経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生と死の狭間

上手く話せるか分からないですが話せることを話していきます。文章もめちゃくちゃになるかもしれません。ごめんなさい。
私は少し前に23歳を迎えました。
今までちゃんと意志を持ってきたことが少ない人生でした。
親の言う通りに生きて頑張った末に成人を迎えた途端パッと手を離されたようなそんな感じです。
親からは、暴力は控えめだったのですが、精神的な攻撃を受けることが多く、長女ということもあって周りの子よりも門限、服装、礼儀、他に親独自の価値観を背負わされることが多かったです。幼い頃はそんな親でも好きだと思っていました。
高校生になって、普段からあまり遊びに行きたくても行けず、門限を破れば物が飛んでくるような生活で周りから貴方の親おかしいよと言われるようになってから違和感を覚えました。
父が古い価値観が強い人で、自分の気に入らないことは認めない人でした。
そんな人と結婚していた母はヒステリックになりやすく、気分で発言が変わるので対応が大変でした。
母はご飯を食べたり食べなかったりしたので夜ご飯の準備の際、食べる時に自分でお皿を用意してもらおうと敢えて出さなかったことがありました。
すると私は食べるなってことか?もういい!死ね!と激昂しご飯を食べませんでした。
その事が怖かったのでお皿を用意すれば私は食べないから出すな!と怒られていました。
どうしたらいいのか分かりませんでした。
今思えば私が生きてるうちに色んな選択肢が出る度に上手く選択することが出来ないのはこの影響もあるかもしれません。

母親の口癖は早く働け、高校なんて本当は行かせたくなかった、交通事故にでも合って死んでくれないかな〜、保険料入るし慰謝料ふんだくってやるのに、子供なんていらなかった、お前らは私が育てたんじゃない、勝手に育ったんだ
といったものを始めとしたものが多かったです。毎日誰かが口論していて、人格を否定されていました。

周りには言えていませんが小学4年生から高校1年まで父から性的虐待をされていました。
処女は守れていましたが、それまでのことは色々強要されていて家族にも内密で我慢していました。
父は私が忘れているとでも思ってるのでしょうか、当たり前のようにテレビでの性的虐待のニュースで怒っています。
私だけトラウマを抱えている事が悔しいですね。
それでも専門までは通わせてくださいました。贅沢な事だと思います。

けれど私が専門学生になって数ヶ月後、父がうつ病と診断され休職し、その後両親は離婚、お互いに即相手が出来たりと困惑することが多かったです。
その時から大人という存在が信じられなくなりました。
誰も助けてくれないし頼れない。
そのまま大人になり、就職。けれど社会とのギャップが大きく直ぐに退職してしまい、その後はバイトや派遣を転々として数ヶ月前にやっと準社員という立場ですが就職しました。

しかしやはり生きることに肯定的になれません。
毎日劣等感としんどさみたいなものと闘っている気がします。
週5残業ありで働いて手取り10万円。
好きなことや目標もどんどんすり減って好きだったことにも一切手がつかなくなりました。ゲームなどの娯楽も出来ません。
ボーッとすることが多く、常に寝ていたいです。
引きこもれる方が心底羨ましくて仕方ありません。
当人の気持ちなんて考えずにこんなことを思ってしまうんです。つくづくクズな人間だなと思います。

周りに少し、しんどいと話してみてもみんな同じだよ、分かるよ、その肯定的な言葉に喉が閉まって苦しいです。
周りが苦労してることなんて分かってるんです。私より苦労して生きている人も沢山いるはずです。
でもだからといって私が幸せだったわけじゃありません。
私だって弱音を吐きたい。それでもその言葉は受け止めて貰えない悲しさがあります。

結局自分のことしか考えてなくて、私はなんのために生きているのか分からず
人生はそれを探すためにあるのかもしれませんが、もうそんな気力ないんです。
しんどいんです。

