初めて死にたいと思ったのは今から約10年前、高校生の頃。親に毎日のように傷つくことを言われて、生まれてこなきゃよかったと思う毎日でした。ご飯を作ってくれなくなり、家のものも勝手に手を付けたら怒られるため、食べて生活するだけで精一杯で、友達と遊びに行ったりすることもできず、また親が厳しく部活を早退しなければいけないことも多々あり、普通の学生生活を送れないこと、親のせいでちょっと変なやつ面倒なやつと思われているのも辛く、もう死にたいと泣いた日もありました。しかしそのときにはまだ、高校を卒業したら遠方の大学に行き家を出るんだ、そうすれば普通に生きられる、という希望がありました。
無事大学に合格し一人暮らしが始まり、1年ほどは楽しく生活しました。しかしその後気づけば、毎日しんどい、自分が嫌だ、死にたい、という思いに苛まれるようになりました。一人暮らしができれば、親から離れれば普通に生活できる、変われると思っていたのに。本当に死ぬ気で手首を切り進めて、でも痛くて全然死ぬところまでには至れませんでした。学生相談所に相談した後通院が始まり、うつ状態と診断されました。
大学生の頃、人の心を考えるような専攻だったこともあり色々考えていくうちに、人間の心も物理的なものなら、自分が考えている、決めていると思っていることでも、何かの影響を受けて起こっていることなのではないか、と思うようになりました。それならば、わたしたちがどう動くのも何を思うのも、本当の意味で自分が決めていることではない、自分も他の誰かもどうにかできることではなく、もうすべては決まってしまっていることだと。すべてのことに意味や意義なんてない、と思うようになりました。
それからはずっと何にも意義や意味など感じず生きてきました。会社に努めるようになり、真面目な性格なのできっちり働いていましたが、内心向上心などなく、社会に馴染めないような感覚も感じていました。そして鬱がひどくてしんどい時期に、ふと、なんで仕事をしているんだろう、生きていたくないのに生きるために仕事をしている、という矛盾を感じ、仕事が、生きていることが、余計にしんどくなり、鬱の症状もひどくなり限界で、退職することになりました。
すべてのことに意味はないという自分の考えを変えなければ、いつまでも良くならないのではないかと思いましたが、医者には、そうではない、病気なのだから、治療していけばネガティブ気持ちも上向いてくる、と言われましたが、自分はそうは思えません。仕事をやめて休んでいても良くなることはなく、希死念慮がどんどん強くなり、今はもう、死のうしか考えられなくなっています。
死ななくても、他の道、例えば、少しでも良くなる方法、少しでも楽になれる方法がないかと思い、チャットで相談できるところなどいくつか利用したのですが、返信は同情や共感、しんどかったですね、などの言葉が多くて。私は話を聞いてもらってすっきりしたり気持ちが軽くなったりほっとすることなんて少しもない、話を聞いてほしいわけでも共感や慰めがほしいわけじゃないのに。理屈で、ただどうしたら楽になれるか、一緒に考えてくれるところとか、人とか、やっぱりいないんだなと思うと、もう余計に、死にたい思いしかなくなりました。
死のうとなると、残していくものたち人たちのとこを考えます。周りの人が悲しむから死ぬのはよくないとよく言われますが、その人たちが悲しまないために、死にたい人達がしんどい思いを続けなきゃいけないのも、酷い話だと思います。でもせめて迷惑が小さくなるように身の回りを整理しておこうか。ペットにも申し訳ない。引き取られたとき少しでもストレスが小さくなるように、これまでどう過ごしてたか細かく残しておこう。……それくらいしか思い浮かばないけど足りてるかな。
結局私はどうなるのかな。自分で死ねるのか、失敗してもっとしんどくなるのか、結局死ねず、また今みたいなことを繰り返すのか。よい結果になりますように。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
全ての事に意味なんてない 楽になりたい
感想2
制限されてしんどい思いをする環境から離れて解放されたはずだったのに、「自分が嫌だ、死にたい」という思いを持つようになり、イメージしていた状態とのギャップに驚いたのではないかと思います。
だからこそ、「どうしてこのようなことになったのか」を学んでいることも活かしながら、たくさん考えたのではないかと想像しました。
「自分が考えている、決めていると思っていることでも、何かの影響を受けて起こっていることなのではないか」という考えは私もそうなんじゃないかなぁという気がします。
というかそもそも「私」ってなに?私の中にはたくさんの細胞があって、どこからが私?どこまでが主体?などと考え出してしまって、迷宮に入ってしまうところもあります…。
因果は無数にあって、どこからどこまでが原因なのかも、ほんとうにはわからないなぁと思います。
でも意味がない、ということも絶望的というだけでもないと個人的には思ったりもします。
