たぶん、ただの甘えなんです。少し嫌なことから逃げたいだけなんだと思います。期待から、気まずさから、面倒なことから、全部から逃げたいです。でも全部そうかと言われると微妙で、そんな中途半端でいて何もできなくなってしまう自分が情けなくって、本当に嫌いです。
ある時に死にたいほど落ち込んでいて話を聞いてもらいたくて、少しだけ楽になりたくて、でもその気持ちを誰かに相談しようとするとなぜか毎回泣いてしまいます。そんなこんなで号泣しながらですがカウンセリングも試してみました。結果論ばかりで余計つらくなってしまいました。結局慰めと許しが欲しいだけなんです。
普通で居たい自分と怠惰でいる免罪符が欲しい自分が混在していてどうしたらいいか分かりません。なんか、生きるのって難しいです。
感想1
たぶんから始まる経験談ですが、自分を責めたり、葛藤したり、向き合おうとして辛くなったりして1人でぐるぐると考えているあなたの姿を思い浮かべました。誰かから期待を向けられて、でもなかなかそのひとの期待通りには行かなくて気まずいのでしょうか。想像してみたのですが、あなたに期待を向けるのは家族ですか?それとも自分が自分に対してですか?本当にしんどい時にただただ気持ちを話してみたかっただけなのに、正論や一般論を言われたとしたらそれはもう傷に塩を塗られたようなものです。私はあなたが甘えているとは思えません。ひとは期待される前に自分の意思や希望を尊重されて、応援される経験をたくさんすることの方が大事だと私は思います。他者(例え家族でも)からの期待って一方的な場合が多くてそこに本人の本当の意思が反映されていることは少ないからです。あなたの場合はどうでしょうか。小さい頃に慰められたり、許されたりした経験は十分にあったでしょうか。もしもそれが十分でなかったとしたら、今はたくさん気持ちを誰かに話してそれを受け止めてもらう機会が必要だと私は思います。そうすると少しずつ元気が回復して、自分のことを自分で許せるようになるのかなって思いました。経験談書いてくれてありがとうございます。死にトリでは自分の気持ちをつぶやくとりコミュとか生きづらさの理由を分析するつらチェックなど他にもコンテンツがありますから、またお待ちしていますね。