つい最近親族の葬儀に参加しました。
初めて死に触れました。
葬儀から火葬までの1連を見ました。
どうしていいか分かりませんでした。
天国も地獄もあの世があるかも分からず生きていて、無になるのは恐ろしくて、怖いことだけは分かっていて、私は何も出来ずに骨になるのかと考えたらそれは嫌で、かといって私になにかうみだせるのかと考えてみても何も浮かびません。

常に生と死の狭間をさまよっているようなそんな感覚です。

仕事が終わって家に帰れば常に色んな不安が押し寄せて、動けず何も出来ずに一日が終わる。毎日その繰り返しでつらいです。

働きたくないというよりは好きなことで働きたい気持ちが叶わず渋々働いているのがつらいんでしょうね。

ここまで書いても自分のかきたい事が分かりません。
きっとこの先もごちゃごちゃのまま生きていくしかないんでしょうね。
嫌だな。しにたいな。消えたい。

最近目眩も頭痛もほぼ毎日で、胸が常に緊迫状態、それでも周りは頑張ってるから私も休む訳にはいきません。
周りだって休みたいのに私が休んだらいけないんです。

生きる目標も失って、やりたいこともなく、消費を繰り返すだけなら早いところ消えたいなと思います。

感想1

経験談の投稿、ありがとうございました。

「親の言う通りに生きて頑張った末に成人を迎えた途端パッと手を離されたようなそんな感じ」と表現されていて、この一言から、“親さんの希望や期待に添えるために抑圧された環境に耐える生き方から、突然全く知らない別世界に放り込まれ、自由を手に入れたのか、それとも知らない世界の中で今までと違う生きづらさを感じている“ような気持ちなのだろうと私なりに解釈し想像しながら、この経験談を読ませていただきました。

母親さんとの関わりでは、母親さんの機嫌を損ねないために行動することを常に強いられていて、その選択が母親さん的に間違っていたら、全て不正解として捉えられてしまい、その回答の背景を教えてくれないまま、人格を否定される言葉を掛けられ続けており、本来親子という関係であっても一人一人の人格を持った人間であるということに変わりはないのに、あなたばかりが辛い思いをしなければいけなかったのは、当時を想像するとよく生き抜いて来られたなと感じずにいられませんでした。それほど、この経験はあってはならないことだと思ったし、この後のあなたの人生に影響を与えていても無理もないような出来事だと思ったからです。大人であっても子供であっても、それぞれに人格があり、意志があって、考えがあるということを、当時の母親さんに声を大にして言いたくなったし、当時の周りの大人があなたが辛い気持ちを抱えて過ごしていることに気付いて何かしら手を差し伸べられていれば…と感じずにいられませんでした。

同時に父親さんからの性的虐待についても、なぜあなたがトラウマとして一人で抱えていなければいけないのか。周りには言えていないということですが、自分から誰かに相談をするというのは非常にハードルが高かったのもあるし、母親さんのこともあって、SOSを出せる大人が身近にいなかった、もしくはその時から相談することを諦めてしまうほど、あなたの心は大人に支配されていたために、大人という存在が信じられず、自分の気持ちに蓋をして過ごされていたのではないかと勝手に想像しました(違っていたらすいません)。私もあなただけがトラウマを抱えていることが悔しいと勝手に感じています。

そのまま大人になったということですが、幼少期に人格を否定され、大人を信じられないといった経験が積み重なったままでは、大人として社会に出る準備もさせてもらえないままだったのではないかと想像します。さらにトラウマも抱え続けているということで、「生きることに肯定的になれない」というのも無理もないと感じています。
「なんのために生きているのかを探す気力もない」ということですが、『なんのために生きているのか分からない』と思うきっかけが母親さんや父親さんなどの他人ならば、「今は自分のことしか考えられない」というのは、やっと自分のことを考えられるような気持ちになれたということではないかと私は感じましたがいかがでしょうか?
周りと比較して、“自分も頑張らなくてはいけない”“私より苦労している人がいる”と考えながら、仕事も生活もこなされてきたことが伝わりました。辛さやしんどさは、周りと比べるものではないと私は考えていますが、あなたが辛さやしんどさを今までたくさん抱えてきたからこそ、他人の辛さやしんどさも考え、予想ができるために、今は(もしかしたら過去も)自分よりも他人のことを考えているのかなと想像しています。また、周りからの肯定的な言葉も、関係しているのかもしれません。

