今日も私は腕を切り続けるし、Twitterに死にたいと書き続けるし、死にたくて死にたくてどうしようも無くなったら目の前にある風邪薬を数え切れないくらい飲むんだろうと思う。薬が切れて正気に戻っても、死ねない自分に絶望して、気絶するように眠って1日中ベッドの上で過ごすのだと思う。だから早く殺して欲しい。
未就学児〜小学校低学年にかけて、今の私から考えて私は異常だった。爪を噛み、髪を抜き、ぬいぐるみにハサミを入れて傷をつけたり、友達のお道具箱から物を盗んだりしていた。常に誰かに自分の事を見られているような気がした。毎朝、登校班で歩いていると頭の中の誰かが命令をしてきた。「今この道をこう通れば嫌なことは起こらない」そんな行動に関する内容で、もちろん私はそれに従って動いていた。
運動神経がとても悪かった私にとって体育の時間は地獄だった。とくに苦手な器械体操ではクラスみんなから笑われた。先生は努力不足だと言って、皆の前で出来ない跳び箱を何回も飛ばされ、鉄棒を回らされた。劣等感でいっぱいだった。
小学生の頃は、中学に入ったら毎日が楽しくなると本気で信じていた。中学校には鉄棒の授業が無いことを事前に知っていたからだった。
中学に上がると途端に嫌がらせを受けた。影で酷いあだ名をつけられて、陰口を言われて、目が会う度に笑われて、給食中に私の所作を真似されて見世物になって笑われた。ただそれをしていた人達も段々と私に興味を失って行ったのか、嫌がらせが少なくなり、2年生に上がる頃には無くなった。
これで安泰かと思われた中学2年生の1月、飛蚊症になった。元々目はかなり悪い方だったけれど、飛蚊が私に与えたダメージはとても大きかった。ネットで目の病気に関することを調べ、過剰に反応してショックを受けた。将来目が見えなくなるかもしれないという、誰にでも起こりうることがとても怖くて、恐ろしくて、不安を制御できず、勉強が出来なくなり、机に向かうことすら出来なくなった。それでも何とか回復した。時間が経つにつれ目が飛蚊に慣れ、あまり見えなくなったのが理由だと思う。
迎えた高校受験では私立高校に進学した。この時の私も、高校に入れば環境が変わり、なにか幸せになれると、漠然とそう思っていた。
高校は更なる地獄だった。
ネットで自称進学校と言われるような高校で、教師からの圧がとても強くて耐えられなかった。授業中に当てられるのがとても怖かった。1番最初に出来た友達との相性がとても悪く苦痛だった。部活もその子と被り、居心地が悪くなって辞めた。
それでも最初の1学期は皆勤だった。
ただ、明らかに体調は悪くなっていった。高1の夏にPCR検査を受けに行った病院で、たまたま起立性調節障害の診断を受けた。横に父親もいた。確かに居た。なのにあの人は起立性の話なんて綺麗さっぱり忘れたように、コロナが陰性だった話だけをしていた。診断を受けたのが地元の小さな小児科だったから、大きめの内科に連れていってくれると思っていた。
ある学校を休んだ日、救われたくて、勇気をだして、母親に精神科に行きたいことを伝えてみた。起立性調節障害のことも話した。心のどこかで母親を信じている気持ちがあった。母親はうつ病なので、精神疾患に対して理解があると思っていた。お母さんなら、私を案じてくれて、連れていってくれるだろうと思っていた。もちろん打ち砕かれた。待っていたのはヒステリックに叫ぶ母親からの罵倒だけだった。母親の中で起立性は自然治癒で直る病気らしい。私は若いから疲れなくて、精神疾患になることは無いらしい。
私が何故ここまで精神科にかかることに拘るのかというと、病名が付けば、私のこの重い気持ちにも名前がついて、朝体が重くて起き上がれないことも、机に向かうのが怖くて勉強出来ないことも甘えじゃなくなるのかもしれない事に期待しているんだと思う。それが自分にとって救いになると思っているんだと
母親からは幼い頃殴られたりもしたが、歳なのか小学校に上がるとなくなった。過干渉と言っていいのか分からないけれど、私の部屋をあさったり、LINEを覗かれたりするのは日常茶飯事で、スマホのパスワードを変えるとすぐに気づいて怒り狂う。情緒不安定な人ですぐヒステリックに叫ぶので、叫び声を聞くのがストレスで何も反論できなくなった。
父親は基本的に無干渉な人だけれど、私を嘲笑うのだけは欠かさず行って、毎日ブス馬鹿デブのような悪口は普通に受けてきた。
親は頼りに出来ない。スクールカウンセラーは学校に居るけれど、どうやったら相談出来るのか全く知らない。保健室の先生とは相性が合わないことを普段の会話だけでもひしひしと感じ、頼りに出来ない。担任は学校の中で最も嫌いな人の1人で、何も言えないし言いたくもない。そもそも私が大人に向かって自分の本心をさらけ出せるのか分からない。数少ない友達も、こんな私と友達になってくれてとても嬉しいけれど、正直信用出来ていない。心の中で私が嘲笑われているような気がして相談できない。私だって救われたいし、誰かに話を聞いてほしいのに、その方法が分からない。アームカットもオーバードーズも、結局誰かに気づいて、構って欲しくてやっているのかもしれない。
もうすぐ冬休みが終わる。体が重くて、起き上がることが出来なくて、机に向かうなんてもってのほかで、課題が進まない。また地獄が始まる。早く殺して欲しい。
感想1
経験談を書いて送ってくれて、ありがとうございます。日々、しんどさを抱え、そこから逃れるためにも早く殺してほしいという思いを抱きながら、何とか過ごしている様子が伝わってきました。ちょうど、最近、おそらく同じような年代の子から同じように「自分ではこの状況をどうにもできないし、自分では死ねないので、誰かに殺してほしいと思っていた」という話を聴いていたので、その話と重なりました。
アームカットやオーバードーズを誰かに気づいてほしい、構ってほしくてやっているのかもしれないと書いていますが、その気持ちと同時に、つらい気持ちを少しでも紛らわせるために自分なりに対処している側面もあるのではないかと思って読んでいました。小さい頃の抜毛や爪かみ、ぬいぐるみをはさみで切ったり、盗んだりの行動は子どもなりの全力のSOSだと感じました。それだけの行動なら、相当のつらさや苦しさがあったのだろうと想像していました。親とのエピソードや学校の経験などとても過酷でその環境の中で、よくぞ生き抜いてきたと敬意を抱きます。今のあなたが考えても「異常だ」と思う行動には必ず意味があると思いますし、それに気づく大人がいてほしかったと思います。
そして今、周囲の人を信用できなかったり、相談できないのも無理はないと思います。誰かに相談することはそれまで人を信用するだけの経験があってできることなので、今のあなたにとっては簡単なことではないと思うからです。
でも、こうして経験談を送ってくれました。そのことを嬉しく思います。少しでも自分の中にある痛みや苦しさ、しんどさを出すことができたでしょうか。幼い頃も、そして今も何とか自分でつらい状況をやり過ごそうと努力をし続けている様子が伝わってきたので、経験談の投稿を機に、相談することを考えてみませんか。どうやって相談したらいいかわからないとのことですが、少しでも話してもよさそうという大人がいるのなら、この経験談と返信をその人に見せてもいいのかなと思いました。この経験談はあなたがあなた自身を助けるために役立つものだと感じています。
この後も、必要な時はまた死にトリに来てください。待っています。