経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

弱音の吐き方がわからない

人生が終わったのは中学一年生のとき。

友人関係の悩みで学校へ行くことに強いストレスを感じ始めた。私の通っていた中学校は、一年生の時に約五日間程の長期宿泊学習があった。毎日のように親に『行きたくない』と訴えていたが、『みんな行くんだから行きなさい』と耳を貸してくれなかった。

同室だったAちゃんとBちゃんがとても仲が悪くて、夜になると喧嘩をするので物凄くストレスだったのを覚えている。私は一日のうちのどこかに必ず一人の時間がないとダメなタイプの人間だったから、その五日間はあまりのストレスに耐えきれず、毎晩夜に声を押し殺して泣いていた。
長期宿泊学習から帰ってきたあと、身体がいつもより重かった。今考えるとその時に、ギリギリで耐えていたストレスのコップの水が溢れてうつ病になったんだと思う。

昔から言葉が出にくくて苦労していたが、ネットで調べて私は吃音症という病気であることが分かった。気づいた途端に、急に周りからの視線が気になって仕方がなかった。『死にたい』と少しずつ思うようになった。中一の冬には初めてリストカットをした。

学校へ行くことが物凄く辛くなってしまって、親に『学校に行きたくない』と何回も何回も訴えたが帰ってくる返事は毎回『みんな行きたくなくても行ってるんだから、わがまま言わないで行きなさい』だった。

自分が吃音症だと知ってから、国語の本読み、日直の号令、スピーチなど、クラスのみんなの前で話すことが物凄く怖くなった。今でも忘れない。中学2年、日直で授業終わりの号令をかける時、最初の言葉が急に出てこなくなった。『出ろ!出ろ!』と必死に自分に言い聞かせたが言葉は喉の奥から一向に出てこない。隣の席の子が気を使って私の代わりに号令を言ってくれた。みんな不思議そうに私を見ていて、すごく惨めで、申し訳なくて、隣の子に『ごめん』って謝ったあとすぐにトイレに駆け込んで号泣した。

中学三年の夏休み明け、学校に通うのが限界で朝ごはんを食べながら親の前で泣いた。親も流石に異常に気づいたのか、二日間学校を休ませてくれた。私はその二日間ずっとずっと泣いていた。ヘアアイロンのコードで首を吊って死のうとした。吊って数秒後、頭がモワモワし始めて、あまりの恐怖に首からコードを外して『自分は死ぬ勇気もないのか』と息もできないほど大泣きした。その後は週一で特別教室に通った。

私が学校へ行きたくない理由は、先生にも親にもなんとなく本当のことを言えなかった。本音を話すと涙が止まらなくなるから。クラスの子はみんな優しくて、いじめなんてされなかった。自分が周りを気にしすぎて、自分で自分をダメした。

教室へ戻れなくなった私を見て、親がしぶしぶ通信制の高校へ通うことを認めてくれた。元々通信制へ通いたかったのですごく嬉しかった。
うつ病が少しマシになるかと思いきや、高校一年でバイト先を間違えて修復不可能なぐらい心がズタボロになった。接客ありのバイトで、吃音持ちの私は毎日毎日物凄く辛い思いをした。調子が良い時は言葉が出るけど調子が悪い時は上手く言葉が出なくて、だけど『バイト辞めさせてください』とも勇気がなくて言えなくて、店長がお店を辞める高校二年の三月まで、私は一年半死にかけながら働いた。今でもよくそのトラウマがよみがえる。店長もお客さんも優しかったのに申し訳なかった。バイトを始める時に、吃音のことを話せばよかったと後悔した。

腕、肩、ふとももは自傷行為の痕でいっぱいになった。毎晩お風呂で大泣きした。『バイト辞めさせてください』と言えない自分に毎日自己嫌悪した。
高校三年はバイトをする気になれず、ダラダラと過ごした。もともと進学はしない予定だったので、就活をしたかった。したかったのだ。するつもりだった。自分の人生はそうやって毎回逃げてばっかりで嫌気がさす。逃げてばかりいたら、戻れないところまで来てしまった。

現在高校三年の二月上旬。未だに就活をしていません。バイト時代のトラウマが大きくて、一歩踏み出せない。面接が物凄く怖い。対策や練習も怖くてしていない。もし万が一内定をいただいたとしても、最初の職場の方への自己紹介でつまづくと思う。
周りの友達はみんな前に進んでいて、私も『ちゃんと働かなくちゃいけない』と頭では分かっているものの、恐怖で朝から晩まで毎日泣いてばかりいる。もう限界です。泣くだけで動けない自分へ自己嫌悪が止まらない。

