生い立ち。
私が生まれてまもなく両親は自営業を始めた。
両親ともに家にいることが少なく、両親の愛情を感じることが少なかった。もしかしたら愛情をもらっていたのかもしれないがよく分からない。それよりも一人の時間が多かったので私は知らずうちに親に迷惑をかけないようにいい子を演じなきゃいけないと考えていたような気がする。
2歳上の兄がいたので幼い頃は兄につきっきりだった。幼い頃は兄が私にとってのすべてで友達や親のいない私にとっては兄がいたことが一番の心の拠り所だった。だが、兄が小学に上がった頃、私が付きまとうのが恥ずかしかったのだろうか。「付いてくるな!あっちいけ!」と言われ、兄とすれ違うだけで邪険に扱われる。そんな日々を過ごし私は一人でも寂しくないゲームに没頭することが多くなった。そしてイヤホンで世界を閉じる、家の中でも家族とご飯を食べていても私は現実の声を聞くことが嫌になった。
兄とどう関わればいいのかわからなくなりもう7年は口を聞いていない。私は22歳になり、実家ぐらしで他県に就職した兄がたまに帰省してくるが頭の中でいろんな言葉を思い浮かべいざ兄と話そうとしても声をかけることができない。私にとって兄のあの言葉が幼い頃の戯言だとしても心に深く傷が残ってしまったのだ。
友人関係
小学にあがり、私はやっと一人から開放された。学校に行けば友達がいるからだ。家で一人でいなくてもいい。私の居場所ができた。はずだった。
でも小学生にモラルなどが身についているはずもなく、見た目でバカにされたり繊細な私にとっては辛い瞬間が多かった。その中でも親友がしていたバレーボールクラブに通っていたのだが、その親友から私はいじめを受けていたのだ。
今でも覚えている。毎週金曜日、時間割の都合で上学年が遅く体育館に来る日、私はいつも親友に倉庫に連れられ殴る、蹴る、叩かれる、そんな暴行を受けていた。なぜこんなことをするのか、聞いたが「おまえがとろいからだ。」ただそれだけ。やめてと言ってもやめてくれない。私は同じ学年の周りの友達に助けてほしいと目を向けたが、私の方を見る友達はいなかった。その光景が今でも思い出される。私はいじめを受けていた傷よりも助けてほしいと信じていた友達に見捨てられた時の痛みのほうがひどく残っているのだ。友達だと思っていたのは私だけだったのか。友達はこんなものなのか。そうか、私はここでも一人だった。それでも親だけには心配かけまいと勉強や運動を一層努力してみたがうまく行かなかった。そんな私の努力や心情を知らない親は「努力が足りない。気持ちの持ちようだ」と言われ私は壊れた。幼い頃私のことをほったらかしにしていたくせに、今更親面されるのが我慢ならなかった。今思えば言えなかった私も悪いのかもしれないが当時は私の苦しみや寂しさを分かってくれなかった親に対して酷い嫌悪感を抱いていた。
私は自分はなんのために生まれてきたのか、どう生きていけばいいのか、誰を頼ればいいのか、信じればいいのか、わからなくなった。私ははじめての挫折を味わった。人間不信になり、頼れる大人もおらず周りに壁を作り、学校では本の虫になった。話しかけてくれた友達も払い除け私は潔癖症を患い人との接触をひどく嫌い、ストレスにより体中を掻きむしる疾患を発症した。当時の記憶が抜け落ちているので地元の友達と会っても人の名前や顔がわからないので少し困ることがあるがきっと思い出したくないのだと思う。
恋愛事情
初めて恋人ができたのは高校生の頃、他校の一個上の先輩だった。こんな私を好きだと言ってくれる人が現れたのだ。他県でもあるのでほぼほぼ会うことはなかったが友情も家族愛も良い体験をしたことのない私が恋人一途になるのは他愛もない。その人が私のすべてになった。その先輩とは3回しかあったことがない上、返信も「そうなんだ」「よかったね」のみ。今思えば酷いと思うが泥酔しきっていた私はそれでも信じていたのだ。相手の受験期で一年音信不通になり好きかどうかわからなくなったため別れた。今思えばほんとに愛されていたのかよくわからない。
2人目の人は社会人のときでこれも向こうからの告白により交際。付き合いたては良かったのだが付き合い出してから相手の本性が出始めた。付き合い出して間もなく彼はニートになった。職場の人間関係によるものだったのでしばらくは寄り添っていたが流石にしびれを切らした私は働くように求めたが何度も裏切られ別れを切り出すとふざけるななんだの暴言祭り。私はこんなに献身的な愛を注いだのに私は相手にとって何だったのだろうか、ただの都合のいい女だったんじゃないか。言われた言葉がひどく心に残り消えない心の傷がまた一つ増えた。
