経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。


おはようございます。10代女です。
今は早朝なのですが、相談できるところを探し回ってここにたどり着きました。

経験談、いざ書こうとすると難しいですね。

私の幼少期は、死にたいという言葉で埋め尽くされています。だけどその中に、辛いと言った記憶はありませんでした。自分が辛いことに気がついていなかったのです。
だけど、壁に刃物で彫られた「死にたい」の文字を見ると、やはり私は辛かったのだと感じて悲しくなります。当時の幼い私に苦しい思いをさせて、自分が申し訳なくなるからです。

死にたい、消えたい、自殺しようとすることなんて毎日のことで、包丁は握って刺そうとするし、窓から飛び出すしで、そんな幼稚園児にして死にたいと泣き叫ぶ私を「こんなの幼稚園児じゃない」と従兄弟は怖がっていたそうです。最近になって母から聞きました。

いじめは小学校卒業まで続くことになりました。
陰口を言われ、持っているものや服にもなにかしら言われ、お前なんかがそのブランドを着るなと言われたり、
近づくだけで不機嫌になられて逃げられる。
わざわざ実行委員になってまで私を一人にしたり、
運動が苦手なことや顔を笑われ自信をなくしたり。
してもいないことの犯人扱い。
ある日は椅子にのりやボンドが塗られていたり
体操服が真っ黒に汚れていたり。

私が存在することがいつも罪悪感でした。
私はここにいちゃいけないと、早く死なないといけないと。

だけど学校を休むなんて当時の私は全く思い付かなかったようで、辛いなんて気持ちにも気づかず通っていました。自分でも不思議なほど。

小学校6年生になると、急に食事が喉を通らなくなりました。
そして半年ほど経った頃には、体が危険ということで病院を転々としながら入退院を繰り返し、
心療内科から退院してそのまま今は不登校です。

不登校になると甘えだと言われ、知りもしない人に社会不適合者のレッテルを貼られる。
気持ちの問題と言ってくるのに、私にその問題を植え付けた方はなにも言われない。
やっと、やっと生きようとして選んだ道のはずなのに、それを責められる。
かつての居場所、友達、努力、走ることさえも今じゃ満足にできなくなり、
そうやって「いじめられた罪」「心身を壊した罪」「当たり前が出来ない罪」を私の一生を使って償ってるようで。
あぁ、全部私が責任を負わなくちゃいけないのか。
やっぱり全部私が悪かったのか、と絶望します。

本当は、悔しくて悔しくてたまらないのかもしれません。

いざ話してみると、なんてしょうもないんだと、
情けなくなって。
きっと自業自得だからと言われそうで誰にも話せずにここまで来ました。
 

閲覧してくださった方、ありがとうございました。
私は、いつでもあなたの味方です。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。
幼少期の頃から、周囲の人たちから書いてくださっているような扱いを受けてきたことは今になっても忘れることはないでしょうし、ずっと残ってしまうものだよなと思いながら読んでいました。辛いと言った記憶はないとありましたが、当時はそういった感情を押し殺したり感じないようにしないと過ごしていけないくらいにしんどかったのではないかなとも想像していました。
学校での人間関係は想像以上に自分の存在を否定され、自分さえも否定的に捉えてしまうような環境だったかもしれませんが、家族との関係性はどうだったのかな?と気になっています。不登校になると「甘えだ」と言ってきたのは家族でしょうか?
どこにも居場所がないと感じる中で、それでも生きる道を自分なりに見つけても結局周囲の人からはレッテルを貼られたり、行き場を閉ざされるような状況をつくられてしまっては、「私が全部悪かったのか」と思ってしまうのも私は無理もないなと感じました。
最後のほうで「本当は、悔しくて悔しくてたまらないのかもしれません。」という言葉に私は投稿者さんの本心が詰まっていると感じ、言葉にしてしまえば辛さを突き付けられたり、見たくもないものを見てしまうきっかけにはなってしまうこともあるのでしんどいかもしれませんが、これまで表現してこれなかった「本音」を話せる機会がまたどこかであれば、またここに書いてくれたように投稿者さんの声を聞きたいなと思いました。

感想2

送ってもらってから時間が経っていますが、その後はどのように過ごしていますか?
つらい経験や気持ちを書いてくれた最後の「いつでもあなた味方です」の一文が強く印象に残りました。これは、ひょっとしたらあなたが自分自身に向けて伝えた意味も含まれているのかもしれないと思いました。そして、会ったことはないですが、私も「同じく、味方でいたいと思います」と応えたい気持ちになりました。
「話してみると、なんてしょうもないんだ」と情けなくなったと書いていますが、なぜ、そのような気持ちになったのかもう少し詳しく聞きたくなりました。話したところで、何も変わらないし、虚しい気持ちになったのでしょうか?それとも、こんなことはたいしたことがないと自分のつらさを否定する気持ちがあったのでしょうか?私にはそうした迷う気持ちや揺れる気持ちを含めて、あなた自身の中に留めてきた思いや気持ちをこうして率直に書いてくれたことを嬉しく思います。
「いじめられた罪」「心身を壊した罪」「当たり前が出来ない罪」と書いていますが、私はそれらは罪でも何でもなく、どれも手助けが必要な状態であって、それによって罰を受けるようなことではないと思います。ただ、罪や罰だと思わなければ、現実がつらすぎて受け止められない気持ちもあるのかもしれないと想像しています。
10代のあなたはまだまだ成長途中ですし、できないことやうまくいかないことがあっても当たり前だと思います。だから、自業自得などというものはないと私は思っています。必要なことは一緒に考えたいと思うので、また死にトリに来てください。

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