親はいつも人に迷惑をかけるなと言いました。小学生の頃よくある誰かの家に遊びに行く事が迷惑に値するとしてあまりさせてもらえませんでした。皆んなが普通に行く様な場所でも遠いからダメだと言いました。
了承を得る時はいつもビクビクしていました。殴られたり怒られたりすることはありませんでしたがとても嫌そうな顔をされるので次第にそれは諦めました。
だからと言って距離を取られることはなく友達には恵まれていました。
学校の先生も理不尽でよくわからない事で怒られることが結構ありました。
代表的な話をだすとしたら学校でメモなどの手紙交換をしてはいけないという決まりがあって、それでも手紙交換ということを楽しみたかった自分と友達は学校帰りなどに渡し合っていました。
ある日友達が教室のゴミ箱に自分のメモが捨てられていたのを担任教師が見つけて「昨日はありがとう!楽しかったよ!」程度の軽い短いメモでしたが鬼の様な形相で「これ何?なんで学校に必要ないものを持ってきてるの?!もしこれに悪口とか書いてたらどうするの!真面目だと思ってたのに見損なった!」と怒鳴られました。自分だけ。
すごく横暴な同級生の女の子がいて自分はあまり話したくなかったので挨拶と事務的な話以外は自分から話しかけることはなくやり過ごしていました。その子は自分だけにそうだったわけではなくてみんなにそうでした。だから周りのみんなも示し合わせたわけではなく会話は減っていきました。
その子はいじめられている無視されている!と親に報告した様で自分と友達と数人集められて教師に謝ることを強制されました。
こちらの言い分はほとんど聞いてもらえませんでした。
他にも色々と理不尽に怒られる小学生時代でした。
中学生になっても大して面子が変わらない中で同じクラスに横暴な同級生がいました。
自分は真面目を装い勉強を頑張り普通に普通にと生きていました。教師はそういった生徒を利用します。班というシステムで私を利用します。他の子がこの同級生の隣の席になるのは可哀想だと自分も思ってしまい犠牲になりました。毎日隣から罵声が聞こえます。バカ、アホ、ブス、キモイ、死ね、鉄板の言葉。たまに嫌味。みんなを守るためだと自分は耐え続けました。段々と気にならなくなってきましたが、毎日隣の怪物を殺す計画の妄想をする様になりました。たまには言い返してやろうと基本は無視していましたが「うるせぇお前頭悪いんだから勉強しろよ生きてる価値ねーんだよカス、本当に死ぬべきはお前だ」そんな事を言ったのを偶然教師に見られて怒鳴られました。意味わかんねぇなこれ、とぼーっとしていました。これは約半年続きました。
そんな荒んだ心の中にも癒しがありました。好き、というか恋心とはまた違った憧れの様なものを抱いている人がいました。その人とクラス替えの時点で同じクラスになりました。元々知り合いだったのでよく話したりしていました。本来自分は真面目ではありましたが控えめでリーダーだとか人前に立つのは苦手でした。それが普通だと思っていました。しかし彼は違いました。喜んでそれらを引き受けるのです、すごく変わっていると思いました。同時に尊敬や憧れを抱きました。自分はこの人を参考にしたら変われるのではないかと仲良くする様になりました。彼だったらこういう時どうするだろう?なんて言うだろう?行動観察をする中で更に自分の中での信用度は上がっていきました。周りの大人達は当てにならないのでいつのまにか自分は彼を目標として生きていました。今思い返すと、辛い日々の中で彼を神の様に崇める事で自身を保っていたのだと思います。
そして自分は何を勘違いしたのか恋愛的な観点から彼が好きなのではないかと思い始めました。ですがそれにしては重すぎました。崇拝しているのですから中学生のくせに一生を捧げるくらいの気持ちでいました。ですが本能的にそれを悟られてはいけないと思ったのか誤魔化す様に手紙を書きました。尊敬はしていたけれど周りに茶化されるのは嫌なのでいつも照れ隠しで余計なことばかり言っていました。でもとても不思議なことに付き合いたいだとか相手に好きになって欲しいとは思いませんでした。矛盾しています。尊敬していて一生そばにいたいというのは神を祀るかの様な気持ちです。だから初めから一歩通行でその手紙も要するに「あなたの信者です。」と宣言している様なものでした。ただ彼はそんな受け取り方をするはずがありません。普通の人です。「付き合ってみない?」と問われたことがありますが断りました。自分を好きになる人間なんて碌な奴じゃないという自論があったからです。矛盾しています。
このラブレターとも言えない崇めます宣言をした手紙を不運にも彼は教室付近に落としてしまいました。小さかったので無理もありません。それをまた不運なことに自分の描いた絵をバカにしたりコソコソと嫌味悪口を言ってくる2人組に拾われてしまいました。全文読み上げた後笑い転げていました。その光景を忘れることはありません。自分の尊厳が音を立てて崩れていく瞬間でした。手紙を書いた事を死ぬほど後悔しました。小学生の時に理不尽にも怒られた事を少し思い出しました。それからは教室にいる時も移動の時も休み時間も放課後も部活の時も授業中ですら自分に向かって聞こえるか聞こえないかくらいの声でコソコソと手紙の内容を読み上げてきました。
