経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

何もしないでいる許しがほしい

たぶん、ただの甘えなんです。少し嫌なことから逃げたいだけなんだと思います。期待から、気まずさから、面倒なことから、全部から逃げたいです。でも全部そうかと言われると微妙で、そんな中途半端でいて何もできなくなってしまう自分が情けなくって、本当に嫌いです。

ある時に死にたいほど落ち込んでいて話を聞いてもらいたくて、少しだけ楽になりたくて、でもその気持ちを誰かに相談しようとするとなぜか毎回泣いてしまいます。そんなこんなで号泣しながらですがカウンセリングも試してみました。結果論ばかりで余計つらくなってしまいました。結局慰めと許しが欲しいだけなんです。

普通で居たい自分と怠惰でいる免罪符が欲しい自分が混在していてどうしたらいいか分かりません。なんか、生きるのって難しいです。

感想1

たぶんから始まる経験談ですが、自分を責めたり、葛藤したり、向き合おうとして辛くなったりして1人でぐるぐると考えているあなたの姿を思い浮かべました。誰かから期待を向けられて、でもなかなかそのひとの期待通りには行かなくて気まずいのでしょうか。想像してみたのですが、あなたに期待を向けるのは家族ですか?それとも自分が自分に対してですか?本当にしんどい時にただただ気持ちを話してみたかっただけなのに、正論や一般論を言われたとしたらそれはもう傷に塩を塗られたようなものです。私はあなたが甘えているとは思えません。ひとは期待される前に自分の意思や希望を尊重されて、応援される経験をたくさんすることの方が大事だと私は思います。他者(例え家族でも)からの期待って一方的な場合が多くてそこに本人の本当の意思が反映されていることは少ないからです。あなたの場合はどうでしょうか。小さい頃に慰められたり、許されたりした経験は十分にあったでしょうか。もしもそれが十分でなかったとしたら、今はたくさん気持ちを誰かに話してそれを受け止めてもらう機会が必要だと私は思います。そうすると少しずつ元気が回復して、自分のことを自分で許せるようになるのかなって思いました。経験談書いてくれてありがとうございます。死にトリでは自分の気持ちをつぶやくとりコミュとか生きづらさの理由を分析するつらチェックなど他にもコンテンツがありますから、またお待ちしていますね。

感想2

気持ちを書いて送ってくださり、ありがとうございます。大変興味深く読みました。「許しがほしい」という言葉はいつどのような形で思うことに至ったのか、とても気になりました。突如して浮かんだのか、何かきっかけがあってそう思ったのか、苦しい気持ちについて考えていたらそうした表現にたどり着いたのか、どうでしょうか。そして、私の感覚では許しは何かしてしまったことに対して願うものという理解でいたのですが、何もしないでいることへの許しがほしいというのは、特徴的だと感じました。ただ、書かれた短い文章をよく読んでみて、書いた人の思いや願いや人柄を想像してみると、あなたは何もしないでいることを望んでいるわけではないのではないかと思いました。やるべきことや、やらなければならないこと、やった方がいいこと、やりたいこと、期待されていることなどをたくさん感じ、そのたくさんの物事に対して、自分でできることは限界があることもわかって、優先順位をつけたり、人に頼んだり、断ったりなどなど、対処することに途方にくれたり、混乱しているのかもしれないと感じています。(違っていたらすみません)それは、何とかしようとするからこその悩みや苦しみであって、必要なプロセスなのかもしれないと思います。でも、それを何とか人に相談しようとしても、うまく説明できないのは歯がゆく、もどかしいことだと想像しています。
今回書いてくれた気持ちはとても素直に気持ちを表現しているなぁと私は思いました。次に誰かに相談するときにはこうして書いてみるのは効果があるかもしれないと思いました。また書くことは自分の気持ちの整理になることもあります。よかったら、死にトリの掲示板とりコミュも利用してみてください。

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