私にとって死とは逃避手段であり救いでした。
私が小学校高学年の頃、母がうつ病になりました。
小学校の図書室に偶然こころの病について書かれている本があり、以前から母の不調に気付いていた私は受診を勧めたのです。
しかし結局母が受診したのは、母が酒を飲んで錯乱してしまった次の日に駆けつけてくれた祖母に「無理矢理にでも連れて行ってくれ」と要請してからのことでした。
ここまでが小学校時代のお話です。
この頃はまだ真っ当に死に怯えていたと思います。
中学校に入った私はいじめられていました。理由はといえばシンプルで、母のことで精一杯でほとんどセルフネグレクトに近い状態だったからです。
風呂にも入らず、歯も磨かないとなればいじめられて当然かもしれません。
家には半ばアルコール依存症と化した母と無干渉を貫く父、学校にも居場所がないということで、私の精神はどんどんと摩耗していきました。
スクールカウンセラーの相談室も利用しましたが、相談内容が全て担任に漏れていたのを知ってからは誰かに頼るのをやめました。10年以上前の田舎というのは精神病に不寛容で、母がうつ病ということは知られたくなかったのです。
中学時代最も衝撃的だったことがあります。母のリストカットです。それもよく見る浅く傷つけたレベルではなくて、部屋中血まみれになる感じのやつです。母の悲しみと憎しみと絶望の叫びをBGMに床に広がる母の血を拭き取るのはなかなかこたえました。思い出すごとに解離症状が出るくらいには。私が中学生の時のことですよ?
こんな状態なのでいじめられているなどと相談出来るわけがありません。
この頃になって私は「死にたい」と思うようになりました。多分「ゲームでバッドエンドルートに入ったのが確定したのでリセットしたい」に似た感情だったのかなと思います。
その後中学を卒業し、私は通学に1時間かかる少し遠い高校を選択しました。
そこでは尊敬できる素晴らしい人に出会い、彼女も出来、まるで今までの不幸を清算してくれるような感じになるわけもなく、またいじめられました。
今度は同級生の女子が揶揄われているところを咎めたところから始まりました。なんという自業自得。
当時の私はといえば、教室に入るだけで確実に心拍数は120回/分を超え、過呼吸が出てしまうほどに追い詰められていました。
中学校での経験から「誰かに頼る」という選択肢がハナから無かったので、最終的に不登校になり退学しました。
教師からも精神科や心療内科の受診を勧められましたが、間が悪いことにこの頃の母は自己断薬しており医師を全く信用していなかったので、結局私はサボり魔の評価のまま退学することとなりました。
この頃には「死」は一つの選択肢になっていました。
抗うか、逃げて失うか、死ぬか。
死ぬほどの元気がなかったのが幸いでした。
そこからは高卒認定だけ取って一回就職して、そこがクッソブラックだったのでまた心が壊れたのでバックれて、今はフリーターとしてぼちぼちやっている感じです。
私は今までのことは何一つ清算出来ていません。嫌な記憶のままです。可能な限り思い出したくない記憶のままです。何も救われてなどいません。多分このままなのでしょう。
今ではかなり安定していると思いますが、「死」は精神状態に関係なく常に選択肢にあがるので、うっかり選ばないように注意しなければいけません。
一度壊れた精神は二度と元には戻らないことを体感しながら生きています。
感想1
幼少期から家庭で母親のことを気にかけ、精一杯ケアをしていて、自分のことを気にかける余裕がない状況が続いていたのだろうと思います。母親さんはうつ病でアルコールに依存するなど、自分だけでは到底対処しきれないしんどさの中にいたのかなと想像します。本来であれば子どもがその面倒をみるのではなく、地域の中の大人が関わり合うことができたらよかったのだと感じますが、実際には周りに相談できる人もなく、それどころか内実を知られること自体がリスクになる状況だったのかなと思います。
投稿者さんが学校でいじめに遭い、相談内容が漏れていたことなどを読んでいて、閉鎖的な環境、選択肢のない環境が人をどれだけ孤立させるのか考えてしまいました。
さまざまな状況を経て、今は比較的安定している状態ということで、投稿者さんは自分にとって苦しい場所から距離を置く力も持っているのだろうと想像しました。(もちろん、それはきっと簡単なことではなかっただろう、とも思いますが)
「誰かに頼る」選択肢を持つことは難しいときにも、もしかしたら、死にトリのように匿名で、自分の距離感と自分のペースで参加できる場所だと、活用できるものがあるかもしれない、と想像しました。
過去の記憶をなかったことにするのは難しいし、だからといって容易に触れられるようになるものでもないと思います。投稿者さんが「死とは逃避手段であり救いでした」と書いていることからも、死を選択肢と捉えることで、記憶やつらい状況の中、自分の心の中で逃げ場を作ってきたのかなと想像しています。(同じではないかもしれませんが、私もしんどさから逃げられないときに「死にたい」と感じることがあります)
「抗うか、逃げて失うか、死ぬか」と書かれているのが、まさに投稿者さんの中で持ち続けてきた選択肢なのだろうかと思いました。この選択肢に、苦痛の少ないもの、あるいは心地よさのあるものが増えていくにはどんな機会があるといいのかなと考えました。投稿者さんにとって心地いい時間(好きな色のものをみるとか、音楽を聞くとか、ごろごろするような一人ですることでも、だれかと何らかの形で関わることでも)が生活の中にすこしでもあったらいいなと思っています。