3人目の人は年上だったがむしろ完結的で、最低な人だった。私は騙されていた。向こうは既婚者だったのだ。しかも子供もいた。家庭を持っているいっぱしの父親が若い女性と浮気???理解できなかった。問いただした時も「あぁ、バレちゃったか」と一言。震えが止まらなかった。信じたくなかった。こんなにも平気で人を騙せる怖い人間がいるんだと。あのときの言葉も行動も全部本心じゃなかったんだと。吐き気が止まらなかった。私は男性恐怖症に近いものを発症し、もう誰も信じれなくなった。私は2度目の挫折を味わった。
私の価値はどこにあるのか、こんな人生になんの意味があるのか、私は自暴自棄になり馬鹿らしくなった。何人かの男性と体の関係を持ったが虚しくなっただけですぐにやめた。友情も愛情も全部裏切られ振り返れば幾度も積み重なった辛い過去。私は前も後ろも道が見えない暗闇に囚われた。仕事も出来なくなったので親に精神科に放り込まれたがとりあえずの診断結果は「適応障害」との事。
今は精神科にも行ってはいない。全然改善されなかったからだ。そもそもなぜ傷ついた人間が気にしないように直していかなきゃいけないのか、傷つけた人間が悪いのに、傷つけた人間は変わらないで傷ついたほうがなぜ薬で騙し騙し生きなきゃいけないのか理解できなかったからだ。
私は適応障害と言われたが仕事はやらなければ迷惑をかけると思っているので両親の為に働いている。だがこの傷ついた過去が押し寄せ涙が止まらない日があったり無気力感や倦怠感に襲われる。眠れない日もある。たぶん適応障害ではなく他の精神疾患がありそうな気がする。
今でもなんで生まれてきたのかわからない。私の人生に意味があるのか。私も普通に家族と悩みを相談したりたまには喧嘩したり、友達と楽しくあそんだり、恋人とたくさんの思い出を作ってみたかった。ただ普通に生きたかっただけなのに。なぜこんなにも傷付かなきゃいけないのか。私は幸せを望んじゃいけないのかそう思って生きてきた。幸せになる権利は誰にでもあると言うが平等に訪れるものでもないと言うことを私は知っている。神様は不平等なものだと知っている。これから先、生きていけば楽しいことも幸せなこともたくさんあると散々言われてきたが何度も味わった挫折や一度なくした感情なんてものは簡単には戻らない。例えば楽しいことや幸せなことがあったとしても私は気付くことができないかもしれない。気付いてもきっと辛かったことを思い出すだろう。その幸せですら不安になる。もう傷ついていなかった頃の幸せを夢見てた純粋な私に戻ることはできない。辛い過去をなかったことにはできないのだから。
感想1
項目ごとに、これまでのことが整理して書かれていましたが、自分の中でも整理をしたい気持ちがあったのだろうかと、書いた時の様子や気持ちを想像しながら読みました。人は社会的な生き物なので、あなたがタイトルにも書いた「幸せ」はおそらく、人とのつながりの中で実現するのだろうと思います。しかし、経験談から伝わってくるのは、人とのつながりにおけるつらい経験や我慢を強いられたことの連続でした。あなた自身も書いているように「傷ついた経験」だったろうと思います。そして、それは同時に新たな人とのつながりに対する恐怖心を生み出し、必要なスキルを身につけるチャンスも失ってしまったのだろうと思っています。そう考えてみると、項目として挙げた「生い立ち」「友人関係」「恋愛事情」はいずれも人間関係に関することですね。あなた自身も人間関係において、何か引っかかることがあることに気づいていたのかもしれません。
いろいろなつらい具体的なエピソードがありましたが、一番つらかったのはこの経験談に書いたことを誰にも伝えられず、つらかった気持ちを受け止めてくれる他者に出会えなかったことなのかもしれないと思いました。これまで、自分の中にしまっていたものを、今初めて出したとしたら、これまで一人で抱えてきたことを労いたいです。そして、今、こうして外に対して解放したのであれば、新しい一歩かもしれないと思いました。辛い過去はなかったことにはできませんが、辛い過去の意味を変えることはできると思っています。こうして、抱えていたことを自分だけの状態から手放したことで、私はこれを読むことができました。そしてトリのサイトを通じて他の人も読むことになります。同じような思いをしている人たちやその他、いろいろな人たちが読んで何かを感じ、何かを得ることになるでしょう。
あなたは「もう傷ついていなかった頃の幸せを夢見てた純粋な私に戻ることはできない」と書いていますが、戻ることはできなくても、私は傷ついたからこそ夢見ることができる幸せもあるのはないかと思います。あなたの言うとおり、傷ついた人が変わる必要はないと思います。変わるべきは傷つけてしまった社会全体だと思います。その社会には私もあなたも含まれています。一緒に何ができるのか可能な範囲で考えてもらえたら嬉しいです。傷ついた人たちが諦めてしまうと、傷つけた人たちだけで考えることになってしまいます。きっと、諦めていないから経験談を書いてくれたのではないかと思っています。よかったら、また、死にトリに参加してください。待っています。