人から必要とされなくなったと感じた時、そこに元から無かったかのように、きれいさっぱり消え失せる生存本能。
食べること、寝ること、声を出すこと、元から全て出来なかったかのような…そんな感覚
それが生まれ持った性質によるものなのか
幼少期から得てきた経験によるものなのか
判断は出来ないけれど、私には愛で満たされた記憶がない
幼少期から与えられる暴力
父親からの根性焼き、氷嚢で叩かれ、熱したフライパンを押し当てられ
母親はそれを止めると悪化するからと、見て見ぬふり
「貴女が生まれてからおかしくなった。疫病神」との言葉の暴力
長男からは絶えず殴られ、次男からはロープで縛られ暴力の末左の鼓膜損傷に加え、性的虐待、それを母に訴えても「誰にも言うな」の一言。
三男は、何かあっても押し付けて逃げて、後処理は全部私。
電気ガス水道もよく止まっていた。
恥ずかしい過去でしかない。
だからこそ、外に愛情を求めた。
でも、愛されるのは見た目だけ。
褒められるのは見た目だけ。
本当の意味で愛された気がしない。
だから自分の顔が大嫌いで、でもこの顔がないと愛されなくて。
常に愛を求めて、でも満たされなくて、常に死にたくて、人を試す行動しかできなくて…結局人は離れていく。
次から次に男に愛を求めて、その行動が周りから信用を奪って、結局はひとりぼっち。
ダメだとわかっていても、必要とされないと、生きる事ができなくなる。
弱い自分を、殺したくなる。
いっその事、必要とされない方がいいのかもしれない。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
読み終えた時に、最初に書かれていた“必要とされなくなった時、無であったかのような感覚”は、これまで何度も繰り返し経験してきたものかもしれないな…と思いました。そう思うくらいとてもリアルな描写でした。幼少期からあなたに強要されてきた家族間の様々な暴力、虐待はあなたの核心部分に繰り返し強いダメージを与えてきたのではないでしょうか。過剰に愛されなくてもせめて傷をつけないで欲しいと私は強く思いながらあなたの幼少期を想像しました。容姿を褒められたり、好かれたりすればするほどそれは虚しさにつながってことになりそうです。それでもあなたが愛や承認を求めて男のひとと人間関係を結ぶことは自然なことだと思います。あなたは傷つくこともわかっていて、でもそうしないと生きている感覚を感じられないのかなとも思います。承認して欲しいという感覚は、ひとが生きるために大なり小なり誰もが持っている他者と自分を認識する為に必要な欲求なのかもしれないと私は今回改めて思いました。時々、自傷行為をしたり、リスクがある人間関係を結ぼうとするひとに対して「自分を大切にして」という声を聞くことがありますが、私はそういう気持ちにはまったくなれませんでした。あなたが経験してきたように、本当の意味で誰かに大切にされる経験がなかなかできない中で、自分を大切にするという感覚や「○○したい」という意思をもつことはなかなか難しいと思うからです。あなたは「いっそのこと必要とされない方がいいのかも」とおっしゃっていて、こんなに苦しむくらいならそう考えた方が楽なのかなと思います。私があなたと考えたいなと思ったことがひとつだけあります。それは男のひととつながる他にもあなたが必要とされていると感じられる機会を持つことができたらいいなということです。ではそれがどんな機会なのか、どんな相手なのか…については私もまだわかりませんので一緒に考えてみたいです。この経験談の投稿をきっかけにして死にトリでそれを探していきませんか?いつでもアクセスお待ちしています。