経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

なぜか感じる生きづらさ

私の親は小学生の頃離婚しましたがそれ以前も家には父がいませんでした。ずっと母と祖父母に育ててもらい現在も不自由なく暮らしています。友達もいます。毎日連絡を取って遊びに行くこともあります。
それなのになぜか生きづらさを感じます。どうしても人を信じることが出来ません。毎日孤独感を感じます。
話は過去に戻ります。中学生の頃受けたいじめ。そのいじめで、唯一仲良くしてくれた子が裏ではいじめグループの人から私の話を聞き一緒に笑っていました。その子は誰から見てもいい子でした。でも、その一件から私はその子のことを信じられなくなりました。嫌いになってしまいました。ああ、この子は誰にでも合わせる子で私の「友達」ではなかったのだと気づきました。
また、その当時の担任の先生はいじめに気づいて私をいじめてた人を叱りました。それで止まったと思ったのでしょう、その後クラス替えまであと少しという時に私をいじめてた人の隣の席になりました。私はとても嫌だったし、その子も結局いじめをやめてはくれませんでした。そのことを相談すると「あと少しなのだし別に大丈夫」だと言われその担任も信じられなくなりました。その後、クラス替えによりいじめは止まりましたが、いつまた嫌われるかわからないという現実にずっと怖がりながら生きてきました。大学生になった今もそうです。
過去の出来事から逃れることができないのです。友達を信じられなくて、自分なんていなくてもいいのではないか、本当は自分のことを嫌いなのではないかと考えては、その度に友達を信じられない自分自身を責めてしまいます。それを、誰かに相談しようと思っても、大人はみんな分かってくれないと思って相談もできません。よく、相談しやすい人に相談したらいいと言われますがその相談しやすい人が私には誰なのか分からないのです。上には書きませんでしたが、自分の親はいじめられてたことを知りません。心配をかけたくなくて相談しませんでした。それに、親は学校を意味もなく休むことをよしとしない人で、辛いと言えない私は学校を休むこともできませんでした。朝起きて学校に行きたくないのはみんな同じで、私だけ特別なんてことはないという考えの親です。
ここまで書いて、自分でも何を書きたいのかごちゃごちゃしてしまい何も伝わらない文章だと思います。過去のことばかりで今のことを何も書いていません。過去に囚われる自分を綴っただけの文です申し訳なさでいっぱいです。
世の中には私なんかより辛い人が何人もいることは分かっています。でも今は、生きること、学校に行くこと、なにかすること、がただただ辛いのです。生きづらさを感じ、孤独感を感じどう生きたらいいか全くわからず未来が真っ暗に感じます。それを誰かにただ聞いて欲しいでも聞いて欲しくないという矛盾。これがきっと今の正直な気持ちです。

感想1

経験談の投稿、ありがとうございました。

「誰かにただ聞いて欲しい、でも聞いて欲しくない」という気持ちをまとめられており、それは今までいじめられたり、信用を失くすような経験を重ねていくうちに、誰かに話すことを諦めたくなったり、また裏切られたりするのではないかという気持ちがあるために、このような気持ちになっているのではないかと想像しました。

初めの方に書かれている「不自由なく暮らしている」と、最後の方に書かれている「世の中には私なんかより辛い人が何人もいる」という文章から、もしかするとあなたは周りと比較して物事の基準を考えてきたり、自分よりも他人を優先して生きてきたのではないかと感じました。

信用した人に裏切られた経験が多ければ多いほど、自分を守るために「相談をしない」という選択肢に辿り着いたのかもしれないとも勝手に想像しました。これ以上、裏切られるのであれば…と想像すると、その選択肢が出てくるのも当然かもしれません。しかし、その中で「孤独感」を感じることが、あなたの中では「矛盾」なのかなと思いました。

私はこの経験談を読んで、「矛盾」というよりも、今まであなたが信用した人に裏切られてしまったことが、生きづらさに繋がっており、これからの過ごし方に悩まれているということではないかと思いました。でも、今までの辛さやしんどさは、簡単には忘れることはできないだろうし、その過去に囚われてしまうのも無理はないことだと思います。私の勝手な想像ですが、過去に囚われないためにも、「誰かを信じられるようになりたい」という気持ちもあるのではないかと思いました。せめて辛いと言える人が、ただただあなたの気持ちを聴いてくれる人が一人でもいれば…と思いました。私は、世の中の人の辛さと自分自身の辛さは、比較はできないものだと思っています。同時に、誰にでも伝わるものでもなくて、そこが相談することの難しさでもあると感じています。この死にトリには、さまざまなコンテンツがあります。また、「ただ誰かに聞いて欲しい」という気持ちが強い時は、匿名で相談できる相談窓口もあります。少しでも、あなたが生きづらさを感じる機会が少なくなればと思いました。

感想2

学校は学生にとって生活の大きな部分を過ごす場所なので、そこでいじめを受けることは気持ちに大きな影響を及ぼして当然だと思います。
友達だと思っていた人を信じられなくなったり、担任の教員にも、投稿者さんが「とても嫌だった」と感じていた経験を「あと少しなのだし別に大丈夫」と言われて、投稿者さんの思いを重視してもらえなかったりしたら、どうやって人を信じればいいのかわからなくなるもの無理はないと感じました。
また、「朝起きて学校に行きたくないのはみんな同じで、私だけ特別なんてことはない」という親さんの考えは、投稿者さんのしんどさや、それを伝えたい、わかってほしいと思う気持ちを無力化してしまうものだと思いました。
たとえ、誰もがしんどさを持っているとしても、それは「みんなしんどいから同じ」なのではなく、「みんながそれぞれに、それぞれの感じ方でしんどい」ということだと思います。だから、自分のつらさを考える上で、自分よりつらい人がいるかどうか、ということを考える必要もあまりないと思います。
だれに相談していいかわからない状況で、経験談という形で投稿してくださってありがとうございます。経験談は相談ではないですが、人と人とのやりとりではあります。それを試してくださったことはうれしく思います。投稿者さんが安心して自分の気持ちを伝えられる人や機会が少しずつ広がっていくといいなと思います。人を信じることはそうかんたんではないとも思いますが、どんな機会だったら、あるいはどんなふうにだったら伝えやすいか、一緒に考えてみたいと思いました。

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