経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

必死で生きてきたけど…

毎日常に辛くてどうやって死んだらいいのか考えています。

私は辛いとき辛いと誰かに話をすることが出きません。
言っても相手が困るだけだし、誰かに弱みをみせることができません。
上手く言葉にもできません。相談しても自分を良いように言ってしまうので自分の本当の姿を見せられません。相手が離れていくのが怖いし、変なプライドがあるのかもしれません。

小4で不登校になり、中学も不登校でした。
高校は地元から離れ、心機一転がんばろうと行っていましたが、友達に言われた些細なことで行けなくなりました。塾に行ってたおかげで成績はよかったので相談室に行きなんとか卒業はしました。

高校3年の頃、摂食障害になりました。
そのころ痩せたいという思いが強くてキャベツと納豆と寒天しか食べていませんでした。
とくに太っていたわけでもないのにです。

自分が拒食症と気づかないまま短大入学しました。

でもみるみる体重はおちて36キロになりました。
親が異変に気づき、休学をして寝たきり状態になりました。
そこから今度は過食嘔吐になり、毎日5回ほど食べて吐くを繰り返していました。
親はとても怒りました。なんでこんなに食べて吐くのかと。
食べ物を隠されましたが、食べないと耐えられなくて探して食べたらまた怒られました。
姉が看護師をしているので、これは病院に行ったほうがいいと
そこから通院をはじめました。うつ病にもなり、薬を大量に飲み死のうとしました。
死ねませんでした。
手首を切りました。死ねませんでした。
そんな状態なので、短大はやめました。
少し体調も落ち着き、自分でも頑張ろうと仕事を探し就職しましたが、1日でやめました。 
次の仕事は3ヶ月でやめました。
人に何か言われるのが怖くて耐えられなくなりました。
ちょっとしたことでもすぐに落ち込んでしまう自分がダメすぎます。

つぎの就職した職場は理解があり働くことができました。
しかし給料が少なかったので
このままじゃ生きていけないと思い、好きでもない人と結婚しました。
子供ができましたが、こんな自分じゃ育てられないと思いおろすと言ったら反対されて産むことになりました。
でも私は病気があるので育てる自身がないということは言いました。
だけど、両親や夫は子供が産まれたら私が変わるんじゃないかと期待していたみたいです。

子供が産まれてから、私はがんばって育てようと子育てしていましが、限界がきて両親に預けました。
実家に帰ればよかったのですが、以前実家に帰ってる間、夫が私の私物をあさっていることに気づいて気持ち悪いし怖くなり帰らなくなりました。

夫はそれが気に入らなかったのか生活費を入れなくなりました。
私が子供を育てないし何もしないからだと言いました。

私がなにもかも悪いようにいわれ、もともとのうつ病と産後うつが重なり体調は最悪でした。
マンションから飛び降りようとしましたが、母に止められました。

夫はますますひどくなりました。私はますます怖くなり、夫が帰ってくると部屋から出られませんでした。トイレに行くのも怖くて、バケツを部屋に持ち込んでそこでしていました。

家にいるのが嫌になり、育休を取ってゆっくり体調を治すつもりでしたが、生活費を入れてくれないのもあり、産後一ヶ月で仕事復帰しました。

ある日、私にも限界がきて、怖いながらも夫に文句を言いました。そうしたら腕を強く掴まれました。私も抵抗しましたが、男の人の力には敵わず私は突き飛ばされて頭を打ちました。腕をずっと掴まれていたので、アザもできました。
警察を呼び、私は家を出ていきました。

そこから1年たってやっと離婚できました。

子供は金銭的にも無理だと思い旦那の親権になりました。

しかし、実際に育てているのは私と両親でした。
最初は養育費をもらっていましたが、払わなくなりました。逆に私に養育費払えと言ってきました。
実際に育てていないうえに、親権をもっているから戸籍上は父が育てていることになっていて、子供の手当などすべて父のほうが取っていました。

これはおかしいと思い、両親と話し合いをして、親権者変更の申し立てを裁判所にしました。

調停をしてく中で、元夫は発達障害だと言うことがわかりました。しかもたちが悪くて、すぐカッとなって暴言をはく、都合の悪いことは忘れて話し合いにならない人でした。

今現在調停は終わり第三者機関を使って面会交流をしていますが、ちょっとしたこど暴言をはいているそうです。
第三者機関の方も支援できないかもと言っています。
それを聞くたびにフラッシュバックして怖くて怖くて寝込む日もあります。

