いい子ちゃんにならなくてもいいんだよと学校に行けなくなる度に言われている。確かに人の顔色を窺いながら生きてきた自覚はある。だって、怒られるのは怖い事だし、自分を認めてくれた人の期待を裏切るようなことはしたくないし、いい子のふりをしていれば大人からは褒められる。
人から見たらそんなことで?と思われるようなことで心が折れてしまう。全部自分が悪いのに。その結果、上手くいかない事があれば泣いて解決しようとして、親と大喧嘩。最後は優しく貴女が生きてさえすればなんて言うけれど、そこまでに至る過程でまたそうやって逃げてとか、1度もやり遂げたことがないからそうなるんだとか、貴女より辛い人はもっといるんだからとか、そんなんじゃ1人で生きていけないとか散々否定される。
逃げ癖や他責思考があることくらいそんなの自分が1番嫌になるくらいわかっている。やめられるのならとっくにやめているし、そもそもこんな不出来な娘にはなっていないはず。
もう見捨てくれと思う反面見捨てずにいて欲しいと思ってしまう。母だって高齢の曾祖母の世話や病気の叔母の面倒など様々な心理的負担がかかっている事も分かっているし、妹と弟もいるからこれ以上負担をかけたらきっと死んでしまうのではないかと思ってしまう。
父は関心があるのかないのかよく分からないし、最近これといった会話もしていないからよく分からない。
心療内科にかかっているけれど母の目が気になって結局本当の気持ちを話せていないように思う。本当は助けて欲しいのに体裁を気にして元気な振りをする。どうしよう。このまま母に頼りきりになってしまったらきっと家族は崩壊する。
そんなことになる前に自分をどうにかしなければいけない事は痛いほど分かる。だけど、どうやったら自分がこの社会で生きていけるのか分からないし、想像もつかない。
だから、死にたい。死ねば何も考えなくていいから。たけど、簡単には死ねないし、死ねる確証もない。もし助かってしまって後遺症が残ったら?もっと家族に迷惑をかけてしまう。でも、死にたい。
でも、きっと親に死にたいなんて言ってその理由を話してもそれは貴女が乗り越えなければいけない事だと怒られる。自分なりに頑張って来たと伝えてもまだ頑張りが足りないと。じゃあどうしたらいいのか教えて欲しい。どうやったら頑張っているということになるのか私には分からない。やりたくないことから逃げてやりたいことだけやるそんなのが通用しない世の中なことくらい分かっている。
もう疲れた。何をしても中途半端なのに何故か周りからは期待されて単純な性格だからそれで一時は頑張ろうってなるけど結局ダメで、それを打ち明けても親には中学高校何とかなったんだから、貴女なら大丈夫と根拠のないことを言われて。
でも、私にはもうどうすればいいのか分からない。私にばかり構っていられないのも分かる。いつまでも手のかかる不出来な娘でごめんなさい。死んでしまいたいと思ってしまう娘でごめんなさい。でも、私にはもうどうすればいいのか分かりません。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
もうどうしたらいい?
感想2
経験談読みました。「もうどうしたらいい?」というタイトルそのままの内容だと思いました。一人では抱えきれないモヤモヤや行き詰まり感をいろいろな形で出しているものの、周囲でそれをキャッチしてくれる人がいないことや、うまく伝わらずにすれ違っている感じがして、もどかしい気持ちになりました。
おそらく、あなたの中で何が起こっているのか、何でこんなにつらいのかわからない状態であること、そして、身近で受け止めてもらいたい人たちに余裕がないことも関係していると感じました。
また、あなたがとても感受性が強く、人の気持ちに敏感で気遣いをしてきたことも想像していました。人の感じ方はそれぞれなので、怒られることがへっちゃらな人もいますが、ちょっとした言葉でも恐怖を感じる人もいます。おそらく、あなたはいろいろなことが怖いと感じたり、不安に思ったりするのではないかと思いました。そうなると、その不安や恐怖をまずは理解してくれる人の存在が必要だろうと思うのですが、周囲の基準ではそれはたいしたことがないと思われてしまい、あなたにとっては「自分がおかしいのだろうか」と自分を信じることができなくなるという負のスパイラルに陥っているのではないかと思いました。「何をしても中途半端なのに何故か周りからは期待されて単純な性格だからそれで一時は頑張ろうってなる」という自己分析がとてもわかりやすいと思いました。あなた自身が痛感していることを周囲にはなかなかわかってもらえずにいることは、それだけで十分につらいことだと思います。自分自身を理解すること、それを周囲と共有できることが生きていくうえで必要だと思うのですが、なぜか、一般的にはできることや上手くいったことばかり共有しようとして、できないことや困っていることは理解・共有することに対して消極的な傾向があり、それを出してはいけない、一人で何とかすべきだと考えることも多いように感じています。
そういう意味では、こうしてわからないこと、自分が無理だと思うこと、難しいと思うことを書いて送ってくれたことはとても大切なことだと再認識しています。
もしも、周囲に伝えることが難しそうなことがあれば、また死にトリに書いて送ってください。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
「いい子にならなくてもいいんだよ」という言葉や「貴女が生きてさえすれば」といった一見投稿者さんを理解して受け入れてくれるような言葉をかけてくる割には、結局その言葉とは反対の意味を持つ言葉や態度を取られてしまい、そしてどちらかというと親御さんにとって”出来のいい娘”としての投稿者さんを期待されているんだということを感じ取らざるを得ない状況なのではないかなと想像していました。その一貫性のなさから、自分はどう振る舞っていいものなのか分からなくなってしまうのも無理はないなと思いますし、顔色を窺って生きるのも投稿者さんとしては生き抜く術だったのではないかなとも感じました。
また、本当は親の理想としてではなく、そのままの自分を見てほしいという気持ちもあって、だけど家族の状態(お母さんが曾祖母さんや叔母さんの面倒で忙しいこと、妹さんや弟さんもいること、お父さんの子への関心の低さなど)を考えると我慢することも多く、やり場のない(どこにもぶつけようのない)感情も一つの要因として死にたい気持ちを強めてしまっているのかもしれないなと思いました。
学校に行けなくなってしまうのも、人との関わりで無理をしてしまい、疲れることが多くなってしまうからなのかなと考えていて、投稿者さんにとって何をしている時が一番心が休まるのかな(もしかしたらそんな時間もないかもしれませんが)なども気になっています。
お母さんの目が気になって心療内科の先生に、本当の気持ちを話せていないとのことですが診察の時はお母さんも同席しているということなのでしょうか。普段言えずに抱えている気持ちを話せる良いタイミングなのかなと私は思うので、もし直接話すのが難しい場合はお手紙で伝えてみるのはどうかな?とも考えていました。
経験談を送ってくださってから月日が経ちましたが今の状況はどうでしょう?もしまた機会があれば投稿者さんの声をまた聞かせてほしいなと思います。