私は、孤独です。
家族はいます。両親も、姉兄も、祖父母も、夫も、子ども達も。少ないけど、友達もいます。
でも、孤独です。周りに人はいるのに、本心を語れるような人は一人もいません。
それが、時に楽であり、でも本当は、とても寂しく感じます。
そもそも、私は人に心を開くことが苦手です。
幼い頃から、両親や他人の顔色を伺って過ごしていて、その癖が大人になっても、そして今でも抜けません。常に他人の目や、評価が気になります。
夫との関係も、決して良好とは言えず(夫はそう思っていないようですが…)、夫の顔色を伺う日々で、とても疲れます。
子どものひとりは、発達障害がありますが、軽度で、知的はむしろやや高めのため、普通の人の社会で生きていかなければならない子です。実際、現在何の配慮もなく、普通級で過ごしています。
でも、自閉症の診断がついている子ですから、何も問題がないわけではありません。
普通の子ではやらないようなことを、私の想像を超えるようなことを、ふとやります。そして大なり小なりトラブルになります。
療育にも通い、私もペアレントトレーニングを受けました。本もたくさん読み勉強しました。
でも、何百回、何千回伝えても、伝わらないものは繰り返します。
その度に、学校から、塾から連絡があり、頭を下げるの繰り返しです。そしてトラブルが起これば起こるほど、周りの保護者からも冷たい視線を浴びることになります。
発達障害児の育児は、孤独です。特にうちの子のように、普通級では浮き、支援級の対象にはならない中途半端な子の育児ほど、孤独だと思います。
悩みを共有できないからです。
公共の場に相談しても、定型文のような言葉を言われるのみで当然解決には繋がらず、むしろ虚しくなり、結局ひとりで悩むしかないのだなと痛感します。
精神科の主治医は、友達に体調のことを話さないのかと聞いてきます(抑うつ状態で通院しています)。
でも、ネガティブな話を聞いてくれる人なんていますか?
大抵の人は、ネガティブなことを話す人を毛嫌いします。たとえSNSだとしても、ネガティブなことを吐き出すと、そんなことは人に話すものではないと言ってきた人もいます。そして、私がネガティブなのがしんどいと、離れた友達も何人もいます。
やはり自分は孤独なのだと、思い知らされます。
私は、抑うつ状態だと言われてからも、人の前では平静を装い、明るく振る舞っています。夫の理解も得られないため、家事も育児も普通にこなします。どんなに心の中はしんどくても、もう無理だと心が悲鳴をあげても、死にたいとすら思っていても、言葉にも態度にも出しません。でも、とても疲れます。とても悲しくなります。
私の心の声を話せる人なんて、どこにもいません。どうせ誰にもわかってもらえないし、話せばきっと嫌われるからです。
時々、襲ってくる強い孤独感に飲みこまれそうになる時もあります。そして、死という言葉で頭の中がいっぱいになります。
これを書いている今も、こんな自分に生きている価値がどこにあるのかと考えています。
周りに人はいるのに、孤独。とても苦しいです。
私は、この先もずっと孤独なのかもしれません。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
孤独と私
感想2
興味深く読ませてもらいました。周囲に心を開かず、一人で抱えてきたものを死にトリに表現して送ってくれたものであり、実生活で隠し通していることをあえて出してくれたことに、敬意を抱きながら読みました。そして、「孤独」の正体が少しわかった気がしました。孤独の核心は独りぼっちなことではなく、自分の気持ちを表現する先がないこと、共有できないことなのかもしれないと思いました。
あなたがこれまで出会った人はネガティブを毛嫌いする人が多かったようですが、私はネガティブなことほど、話してもらいたいと思いますし、ネガティブを出すことが生きるうえで必要だと思います。どうも、世の中はポジティブがよくて、ネガティブはいけないという価値観が強く、バランスが悪いと思います。ポジティブは誰かに話さなくても、一人で喜びに浸ることも無理なくできそうですが、ネガティブは、一人でため込むことで、苦しみや孤独を生みます。私たち人間が支え合い、助け合うことで自分たちが生きる環境を保っていることを考えると、ネガティブな気持ちこそ、分かち合うこと、分かり合うことが必要で、そのことによって意味をもったり、学びになったりすることもできると思ってます。もっとも、ポジティブだろうが、ネガティブだろうが本音を話すことがとても大切だと思います。だから、こうして本音を書いてくれたことはありがたく、経験談のコンテンツを設けている意義を感じています。
また、あなた自身の子どもの頃の経験や今の子育て経験について経験談に書かれた限られた情報ではありますが、相当なる苦悩や葛藤、辛抱があるものだろうと推測します。特に知的に高めの発達障がいの子育てはトラブルなどの直接的な大変さもありますが、同時に周囲に理解されない、わかってもらえない、誤解すらされるという苦しさがあると思っています。そして、終わりが見えない苦しさもあるのかもしれません。ぶつける先もなく、抱え込むしかない状況でもあると思います。既にペアレントトレーニングや専門機関の活用もしているようですが、前提として苦しさについて伝え、受け取ってもらう機会がなければ、そうした専門的な支援も役に立たないのかもしれないと改めて思いました。
本音を伝えても現実がすぐに変わるわけではないかもしれませんが、もしよかったら死にトリで少しでも感じていることを発信してもらいたいと思いました。そのための居場所です。また、活用してもらえたらと思います。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
人に心を開けずに、今もまだ心の中にある自分の本音を隠しながら日々の生活をせいいっぱい生活していらっしゃる姿が浮かんできました。
自分の気持ちを大事にできた経験が少ない中でお子さんのケアをしていること、ほんとうにお疲れ様ですと声をかけたいと思いました。
そして、今あなたが一人で抱えなければならなくなっている「孤独」や「心の声」は、現実では中々出すことが難しいのも、これまで隠し続けてきたことを考えると当然なのだとは思いますが、あなたにとって吐きだせる場が見つかった時には吐きだしてもらいたいなと思いました。確かにネガティブなことを話すことを毛嫌いする文化はあるように私も感じます。でも、少しづつお互いのネガティブを許容していけるような場があればいいなと思っています。