私はむしろ、意味がある方がプレッシャーに思ったり、意味を最大限発揮しなければ!と思ってしまったりするのですが、無意味ならば、自分がいいと思うことを自分なりにやればいいような気もしてくるからです。(これも自分なりに考えてきたことですが、ちょっと偏った持論かもしれません…)
投稿者さんが苦しいと感じるのは、苦しんでいるのに、それが役に立つものでも、意味のあるものでもなさそうだと感じるからなのでしょうか。
楽になりたいけれど、その方法を探しても見つからなくて、それならせめて意味が見出せればまだ納得がいくけれど、それもない…という状態なのかなと読んでいて思いました。的外れだったらすみません…。
そう考えると、そもそも投稿者さんには、つらい思いをどうにかしたい、解決したいという気持ちが強くあるのかなと思いました。でもその気持ちを持って利用したチャット相談などでは、解決よりも寄りそうような言葉が中心で、マッチしない感じがしたのかなと想像しました。
たしかに、短い時間の中で、初めて言葉を交わした人の困りごとをさらっと解決することは簡単ではなさそうですが、それにしても、楽になれる糸口が見つからないとがっかりしてしまうこともありそうです。
投稿者さんの思いや考えてきたことをたくさん書いてもらっていますが、いまの生活はどんなふうに過ごしているのでしょうか。
たとえば、ペットを飼っているということですが、ペットと過ごしている時間はどのようなものでしょうか。
安らげることはあるでしょうか。
死にたい気持ちでいっぱいのとき、きっと疲れていてもぐるぐると頭が動いてしまうような休まらない状態なのではないかと思います。
死にたいと思う気持ちは、脳内物質の働きの問題であり、体の問題でもあると思います。(私の場合は、体のいろいろなバイオリズムによって希死念慮の度合いがかなり変わるので、そんな実感を持っています)
投稿者さんの体は休めていますか?
すこしでも心地よくいられる瞬間、呼吸がしやすい瞬間があればいいなと思っています。
どうやったらそういう瞬間を見つけて、増やしていけるのか、一緒に考えてみたいです。
感想1
経験談の投稿、ありがとうございました。
高校生の頃からの辛い経験をお話していただき、もしかしたら振り返ることで余計に「全ての事に意味なんてない」と感じてしまいそうになる程の辛い経験だっただろうと率直に思いました。あなたがそう思うようになっても、無理もない経験だと思ったからです。
高校生の頃は、希望があったから、あなたの気持ちを裏切るというか希望通りにことが進まなかった時に、更に辛い気持ちが強くなっただろうと想像します。希望があったからこそ、当時は我慢もして、自分自身に言い聞かせ、奮い立たせていたのではないかと勝手ながらに想像しています。
大学に無事に合格し、きっとこの先の希望を膨らませていただろうと感じました。
人の心を考えるような専攻の道を選んだあなたの中には、どんな気持ちがあったのか気になりました。もしかしたら元々自分よりも他人のことを気にかけながら生活をされている方で人の心に興味を持ったのかもしれないし、もしかしたら今までの自分の気持ちについて専門的な勉強をし、辛い状況から脱する方法や本当の自分の気持ちについて考えるきっかけとして、この道を選んだのかななど、勝手に想像をしています。もしも後者だとしたら、学んでいくうちに、人の心ってその心を尊重しているわけではなく、その時や過去の人間関係や環境が大きく影響していて、希望を持っている意味なんてないじゃんって思ったのかなって私は感じました。
私は、人の心について専門的な勉強のできる学校に行ったわけではないけれど、一人の人間が希望を持つことや道を選ぶこと、またそれを行動に移すことは、百人いれば百通りあって、それを尊重出来ないのは、心の問題ではなく、社会の問題だと考えています。「全てのことに意味や意義なんてない」と思わせてしまうほどの経験が多かったからこそ、この気持ちが強いと想像しますが、そう思う前(幼少期の家庭環境などから)に、社会があなたの気持ちに寄り添え、手を差し伸べてくれれば、あなたがこれほど辛い気持ちを抱えずにいられたのではないかと思いました。
ご自分でも、少しでも良くなる方法を探されて、行動に移されていることに、私はあなたの心の強さを感じました。誰かに自分の気持ちを伝えることって、とても疲れるときもあると思うんです。それが自分の希望している答えじゃなかったりした時には、余計ですよね。
じゃあ、どうしたらいい?一人で抱えることが限界だとしたら、人や物に頼ることがお薦めされるような社会だと私は感じていますが、きっと今のあなたには、しんどいのではないかと想像しています。でも、もう限界だというのも伝わっています。あなたのタイミングでいいので、こうやって話したいと思ったりしたときに、また死にトリに来て欲しいなと思ってます。あなたの感じている人の心についても、私はとても興味深いなと思ってます。いつかもし、あなたとお話をすることがまたできるなら、是非聞いてみたいと思いました。