経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

死にたい


小学校の時からテストとか自習とか静かな時間になると無性に恐怖を感じてしまうようになりました。きっかけは5年生の時のテスト中におなかがなってしまったことです。それから自分の出す音に敏感になってしまい、おなかがなりそうだったりオナラがなりそうだったり、自分の話す言葉でも、自分の発する音が相手に伝わることか恐怖になりました。自習などの静かな時間は音がよく伝わりやすく、手が震えるほど落ち着かなくなってしまいます。小学生の頃は集会やテストのときに気になる程度だったのに、中学に入ってテストがみんなと受けられなくなり、高校に入ってからは授業ですらもまともに受けられず、1番前の時はずっと手が震えています。酷い時は過呼吸になりかける時もあります。でも自分から抜け出すことが出来ず、耐えるために腕を傷つけたり、痛みを与えて恐怖を紛らわそうとしています。前までは、親や先生、友達に相談できていましたが、この症状になってから人と接することも怖くなり、できるだけ人と深い関係にならないように、友達とも浅い付き合いしかできておらず、相談ができません。また親には心配をかけたくないし、心配性すぎてめんどくさくて、なかなか言えません。もう治ってきてると嘘までついてます。保健室の先生が怖く感じてしまい、先生方にもめんどくさいと思われているのではないかと不安で、誰にも相談できなくなりました。保健室という逃げ場がなくなり、気持ちが不安定になりました。。。何度か病院に行ったり、カウンセリングを受けても治らず、もう誰に相談したところで無駄だと思っています。誰も私を助けてくれないのなら、病気が治らないのなら生きていても辛いだけだと感じてしまいました。テストも普通にうけられないので、受験が心配です。学校でも塾でも勉強に集中できなくて、なんて私だけ…って思ってしまいます。体調だけでなく、勉強も運動も対してできず、自分のいい所も見つけられず、生きてる意味がわからなくなってきました。学校をやめて自由になりたいけど、頑張って入った学校なので、後悔したくなく、辞めれません。何度も死のうと思いました。死のうとしてみました。でも痛みを味わうのが怖くて最後の勇気が出ませんでした。助けて欲しいです。体調を直して欲しいと言うよりも、生きている希望を与えて欲しいです。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。小学校5年生の時の出来事がきっかけで、ずっと緊張感や恐怖感を抱きながら集団生活を送るのは苦痛ですしよく耐えてこられたなと私は感じました。誰にも相談できず一人で抱えることしかできない環境の中のしんどさもすごく伝わってきます。お腹が鳴ること、ガスが出ることなどそれは生きている上で当たり前のごく自然な生理現象であるのに、それが恥ずかしいこととして周囲から捉えられてしまったり、見られてしまう雰囲気は個人的には嫌だなというかおかしいなと感じますし、なぜなんだろう?とも思います。(もちろん時と場合によってはマナーというものはあるかもしれませんが・・・)
自分の出す音に敏感になってしまったこと、酷い時は過呼吸になりかけるともあったので投稿者さんにとってトラウマになるほどの出来事だったのかなと感じますが、もしかしたらこのことをきっかけにする前から、周囲にどう見られるかや集団生活の中でどこか気を張りながら過ごしていたのではないかなと想像していました。身近に頼れる先や逃げ場がないとなると、腕を傷つけて恐怖感を紛らわす行為も自分を守るためには投稿者さんにとって今は必要なことなのだとも思います。こうして経験談に抱えてきた(いる)思いを書いてくれたことをきっかけに死にトリが投稿者さんにとって少しでも安心できるつながりであればいいなと思いますし、投稿者さんにとって何が生きている希望となるのか含めて一緒に考えたいなと私は思いました。またいつでも死にトリにきてくださいね。お待ちしています。

感想2

小学5年生になると色々なことがわかってきて、周りのことが気になって、何もなくても自分がどう見えているのか気にする時期なのかもしれません。お腹の音が鳴ったことがきっかけになったようですが、その前から何か自分でも気付かないこころのどこかに不安や心配があったのでしょうか。影響がずっと続いていて、先も見えない状況なのかなと思います。そこで私は何があなたの希望になるのか考えてみました。例えばですが、あなたのいまの悩みを理解しながらかかわってくれるようなひとや少人数のコミュニティをSNSでもつのはどうかなと思いました。きっと学校には何とかあなたなりに気持ちに折り合い付けながらぐっとこらえて行っているんだと思います。それ以外に話せるひととつながっておくのはどうでしょうか。それが希望になるかわかりませんが、時には本音を話したり、気持ちを持ち直したり、誰かの話を聞いてみたり…希望を見出すきっかけにはなるかもしれないと思いました。あなたがおっしゃるように体調を治すというよりも生きていることを一緒に考えるイメージです。経験談とは別にそういう機会を死にトリでつくることもできそうですので、よかったら死にトリに連絡くださいね。

一覧へ戻る