました。

就労支援のB型で保育園と小学校が一緒だった子のいじめ加害者の親が指導員とし働いていました。気づいたのは偶然でしたが、その子が亡くなった話になって指導員の方の子どもが同じ中学で同学年だと言うと「息子にLINEする!」と楽しそうに言ってきました。「そんな奴いなかったって言ってるよ!」「すぐ辞めたヤツだって!」楽しそうに私に話してきました。
「まあ親が知らないことってあるしね!」「うちの息子いじめてたのかもね!」ゲラゲラ笑って楽しそうでした。ひとが苦しんで苦しんで亡くなったのに亡くなってからも踏みにじられるんです。私は自分のことをいじめた人が反省してるなんて期待は少しもないし、きっと覚えてもいないと思っています。でも私の夢には今でも同時の姿で同時と同じように罵って笑っています。いつになったらこの夢はみなくてすむようになるんだろうといつも憂鬱です。その位辛かった思いをしました。

もし私が他の人に「あの時○○達にいじめられてたよねー!」と言われたら「え!誰それ?!」
「そんな人居たっけ?覚えてない笑」って言える日はきません。そんなふうになれたら良いのに。

頑張ってもまだ頑張りは足りないようで、自分を認めることもできずにこのまま生きてくんです。
きっと自分を好きになれず消えたい気持ちを抱えて何より怖い明日がきます。どうしたらいいかわからなくてどうにかしたくて頑張ってダメな時死を選ぶのだと思います。

感想1

経験談の投稿、ありがとうございました。

この経験談を読んで、いじめが無くなる日って、来ないのだろうかと考えてしまいました。
「私は自分のことをいじめた人が反省してるなんて期待は少しもないし、きっと覚えてもいないと思っています」という文章を読んで、いじめる側といじめられる側で同じ人間なのに、いじめる側はきっと覚えてなくて反省もしてなくて、いじめられる側がずっと辛さを抱えたまま過ごさなければいけないという状況が今も昔もきっとこれからも続いてしまうんだろうかと思うと、悲しくなったし切ない気持ちになりました。同時に、勝手ながら悔しいという気持ちもあります。経験談を読んで、言葉では言い表せないほど、辛い気持ちを抱えながら過ごして来られたことが伝わりました。(いじめる側にも、色々な人がいて、自覚しながら反省をして生活をしている人も中には居るかもしれないとも思いますが…)

また、いじめる側といじめられる側で同じ人間なのに…と思う反面、同じ人間でも一人一人違うとも思っています。出会ってきた人も、環境も、性格も違う中で、価値観の違いや性格の不一致からいじめに発展してしまうこともあると思うからです。

学生時代のいじめに対して、先生や周囲の大人へSOSを出していたにも関わらず、なんの解決にもならない対応のみでは、人を信じられなくなったり、人が怖くもなってしまうのも無理はないと思います。自分を追い詰めて、たくさんの葛藤をしながら、中学〜高校〜社会人になったのだろうと想像しています。

大人になっても、周囲の人間関係に悩み、思いを聞いてもらえなかったり、相談しても我慢を強いられてしまうような環境があり、学生時代のいじめから大人になっても人と接するのが憂鬱になったり辛い思いをされて来られたということが伝わりました。
この経験談を読んで、いじめや「やる気ないんでしょ」といった一方的な決めつけのような言葉をかける人は、多かれ少なかれ存在していて、無くすことは難しいのかもしれないと感じました。