『これからなんのために生きていくのか』を探すのは一人では難しいことがある気がします。また、私はその理由や目標は明確でなくてもいいと思ってます。
でも、もしかしたら私たち人間には、「なんのために生きているのか」を心のどこかにずっと置いていて、日々を過ごしていく中のある一瞬でその答え合わせをしている気もします。(分かりにくくてすいません。)
今はその理由や目標が分からなくても、その一瞬はある日突然やってきて、その一瞬一瞬の積み重ねが「なんのために生きているのか」に繋がっていくような…(やっぱり、分かりにくいでしょうか?)。
生と死の狭間で、考えや気持ちがぐるぐるしている様子(「彷徨っている」とあなたは表現してくれました。)が伝わり、この経験談を読んで私もぐるぐるしながら、この感想を書きました。このぐるぐるは、悪いぐるぐるではなくて、死にトリ(「死にたい」のトリセツ)について深く考えられるぐるぐるだなと感じています。
もしよかったら、あなたの気持ちをまた聞かせてほしいし、死にトリの他のコンテンツにも参加してほしいなと思ってます。

感想2

投稿ありがとうございます。タイトルの「生と死の狭間」もそうですし、表現が豊かなことに心惹かれました。特に「肯定的な言葉に喉が閉まって苦しいです」という表現が印象に残っています。自分の存在を確かに感じながら、だからこそ辛い現実から受けるダメージや苦しさも逃れられないものとして感じているのではないだろうかと推測しています。最初に「今までちゃんと意志を持ってきたことが少ない人生」と書いていましたが、文章の隅々から自分が自分であるという感覚は確かであるように感じられました。そうした感覚がある中で、自分の意志を出さないように、他者に委ねて生きる選択をしたのですから、生きた心地はしなかっただろうと想像していました。意志は委ねることができても、あなたの中にある「自分である感覚」がずっと、自分は自分だ、誰にも侵略させないぞと頑張ってきたように感じました。私は自分を簡単には譲らない強さを持つ人たちが、自分よりも強い力を前にした時に屈しないことで、厳しい現実に傷つけられるように感じています。私は、あなたの経験談から意志や存在感を感じ取りました。だからこそ苦しい思いをしてきたのだろうと思うと、これから何とか生きてきたことに心から敬意を抱いています。
子ども時代の厳しい環境を生き抜いた今、働くことがしんどく、不安を抱き、好きなことを楽しめないし、目眩や頭痛などの身体症状が出るのも無理はないし、むしろ正常な心身の反応だと思いました。できれば休んでもらいたい気持ちになっています。でも、現実は働かなければ生活が行き詰ってしまうリスクがあると思えば、何とか働き続けるしかなくなり、それは絶望的な気持ちになるのもちっともおかしくないと思います。
本来、子ども時代に保障されるはずの権利が侵害されたことによって受けたダメージを回復させ、逃してしまった成長の機会のやり直しをする必要があるのに、その負債をあなた個人が一手に引き受けることは理不尽だと思います。あなたに非はないと思います。そして、一緒にダメージからの回復と何歳からでも成長を保障する社会にするための方法を考えたり、できることをやりたいと思いました。
もしも、よかったらまた死にトリに来てください。そして、あなたが感じてきたことをもっと教えてください。書きたいことがわからなくても、まとまっていなくてもいいです。一緒に考えたいと思います。

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