私の人生は、私であることを否定し続けることで成り立っています。
幼いころ、父親は多少のことでも不機嫌になっていました。
自分のやりたいことをやりたいようにやることが彼の中での一番であり、そこに子どもである私の意見や自発的な行動は邪魔でしかなく、排除すべき存在でした。
彼は、本当にほんの些細なこと、リモコンが自分の思ったところになかったり、コップに自分の飲み物が入っていなかったり、彼が連れていくつもりでいる私が乗り気ではない誘いを断ったり、彼が意見を持っていることに対して私の意見を言ったり、彼の休日に子どもらしく遊んでいたり、そんな生活をしていたら起こる些細な手間やすれ違いが生じるだけで、途端に癇癪を起していました。
それが、恐怖で恐怖で、本当に怖くて、また、癇癪が起こると家の雰囲気がとてつもなく悪くなるのが心の底から嫌でした。
私は、恐怖に抵抗することと家の雰囲気を守るため、父親が不機嫌になりそうなことが起こらないよう、いつも気を張って生きていました。
私の二度と帰ってこない青春時代は、彼の機嫌をうかがうだけの奴隷として消費され、そのせいで正常な人間関係を築くという、社会で生きるための必要なスキルを獲得することができずにのうのうと大人になっていきました。
義務教育が終わるころには、人間関係の築き方の基礎は出来上がっていて、それを軸にして自分の価値観を育てていくのが普通の人なんだろうと思います。
自己開示をそれなりにして、信頼できる他人を見つけ、その一部と仲良くなり親友となり、長い人生を一緒に歩んでいく生き方が普通一般の平均的な、人として当たり前の生き方なんだろうと思います。
でも、私にはその生き方はできていません。
大人になった今でも、他人が怖い。
自己開示はめったにせず、他人は警戒すべき恐怖の対象でしかなく、それで親友などできるはずもなく、長い人生を孤独に歩んでいます。
私の人生で、私がなかったにもかかわらず、社会では私がちゃんとあるのだと主張できなければ満足に生きていくことはできません。
その事実を、社会にでてからは毎日のように痛感しています。
こんな私のありかたでは、到底生き続けることはできないとことあるごとに感じ、そのたび、私が今以上に自信を持ち、他人を信頼の対象にできるのかと自問自答してきました。
時には、カウンセリングや心療内科に通ったこともあります。
しかし、そのいずれの方法でも、私を私が信じることができず、その結果として他人を信頼できないことが壁となり、よい結果を生み出してきませんでした。
もしかしたら、変わることすら不可能なのではないかと思うようになりました。
バカは死ななきゃ治らないということわざにもあるように、人生の中で、一度でも奴隷として生きることを選んだ私は、死ななきゃ治らない。そう思うのです。
感想1
これまでの経験や考えがとてもわかりやすく整理され、言語化されていることが印象的でした。それだけ自分自身の人生について深く考えずにはいられなかったのだろうとも思いました。あなたの父親はすべてを自分の思いのままにしたいひとで、その中にはあなたの気持ちや意思、行動も含まれていたんですね。保護され、頼ならければ生きていけない幼少期にあってその親から逆に排除された日々は、恐怖と緊張の連続だったことだろうと想像するといたたまれない感覚になります。脅威が間近にあることが通常の環境だと警戒アラートは鳴りっぱなしだったのではないでしょうか。それでもあなたは家族のバランスを保つために必死で育ってきた様子も想像しました。経験談の中盤で一般的な生き方として「人間関係の築き方の基礎は出来上がっていて、それを軸にして自分の価値観を育てていく」と書かれていましたね。確かにそうかもしれません。一方で基礎がガチガチに出来上がっていて、価値観が強すぎてそれ以上育てていけなくなっているひとも多く見かけます。基礎でたくさん傷つきながらも適切なサポートを受けるとか周囲に頼りながら自分なりに成長していくひとに会うこともあります。私はあなたの経験談を読んでそれができるひとなのではないかと感じました。父親の暴力による支配の中で生きることを選んだのはあなたではありません。その環境で育たざるを得なかったと思うのです。私はこうやってつながったり相談する機会(直接ひとは怖いと思うので)があることであなたが変わることは十分できると思いました。文章からそんな地力を感じました。死にトリはひととつながって価値観を交流する機会や必要なときは支援につなげることを目指していますから、良かったらまたアクセスしてみてください。経験談の投稿ありがとうございました。