それはやはり、自分も他人も、一人一人違う人間だからです。また、その人が思う辛さとまた別の人が思う辛さは、種類も量も様々なため、しっかり相手のことを理解しようとしないと、気付かないうちに傷付けていたり、相手に対して自分がどれだけ傷付いているかを知らせることも難しいと私なりに考えました。じゃあ、私たちに何ができるのだろうかと考えると、誰かがそばに居て話を聞いて気持ちを受け止めることが大事なように思います。当時の学校の先生の「人生楽ありゃ苦もあるさ!」は、あまりにも大人としても、先生としても、掛ける言葉が無責任すぎると感じてしまいました。社会人になった時の正社員さんからの言葉「心の病気なんてないんだから脳波をはかってこい。」も、苦しんで沢山悩んで出したあなたの気持ちは全くと言っていいほど、分かろうともしていないし、寄り添う気持ちもないように感じても無理ないし、どうしたらいいのかわからなくなってしまうのも当然なように思います。

あなたには、あなただからこそ、人が苦しんでいるというのが分かって、その苦しめている人間を忘れることは出来なくて、それも苦しい理由の一つだと思うけれど、その人を忘れて無かったことにするなんてことは出来ないし、無かった過去にはしたくない気持ちもあるのではないかと想像しました。「覚えてない笑」って言えるようになれたら良いのに…という思いは、もう頑張りが限界を超えて辛さを抱えていくのも限界であるために、今は消したい過去として思われているのかなと想像しています。(私の勝手な想像です。間違っていたら、すいません。)
気持ちを受け止めてくれる人を探すのは、簡単なことではないとも思いますが、死にトリに来てくれて、今までの思いや経験を投稿してくれて、あなたの気持ちを想像しながら、この感想を書きました。今は、気持ちを吐き出したり、あなたのことを受け止めてくれる人はいらっしゃいますか?頑張ることを他人から強いられるような環境ではないところに居れてますか?もし良かったら、また死にトリにも来てほしいと思ってます。経験談という形でもいいし、他のコンテンツでもいいし、あなたの気持ちを吐き出しやすい場所(他にも匿名でできる電話相談やSNS)で、少しづつ気持ちの整理ができると良いなと思ってます。「怖い明日」が少しでも怖くなくなるように、一緒に考えていきたいとも思ってます。

感想2

中学生から社会人まであなたが経験した、いじめやハラスメントについてその時々の事を思い出しながら書いてくれたと思いますが、色々思い出して文字に書き起こすことは苦しかったのか、それとも経験として共有することで少し楽になる感覚があったのかどんな気持ちになったかな…と思って読みました。

いじめなどの暴力を受けたことはもちろんのこと、守られなかった経験がさらにあなたの心にダメージを残したのではないかと思いました。でもあなたのご家族は、あなたが受けたいじめやこころの状態を理解して見守っていてくれたように想像しますが、一方であなたは申し訳ない気持ちでいっぱいだったんですね。高校受験以降は、身体を酷使しながらも現状を何とか変えようとして頑張ってきたこれまでだったのかなと私は思いました。入院したころを想像しましたが、自分でも身体の状態がうまく把握できなかったり、コントロールがきかないような心理状態もあったのではないでしょうか。(いま読み返したら経験談の中でも泣きわめいたり、コントロールがきかないと書かれていましたね。パニックのような状態だったんですね。)

私は、経験を通したあなたの必死な思いや苦しさみないなものは経験談には書ききれないほどあったのではないかと思います。それを考えると暴力の二次被害についても考えさせられました。もう少しひとに想像力があったらと思いました。目の前のひとが体調を崩したり、身体が動かなくなったり、うまく生活ができなくなった時に「なぜだろう?何かあったかな?」と想像を働かせられたらハラスメントにハラスメントを重ねることは少しは減るのに…と考えを巡らせていました。例えいじめやハラスメントを受けてもそれを回復できる機会がもっと社会に当たり前にあって欲しいと思います。死にトリでのこういう対話もそのひとつの機会になればと思っています。

「私の」というタイトルでしたね。
私の人生…私のこころ…私の存在…経験談を読んで色々な”私の”が浮かびました。
怖くない明日はなかなか無いのかもしれませんが、怖くなさそうな明日が来ることを願いながら引き続き死にトリへの参加をお待ちしています。

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