特段生きていくのがつらいとは思っていない。
周りを見れば自分より大変な人もいるなぁって思うし、何も言われず(とは言え何か言われたらそれはそれでストレスになる。)この歳まで生きてきた。
死にたくないについては嘘とも言えないが、最近流行りのスッと消えたいは当てはまる。
目の前で母親が不倫していて、不倫相手に反抗して家を飛び出したことは今でも間違ったことではないと思ってる。
学生時代に大好きな育ててくれた人が死んだ。涙は全然でなくて、食欲はあって、深夜の病院で「明日のテスト休みたいな」なんて思った自分が今も一番嫌いだ。
多分、これは知識として頭にあった「大切な人が死んだとき、人は泣いて、食欲なんて無くなる」って事象に自分が全く当てはまらなかったからだろう。病室で泣く他の人を見ながら自分がなんて冷たい人間なんだろうって絶望した。今思えば、この時から死にたいと思い始めたのかもしれない。
それと同時に初めて体験した身近な人の死と、その人がどれだけ他人に愛されていたかを葬式で知り、せめて私が好きな人たちは死ぬ時に独りにしたくないと思い始めた。
今まで関わりがほぼなかった父親が、同居をしてから色々口を出してきて「今更父親ぶるんじゃねぇよ!」など盛大な喧嘩もしたがこれも後悔はなく、当時高校生だったにしては的確な反抗だったと自分を褒めたりするなど、自己肯定感はあるほう。その時は環境が一気に変わって尖っていたからかもしれないが。
そういえば、私は亡くしたその人にあまり愛されてないと思っていたし事実そうだったけど、平等に愛してほしかったし、他の人から私のことをどう思っていたかを聞き、その人がいなくなって十年も経つのに未だに後悔やら寂しさやらで泣く。
蛇足だがその日から今日までうまく眠ることができなくなっているが、身近な大人は相談しても「自分もそうだから」で話をする気はないし病院も面倒くさい。
友人に相談するという、自分の弱みを他人に見せることが嫌だし、「私なんてもっと寝れないが?」などの不幸マウントを喰らうのもダルい。上記8:2の割合で今まで悩み相談を友人にしたことがない。
自分でも分かってはいるが、子どもであった私の周りには「私が」頼れる大人がいなかった。
不倫している母親、ネグレクトの父親。育ててくれた人も、私が女だからとあまり世話を焼かれることはなかった。当時7歳だったのに。何をしてもどんなに褒められるだろうことをしてもお前はこんなことして当たり前だろって態度をされ続けていたなぁと思い出してきた。それでも手を抜いて成績が悪くなると一番に怒られたこと、今でも納得がいかない。
だから……というと文句をつけていることになるが、私は人に何かをお願いすることも頼ることも苦手で、頼られることが好きだったりする。存在価値を確かめてるみたいで嫌になるが、頼られることが嫌いな人間はいないだろう。
しかし最近、天気が悪いせいか仕事を辞め社会的に「まとも」でなくなったせいか、今死ねば保険金入って家族の今後が楽になるのでは?と思う。まだ若いし、私がいなくても家族は機能するし、こんなご時世だから人も呼べずに葬式も多分安く済む。
ただ自殺はお金が下りるまでの期間があるだかなんだかだし、お互いにいい歳になった父親とは仕事辞めてから会話が増え中は良好だし、やはり男親は娘が息子よりも可愛いというのは4割ほど自分の親にも当たっている。
何より、私が居なくなったら兄は父親に当たられてしまうのでは?という自惚れもある。理由は兄は長年のニート(臑齧り)だからだ。そんな兄を置いて死ぬのも、存命の実親を置いて死ぬもの、自分がめちゃくちゃ健康体なこともあり死ぬことのへの一歩は遠ざかるばがり。
それでもまあ生きるのはほどほどに面倒くさい。やはりスッと消えて生まれ変わりたい。
自分が嫌いだから死にたいだったものが生きるの面倒だな〜に変わってるのは我ながらどうかとは思う。
ここまでの全て、誰かに相談したことはない。私が死にたいと思っていることも、そんな人生だということも、何も知らないしこれから知ることもない。
私は絶対的に“それ”を聞かされる側だからだ。
そんな話を他人にする行動を、自分の価値観では弱いことにしていて、更に自分が嫌になる。
聞いているときはその人の力になりたい、話すことで少しでも楽になってほしいって思ってるのにね。不思議だ。
大切な人たちが全員死んだその時に地球が滅亡してくれたら嬉しいなぁ、なんてことを夢想しながら、今日も自我を持ってる。
感想1
読んでいて、これまでのことや感じていることなどをとても冷静に、ある種、淡々と書かれている様子が印象的でした。家族などの環境の中で選びようのないことも多かったのではないかと思いますが、投稿者さんはできる範囲では自分の意志を表現しながら生きてこられたのかなと思いました。
また、「大切な人たちが全員死んだその時に地球が滅亡してくれたら嬉しいなぁ」というような「夢想」の力と、現実的な生活の力の両方を持っている方なのかなと感じました。
誰かに相談したことはないし、これからもするつもりはない、というような内容を読んで、「弱い」面を出すことが自分を辛い状況にするものだと感じるような経験を多くしてきたのかなと想像しました。投稿者さんが死にトリに経験談を送ってくださったのにはどんなきっかけがあったのかな?と気になりました。
また、「愛」という言葉が幾度か出てきていましたが、それは投稿者さんにとって相互的なものというよりは、投稿者さんから与えるものという印象が強いのかなと思いました。(そのことは、相談はしないけれど、されたら力になりたい、というエピソードからも感じました)
またその元のところには、「愛してほしかった」という感覚もあり、自分がしてほしかったことを自分が大切に思う人にしたいという気持ちをお持ちなのかもしれないと想像しています。(勝手な推測ですみません)
投稿者さんが自分一人でもしたいことはなにかあるのか気になりました。たとえば音楽を聞くとか、甘いものを食べるとか、海外旅行とか、ヨットに乗るとか、なんでもいいのですが、投稿者さんに、なにか一人で楽しめる時間があったらいいなと思いました。