今は両親がいてなんとか育てられていますが、自分一人になったときにやっていける気がしません。

子供の顔をみるといつも悲しくなります。それと同時に元夫の顔を思い出すので顔をみたくありません。子供に何の罪もないのにこんなことを思ってしまう自分が本当に嫌です。

そしてこれから大変な思いをさせてしてまうと思うとなぜ産んでしまったのかと。
子供がかわいそうでなりません。

未来に希望が持てません。なんとか楽しい人生になるようにと行動して考え方を変えようとずっとやってきましたが、もぅどうにもなりません。
両親がいなくなったら私も死ぬと思います。
生きていく自身がありません。
自分自身安定させることが困難です。
子供に辛く当たってしまいそうです。なんどかありました。
子供にもひどいことを言いました。
虐待してしまいそうで怖いです。
私と2人で生活していくとなると子供は逃げ場がないので、辛い思いをさせてしまいます。

私自身も産まれたくなかったです。なぜ産んだのかと両親をなんどもせめました。

子供には幸せになってほしいです。
だけど、子供が幸せになる未来を想像できないし、私といると幸せになれません。
私のせいです。産んでごめんなさい。
私はもぅがんばれません。

感想1

経験談の執筆ありがとうございます。
自分がこのままではいけない、受け入れられない、という意識が常に強いのかなと想像しました。
小学校に行っていた頃は、学校の人や授業やルールや空間などで、(もしかしたら自覚がなくても)合わせるのが苦痛だと感じることが色々あったのかなと想像します。その時期や、それから学校に行くのをやめてからは、どんな気持ちで過ごしていたのだろうと気になりました。もしかしたら、学校で馴染めないのは自分がおかしいからだとか、学校に行かないといけない、というメッセージを家の中でも外でも感じていたのかなと想像しました。
そして、それから今に至るまで、あなたが思っていることを肯定的に受け止めてくれる人が見つからなかったのではないかと思いました。
自分が生きるために、と思ってやったこと(結婚)が、人権を無視したような扱いを受けることになったら、死ぬしかないという気持ちになってしまうのも想像できます。そんななかで心身ともに限界を超えながら子どもを育ててきて、とても疲れているのではないかと思います。「自分自身安定させるのが困難」だと書かれているのも無理はなく、あなたのせいではないと思います。
人はたくさんの人の支えがあって初めて安心感、安定感を育てられるものではないかと私は考えます。上手な言葉で伝えられなくてもいいと思うので、あなたが言えないことも含めて想像しながら話してくれるような人と関わりを持てればいいなと思いました。弱みを見せられないとのことでしたが、例えばこの経験談のように辛いと思っていることを文字に書いて見せるのも一つだと思います。
もし、あなたの身近で頼れる相手が両親以外で見つけられない場合は、連絡をください。

感想2

投稿ありがとうございます。
学校では不登校だったということで、勉強自体に困っていたわけではないけれど、学生生活は投稿者さんにとって快適なものではなかったのかなと思いました。投稿者さんにとって、学校に行かなかった理由として思い当たることはなにかあったのでしょうか。(「学校に行かなければいけない」とは私はまったく思わないのですが、「行くように」と言われることも多そうなので、気になりました)
また、学校に行っていない時間は、どんなふうに過ごしていたのか気になりました。家で過ごしていたとしたら、その方が投稿者さんにとっては居心地のいい場所だったのか、それともそういうわけでもなかったのか、聞いてみたいと思いました。

摂食障害について書いてある内容を読んで、自分でもどうしたらいいのかわからない自分の状態に困惑したこともあったのかもしれないと想像しました。でも、その状態を親には怒られていたということで、余計にどうしたらいいかわからなかったかもしれないと思いました。

また、仕事のことも読んで、投稿者さんはこれまで学校時代も含めて、困っていることがいろいろあったけれど、「辛いとき辛いと誰かに話をすること」ができないと書いている通り、だれかに相談することがむずかしくて、自分ひとりで抱えるしかなかったのかなと思いました。また、もしかすると自分自身の中でも、どういうことが困っていて、どんなふうにしたらいいのか、言葉にならないこともあったのではないかと想像しました。もしそうだったら、そもそもどういうふうに相談したらいいかもわからないこともありそうです。
「相手が離れていくのが怖いし、変なプライドがあるのかもしれません」と書いてありましたが、リアルな自分の困っている姿やうまくできない姿を見せることに不安があるのかもしれないと思いました。
それはもしかすると、そうでなければ安心して過ごせない状況があったということもあるのかもしれないと想像しました。

結婚相手との関わりでもそれが覆ることはなく、むしろ尊重されない関わりが続いて、投稿者さんとしてはとても苦しかっただろうと思います。いろいろな状況がありましたが、今の投稿者さんにとって自分の両親は味方になって関わってくれると感じられる人なのか、それとも違う感覚があるのか気になりました。

投稿者さんが安心して暮らせるためには、どんなこと・もの・人が必要なのだろうか、と思います。たとえば、仕事をしなくても生活できる場所とか、あるいは子どもと距離を保ちながら過ごせるコミュニティとか、安心して休める時間とか…。投稿者さんと一緒に考えてみたいと思いました。

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