経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

誰の人生なのでしょうか

今日、初めてリストカットっぽいことをしたので、記念に投稿します。
適応障害で大学に行けなくなって約二年、もう働こうかなと思って、やっと面白そうな仕事を見つけました。資格を取ることでより仕事の内容がわかると思って、資料請求をして、届いたものを読んでいました。
そしたら母親に、こんなの仕事にならないと言われました。私はカッとなって、資料をへし折って捨てました。

物心ついたときから、母親は気性が荒く、自分の気に食わないことがあると、声を荒げていました。私は無意識に「言うことを聞かないと殺される」と思って、習い事も受験も何もかも親の言いなりにしてきました。母親の好きな色が白だったら、自分も白と言わなければならないし、母親の嫌いな食べ物は、自分が好きな食べ物でも、食べることが許せれませんでした。幼稚園の頃、算数のドリルをやらされ、全く分かんないでいると、殴られました。小学生の頃、兄に熱湯をかけられたり、暴力を振るわれたりしましたが、親に助けを求めても、「無視しなさい、反応するお前が悪い」と言われるだけで、何も解決されませんでした。全く知らない高校でも、親がいいと思えば、そこに行かなければなりませんでした。文理選択では、「理系に行かないと金を出さない」と言われたので、理系を選びました。
大学も親が決めました。一ミリも興味のない学部に行きました。僻地にあるところだったので、寮生活を送りました。私は初めて一人になりました。
まもなく、私は趣味を持ちました。絵を描くことと楽器を弾くことでした。今まで趣味はありませんでしたが、絵を描いたり、楽器を弾くことで、自分の持つ世界が明確になっていくような気がしました。
しかし同時に、現実との大きなギャップに気がつきました。
絵を描いたり、楽器を弾いているときは、自分の世界に籠っていられますが、現実は、空虚で実態のないものだったからです。要は、親の言うことだけ聞いて、ここまできてしまったことに気づいたのです。
地獄だと思いました。本当にやりたいことは何なのか、とか、こんなところにいたくないとか、一日中考えました。でもはっきりしませんでした。そのうち、考えすぎて、動けなくなりました。大学も行かなくなりました。
一日中ベットの上で寝そべって、起きてから寝るまで考えていました。というより、脳みそが勝手に考えていました。悪い夢も見ました。妙にリアルで、怖い夢でした。昼夜逆転生活になって、食事も味がしませんでした。体がものすごく重く、周りは真っ暗でした。
このままだとふらっと死ぬ気がする。そう直感して、やっと精神科に行きました。三年かかりました。
親同伴で精神科に行きました。適応障害と言われました。そして、医者は「自分の納得のいく進路を選ばないと、また繰り返しちゃう」と説明してくれました。
私はこれで親もわかってくれるだろうと思いました。でも、一年通っても、二年通っても、いくら医者に説明されても、何も変わりませんでした。自分の趣味に対しても、下手くそだとか、失敗作だねと口を出し、嘲笑いました。精神科に行くのも無駄だと思ってやめました。
私は、疲れました。結局、自分の人生を生きることは許されないのだと思いました。だったら、あと何年生きようが、親に支配され続け、こんな思いをし続けるんだったら、死んだほうがマシだと思いませんか。

資料を捨てた後は、自分の部屋で、ハサミで手の甲を切りました。落ち着くまでやっていました。

感想1

タイトルの「誰の人生なのでしょうか」という思いが強く伝わってきました。まさにこれまでは自分の人生ではなく、親の言いなり人生だったといってもいいと思いました。でも、一方では紛れもなくあなたはあなたの人生を送っているとも思いました。なぜならば、適応障害を起こしたり、これだけ苦しい思いをしているということは、あなた自身の意志や心が「こんな人生は耐えられない」と異議を唱えていると感じたからです。母にいくら押し付けられても、否定されても、絵を描くのが好きで、楽器を弾くことが好きで、やりたいことを考えて、体が動けなくなり、食事の味も感じられなくなっているのは、譲りたくない、譲れないあなたの存在があるからだと私は思いました。
だからこそ、とても苦しいし、しんどいのだろうと思います。やりたいことがあるのにできない、自分らしくいたいけれど、否定される、押し付けられる、それはとてつもなく苦しいことだと思います。その中でここまで自分を失わずに苦しい中でも生きてきたことを思うと、心から敬意と労いの気持ちが湧き上がりました。そして、その気持ちを書いて送ってくれたことにも、意志と存在の強さを感じ、つながってくれて良かったと思っています。
大学に行けなくなって二年たったと書いているので、18歳は間違いなく超えていると思われます。今からでも遅くないので、親から離れて自分の人生を送るという選択肢を考えたことはありませんか。現実的な困難はあるかもしれませんが、サポートする人たちもいますので、希望すれば道はあると思っています。
死にトリとつながって、家族から離れた人もたくさんいますので、必要だったら教えてください。また、自分のやりたいことや苦しさを出すことは自分が自分でいるためにとても大切な作業だと思っていますので、どんどん書いてもらいたいと思いました。
最初にリストカットっぽいことをした記念日と書いてくれましたが、私にはあなたが自分であることを強く表明した記念日だと感じました。死にトリはいつでも待っています。

感想2

母親が“全て”の中でずっと過ごしてきたこと、そしてその事実に気づいてからの葛藤や様々な思い、個人的に他人事とは思えない感覚で読ませていただきました。
仮に無意識でも「言うことを聞かないと殺される」と思いながら日々過ごすのは心が休まる時間なんてなかったでしょうし、助けを求めてもまともに取り合ってもらえないことへの失望や、でもいつか自分に寄り添ってくれたり理解してくれる時がくるかもしれないという期待もどこか抱いてしまっては裏切られることを繰り返してきたのではないかと想像していました。「親の言うことだけ聞いて、ここまできてしまった」ことに気づくまでは、感覚も麻痺していてそもそも自分のことを考える余裕もなかったのかなと感じます。寮生活をきっかけに一人になったことで、ある意味解放され自分の好きなことや興味のあることを手に入れられたはずなのに、それがかえって現実を気づかされる要素となってしまった・・・そして現実に気づかされた時の感情が一番やり場に困るものだと私も同じ経験をして感じることです。私も、母親に縛られてきた人生なので、物理的に関わることがなくなった今でもその影響によって苦しめられています。正直自分がどう生きたらいいのか分からないですし、考えすぎて身体が動かなくなってしまうこともあるので「結局、自分の人生を生きることは許されないのだと思いました。」という言葉にはすごく共感できますし、「死んだほうがマシだと思いませんか。」という問いに、安易にそれを否定するような言葉、私は出てきませんでした。
今抱えている苦しさや辛さ、この先もずっと続くことかもしれません。それでもタイトルにもある「誰の人生なのでしょうか」という問い、ここに書かれている投稿者さんの思いも含めて“自分の人生を生きる”という選択肢が少しでも実現できるためにはどうすればいいのか一緒に考えたいなと勝手ながら思いました。また良ければいつでも死にトリに投稿者さんの声を届けてほしいです。経験談の投稿ありがとうございました。

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