経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

ちっぽけな話

とにかく毎日がしんどい。
そう思いながらこの15年間生きてきました。
 
両親も温かく、数は少ないですが友達も居て、好きな人もいて。
こんな環境にいて、一体どこが不満なんだって怒られてしまいそうですね。
それでも死にたいんです。しんどいんです。
甘えだと言われてしまったら、それでおしまいなのですがね。
 
「優しいね」、「大丈夫、自信もって」、「可愛いよ」
向けられる言葉はどれも温かいはずなのに。
全部全部上辺だけの言葉に聞こえてしまって。上手く受け取れなくて。
ネガティブ思考の運動音痴、人付き合いが苦手で、頭が悪くて…自信なんて持てるわけないです。
周りの子は何かしらに秀でていて、自分には才能も、それを手に入れる努力すら出来なくて。
足元を見たらコンプレックスの影が伸びていて、頭に思い浮かぶのはそれらばかり。
 
そこで、リアルに嫌気が差した私は、SNSを始めてみることに。
そこで知り合ったのは共通の話題で盛り上がれる友達。
性別も同じでお互いに話しやすかったこともあってか気がつけば私の中でのネットで1番の存在になっていました。
 
けれどそれもほんの僅かな間の話。
私は1年ほど前にその子と一緒にライブに行こう、と約束をしていました。
すごくすごく楽しみにしていて、その日が来るまで勉強や苦手な友達付き合いですらも頑張ろう、なんて思っていました。
つい最近まで、楽しみだね、なんて話しもしていたんです。

しばらくネットに顔を出さない間にその子は他のことの約束を優先していました。
「私と一緒に行こうと思ってたならごめん」
所詮その程度でした。ネットの友人関係なんて。
私の心が狭いと言われてしまうでしょうか。
寂しくて、辛くて、裏切られたような気になって。
一人で病んでは泣いて、でも昼間は無理にでも笑って。夜が来たらまた動けなくなって。そんな1週間が途方もなく長く感じられました。
結局、私は自惚れていたんです。私はその子の特別であると。
泣き腫らした顔で、ふと鏡に映ったのは馬鹿で、滑稽で惨めな私でした。 
 
もうひとつ。
私は勉強が大の苦手です。
周りの子の頭が良すぎてついていけずに焦って、でもどうにもならないまま。
一時、目標があって、趣味も何もかも犠牲にして頑張れる時期がありました。
いつからでしょうか。気がついたら挫折して自己嫌悪でボロボロに。
どうやら燃え尽き症候群らしい。
指にハサミで傷をつけたり、体が上手く動かなくなったり、今だってものすごく大事な時期なのにこうして布団でスマホを触りながら
自己嫌悪。悪循環を繰り返したのが今の自分。
こんな現状で、変わる気力もなく、将来に理想もなくただただ泣いて、辛くなって、
我慢して…そんなのが続くと思うともう生きていたくないです。
 
分かっています。
自分がどれだけ恵まれていて、他にもっと辛い人なんて沢山いることくらい。
それでも日々の小さな苦しさが大きくなってきてしんどいんです。
甘えと言われたらこれは甘えです。
頑張っているつもりでも周りはその何十倍も「努力」していて。
でも出来ないんです。どうしても。
頑張れないまま、今だって。
 
人に相談しようにも
「こんな話を聞いて何が楽しい」 
「気分を悪くさせるだけだ」
「これを言って嫌われたりしたらどうしよう」
「否定されたくない」
「甘えだって言われてしまったら」
ずぅっとこれが頭をぐるぐると回り続けるのです。

こんなのでも、いつから「幸せ」だと思える日が来るでしょうか。
 
まとまりのない読みにくい文章、失礼しました。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

感想1

頑張れないと書かれていますが、一人ですごく頑張ってきたんじゃないかなと思いました。また、周りと比較されることの多い環境で過ごしてきたのかなと想像しました。ネガティブ思考というより、○○でなければいけない思考(自信を持たなくてはいけない、可愛くないといけない)が強められているのかなぁと想像しました。
これから様々な価値観に触れて考えられる経験が少しずつ増えたらいいなと思いますが、世の中には見えやすい価値観と見えにくい価値観があるような気がして、どうしたら見えにくくなっている価値観を知れるのだろうと考えています。例えばいろんな物語を読んでみるのも一つなのかなぁと思いました。
人間関係に関しては、苦手だと書かれていましたが、あなたは人の気持ちを想像しながら、一人ひとりと誠実に関わっていくことができるタイプなんじゃないかなと思いました。だからこそ、傷つけたり傷つけられたりすることに恐怖を強めに感じるのかなと思いました。
辛くて苦しいのに、気持ちを話せる人がいなかったら、もっと苦しくて孤独になっていくだろうと思います。だから、今後も死にトリのようなネットの居場所を使って気持ちを書き出してほしいです。
才能がなくて努力もできないとのことですが、才能っていうものがあるとしたらそれは周りの人が見つけるものなんじゃないかなと私は思っています。例えばライブが楽しみだなと思うのは、ライブや音楽を楽しむという一つの才能なのかなと思いました。
でも、才能を発揮することがそこまで重要だと私は思わなくて、それよりもあなたが居ることが大切だと思っています。その上で、あなたがやりたいこと(曖昧でもいいので)を今後ゆっくり試していけたらいいなぁと思いました。

感想2

とても力のある自己表現だと思いました。本当に思っていることを書いてくれたんだな、発信してくれたんだな、よかったと思いました。最後の方で相談することへのためらいや怖さについて書いてくれました。こんな話を周囲の人に聞かせてはいけない、否定されるかもしれない…そうした不安はよく伝わってきました。でも、ここではそういった思いこそ出してもらいたいと思っていますし、こうして書いて送ってくれたことを嬉しく思います。
なぜなら、私たち人間は自分の心の内を他人と分かち合い、支え合って安全や安心をつくりだし、連帯することの力を生み出していると私は考えているからです。不安や恐怖、つらいこと、我慢していることをみんなで隠していたら、私たちの生きている社会はとても脆いものになってしまいます。出し合えるからこそ、それについて一緒に考え、共にそれに向き合い、学び合い、成長していきます。そのきっかけは弱いことやできないことを分かり合うことのはずが、いつも間にやら、きることや秀でていることだけに目を向けるようになっていて、それでは人間の持ち味の半分しか見ていないようで、もったいないと思います。
「ちっぽけな話」と書いていますが、私はちっぽけとは思いませんでした。本当に思っていることを言葉にして、誰かに届けるのはそれだけで大きなことだと私は思っています。
これからも、表現してみてください。死にとりでも、他の人でも、日記を書くのでもいいので、感じていることを出してみてほしいと思いました。

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