私の人生どこで道を間違えたんだろうといつも思います。甘え方、弱音の吐き方が全く分からなくなりました。そのせいでなんでもなんでも抱え込んで、抱え込んだまま、また新しい悩みを抱えて常にパンク状態です。誰かに助けて欲しいとも言えず毎日もがき苦しんでいます。終わりも見えない、光も見えない未来に恐怖しかありません。私はこの先どうやって生きていけばいいのでしょうか。もうなにも考えたくありません。

今日も『明日が来ませんように』と泣きながら眠りにつきます。私はもう疲れ果てました。死にたいです。長文になってしまい申し訳ありません。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。投稿者さんの切実な思いや、ずっと抱えてきた辛さや苦しさがとても伝わってくるなと思いながら読んでいました。
学校のことで自分の気持ちを親に伝えたのに受け止めてくれなかった時、自分が吃音症であるとネットで分かってからの心境、バイト先で「辞めさせてください」と言えなかったことで自己嫌悪する日々、そんな投稿者さんの気持ちを考えるとよく耐えてこれまで乗り越えてこられたなと、勝手ではありますが「十分頑張ってきたのだからもう頑張らなくていいんだよ」と思ってしまいました。
これまでのことを考えると、もう何も考えたくないと思ってしまったりもう限界だと感じるのも自然な感情だと私は思います。そんな中で自傷行為だったり、たくさん涙を流すということは投稿者さんが保っていくために今は必要なことなんじゃないかなとも思いました。なのでそんな簡単なことではないと承知の上で、せめて自分くらいは自分を許してあげてほしいと思うのです。
今こうして投稿者さんの書いてくれた経験談を読んでいる間も、投稿者さんは先の見えなさから不安や恐怖感に押しつぶされそうになっていると想像して、死にトリとしてどういったことができるだろう?と考えていました。この経験談はタイトルにもある「弱音の吐き方がわからない」という思い含めてずっと言うことができなかった本音を書いてくれていると私は感じていて、もっと投稿者さんが抱えている気持ちを知りたいと思いましたし、この先どうやって生きていけばいいのか、どういったことがあれば投稿者さんがもっと生きやすいと感じられるのかなどまずは一緒に考えたいなと思いました。良ければまたいつでも死にトリに投稿者さんの声を届けてください。お待ちしています。

感想2

こころのコップから水が溢れてから5年近くが経ったでしょうか。
あなたが言葉に苦労していたのは、さらにそれ以上の長い年月だったのかもしれません。その間どれだけひとりで泣いたり、どれだけひとりで思いつめたりしたんだろうと思います。ネットの情報で吃音症なんだとわかった時には、自覚していること以外にも様々な情報が入ってきて友人や先生からの見られ方を強く意識したのかなと思いますし、これは病気だと知ったことで不安がリアルに迫ってきて怖かっただろうな…そう思いました。(お医者さんの診断ではなくネットの情報だけだったのかな?ネット情報は時々間違っている情報もあるので少しだけ気になりました)何度も「学校に行きたくない」と訴えても聞いてもらえなかった時、みんなの前で言葉がなかなか出なかったとき、限界がきて死のうとしたとき、バイトで自己嫌悪を感じて辛かったとき、そしていまに至るまでたくさん泣いて耐えてここまで生きてきたと思います。事実とあなたの考えや感情がとても分かりやすく書かれていて、自然と泣いている姿を想像してしまうくらいリアルに私に迫るものがありました。そして素直な気持ちとして、私はあなたが生きてきたこれまでに敬意を感じました。あなたの経験談には学校の友人やバイト先の店長など優しいひとが何人か登場します。それはあなたの人柄があってのことなのかなって想像しました。あなたが学校で過ごしている姿、友人への接し方、バイトをしている姿勢などそういったことを見ているからこそあなたの周りには優しいひとが多いのかもしれません。一方で人知れずあなたは自傷行為をしながら何とか必死に生きてきたけれど、コップから溢れた水を受け止めていた器までもいっぱいになってさらに溢れている…そんなイメージが私には湧いてきて、それは限界だろうな・・・と思いました。就活ができない現在の自分を強く責めているけれど、誰にも弱音を吐けず、助けてって言えないでいるんですね。そのあなたがこの経験談で“助けてほしい”と私たちに伝えてくれているように私には感じましたがどうでしょうか。実はこの感想を書いている私には吃音をもつ家族がいます。だからこそ余計に勝手なイメージをしてあなたの感じ方とはズレてしまった部分もあるかもしれません。もしもよかったらこれまでの気持ち、そしてこれからのことを一緒にお話ししてみたいなって私は思いました。チャットを使ってお話することもできますので、よかったら死にトリに連絡お待ちしています。
経験談の投稿ありがとうございました。

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