この年頃の人間はすぐ他人の恋心に踏み込んで荒らしていきます。けれど自分の場合はそんな可愛い思いではありませんでしたから、元々苦痛だったけれどしがみついて通っていた学校が本当に憎くて仕方ない憎悪の塊の様に感じました。
彼もそんな特殊な感情で想われているとはつゆ知らず助けてはくれませんでした。彼も多少自分との関係性を揶揄われていましたが、何も言ってくれない。熱りが冷めるまで待とうだとか逆に迷惑だとか肯定も否定もされませんでした。自分にとって神の様な存在だったのに助けてくれなかったこと言葉をかけてくれなかったことがとてもショックでした。けれどそんなのは自分の勝手です。そうする義務は彼にはありません。自分が勝手に崇めて勝手に裏切られただけです。
自分には生きる意味がなくなりました。絵を描くのが好きでした。そういう進路に進みたいと思っていました。手紙をバカにされる前から同じ奴に絵はバカにされていました。後ろの方からヘタクソ、センスない、あんなのはダメだ、ヒソヒソといつも聞こえていました。気にしないそぶりをしながらも自信は喪失していきました。その中でこれです。もう小さな社会の理不尽と不快感と将来への不安で眠れなくなりました。毎日の睡眠時間は3〜4時間になりました。寝落ちするまで本を読み、朝は6時に起きました。悪夢ばかり見るので精神的にも追い込まれていると感じました。段々と体調が悪くなっていきました。ご飯は食べられなくなり給食は残せないので無理やり食べていました。ある日朝身体が言う事を聞かなくなりました。親は怒りながら仕事へ向かいました。次の日もまた次の日も天井を見つめていました。何度も何度も眠りについて何も考えない時間を無理やり作ろうとして悪夢を見てまた起きての繰り返し。教師は家までやってきてドアを叩いて名前を呼びます。身体が震え出します。ヘッドホンの音量をデカくして本を読みます。
そんなこんなで鬱になってから7年ほど経ちました。病状は良くなったり悪くなったりを繰り返しどうにか生きている状態です。今でもかなりの頻度でどこからやり直せば自分は真っ当に生きて行けたんだろうと考えます。
ご覧の通りすごく酷いいじめを受けたとかそういうエピソードは無いです。だから詳細は誰にも話したことはありません。きっとまともな大人達は中学生の恋愛、冷やかしなんてくだらんと突っぱねるでしょう。自分ももう20を過ぎました。それなのにいつまでもまとわりついて離れません。一生付き纏っては復讐したいという念に駆られると思います。
今も上手くいかずに死にたいと感じています。というか消えたい。まるで存在ごとなかったことにしたい。どうせこんな事しょうもない事で悩んでってバカにされるんだろうなぁ。親いるからいいじゃんとか友達いたからいいじゃんとかいじめられてたわけじゃないからいいじゃんとか言われるんだろうね。そんなん知ったこっちゃ無いよ、自分のキャパはこんなんなんだよ仕方ないだろ。
感想1
小学生の時期は知らないことがたくさんあって家から外の世界に行動範囲を広げて知識や経験を蓄える時期です。その重要な場所のひとつが、毎日多くの時間を多くのひとと過ごす学校だと思います。本来、学校は一定の安心感と適度な緊張感の中で友人や教師と人間関係を学ぶ場となっているはずですが、あなたにとっては逆に緊張感で毎日身構えるような場所だったのではないかと感じました。教育があなたを傷つけていた様子は理不尽の他に何ものでもありません。「真面目だと思ってたのに見損なった!」この一言は本当にあなたのこともできごとも一方的に教師の価値観で決めつけてあなたを傷つける一言です。中学生も引き続き理不尽なできごとは続いていた中でもあなたのひとへの希望を見出すような友人(存在)について語られていることが印象的でした。その友人のことを意識し始めたときは、自分の気持ちや距離感に戸惑いがあったのかなと想像しました。友人は誰も傷つけない人だったのでしょうか。誰ひとり信じられなくなる一歩手前の希望のような存在だったようにも思いますから、その友人とのことは誰にも侵害されたくなかったでしょうね。あなたは最後にひどいいじめを受けたわけではないと書かれていましたが、私はまったくそう思えませんでした。信じたかった希望や大事にしていたかった想い、それらはあなたが書かれていた通り尊厳そのものだったと思います。それを踏みにじる教師や友人からの理不尽な行為を心で受け止め続けるとひとが怖くなり、気力が減退して、思考停止のようになり、体が動かなくなるのは当然のことだと私は思いました。経験談のタイトルには「心が壊れるまで」と表現されていました。物事の考え方、感じ方を見ていると、私はあなたの経験談から尊厳を回復する力を感じ取りましたし、まだ心が壊れているとは思えませんでした。今でもかなりの頻度でどうすればよかったのか考えるようですね。ゆっくり時間をかけて生きる意味やこれからのことについて考えるために私たちも何かご協力できることがあるかもしれません。今回の経験談への投稿をきっかけに引き続き死にトリ(とりコミュなど他のコンテンツもあります)にアクセスいただければと思います。投稿ありがとうございました。