経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
自分以外の人間に、『相談』することのしんどさ。
こっちはもうどうしようもない状態なのに相談相手が、こちらの状態を理解できるように『よく考えて説明してあげないといけない』のがいやになり相談するのをやめている。あと相談したいと思う気持ちがなくなった。さらに傷つけられるのに相談なんかするか。
●思うがままにわめき散らす文章で相談したら相手はとまどった返事しか来ず。がっかりした。(よく考えて精査した文だと凄く優しい返答がきていたので余計に。)
●「ただ聞いてほしいだけなんです」と相談したら「通院は考えていないんですか」と『質問』され「過去の経験から無理です」とちゃんと経緯を説明したのに相手は不満そうな雰囲気が感じられた。事実はどうあれ、相談者であるこちらにそう感じさせる態度でいる時点で相談員としてダメ。あげくに「自分で自分の状態を決めるのはよくない」と『意見』された。ちゃんと最初に、ただ聞いてほしいだけだとことわっておいたのに。
相談して、余計に傷ついたことが何度もある。というか助けになるアタリを引いたことの方がすくない。よく気軽にお医者さんを探していった方がいいといわれるが(金の問題もあるが)そんな心の元気が残っている状態でない人間によくもいうもんだ。無責任すぎる。
相談する側に、『相談相手が理解できるように説明する力を要求する』レベルの人間が、相談相手として多くいるのはやめてほしい。あと、私がいった病院の一つは、病院側の用意した質問にまず答えさせられたのが納得いかない。こちらに何の説明もなく、家族構成やこれまでの人生の経歴、つらいときに相談する友達がいたか、とか聞かれた。こちらをいたわる感じはみじんもなく、『病院側の用意した物差し』でこちらを『はかって』いる感じがする。『あなたの状態を知るために、この質問をしています』くらい説明はないのか。
私も無料相談電話を何度も利用して、ようやく『相手がこちらの状況を理解できる簡潔な説明になる単語』がつかめるようになった。やってらんない。聞いてほしいだけと断っていたにもかかわらず意見いう愚か者もいる。もっと言葉に気を付けろ。どうしてもなら「あなたが心配だから」くらいいれるという通達を相談員に徹底しろ。正論では救えない状態があるのを知ってますか。大体、「つらいんです」というと、あまり通じない。いろいろとアドバイス来たりしてさらにつらかった。アドバイスもつらいが、私のつらさが通じてないのもつらかった。
感想1
たしかに、相談することって結構体力を使うし、難しいと思いました。
それは誰にするか、どんなタイミングでするかでも変わるし、自分の状態によっても変わりそうです。
とくに限られた時間で言葉を中心に多くのことを伝えなければいけない場合、自分でも整理できていないことをうまく伝えられなくてフラストレーションを感じることが、私自身もあるなと思いました。
人によって、相談や相談する相手に求めることはかなり違いそうですが、投稿者さんには、まず「聞いてほしい」「受け取ってほしい」という思いがあるのだろうと思いました。また、言葉を通して自分も誠実でありたいし、誠実であってほしいと感じる思いもあるのかなと想像しました。(ずれていたらすみません)
しんどいときに、人と関わるのは疲れることもありますが、それでも一人で抱え込むのではなく誰かと関わりたい、誰かに聞いてほしいと思うことはあると思います。自分の外にアウトプットすること、そしてできればなんらかの(些細であっても)フィードバックがあることは大事なのではないかと私は思っています。
そういうときに相談という選択肢以外にも、いろんな関わり方があって、それを選べるといいのになと思いました。
その意味で、死にトリは「相談」という関わりではない選択肢を持てる場所として設置されているのだと思います。投稿者さんが経験談を送ってくださったことも、その選択肢のひとつかなと思いました。
感想2
一般的な言葉としての相談と、いわゆる相談機関を利用する相談は、少し意味が違うと思いますが、ここでは後者のことが書かれていると解釈しました。
個々人の生活が様々な面で立ち行かないような社会は、なんだか不自然で、本来の生活や人間関係を支える機能を果たせていないのだろうと思います。だからこそ、最近は応急処置として相談機関があるのだろうかと考えました。相談機関への相談でのコミュニケーションでは、とりあえずその場を凌ぐということを重視する一方で、落ち着いて人間同士として向き合うことのハードルが高いのかなと想像します。
死にトリでは、様々な状況の中で生きづらさを感じている人たちが、緩やかにコミュニケーションをしたり、互いの思いを共有したりしていると思いますが、あなたが使ってみようと思うコンテンツはあったでしょうか。もしくは、こんなコンテンツがあったらどうか、というアイデアがあれば知りたいなと思いました。
相談機関に自分のしてほしいことを最初に伝えているところなどから、あなたは自分の人生を他人に委ねるのではなく、自分で舵を取っていきたいという気持ちがあるのかなと想像しました。ただ、それは決して、社会の課題という重荷を一身に背負わされ、他人と共有することなく自分だけ(一部の人だけ)で解決していくということではなく、現在の社会の課題は平等に背負って解決に向けて動きつつ、自分の人生を生きていくということなのかなと想像しました。
感想1
たしかに、相談することって結構体力を使うし、難しいと思いました。
それは誰にするか、どんなタイミングでするかでも変わるし、自分の状態によっても変わりそうです。
とくに限られた時間で言葉を中心に多くのことを伝えなければいけない場合、自分でも整理できていないことをうまく伝えられなくてフラストレーションを感じることが、私自身もあるなと思いました。
人によって、相談や相談する相手に求めることはかなり違いそうですが、投稿者さんには、まず「聞いてほしい」「受け取ってほしい」という思いがあるのだろうと思いました。また、言葉を通して自分も誠実でありたいし、誠実であってほしいと感じる思いもあるのかなと想像しました。(ずれていたらすみません)
しんどいときに、人と関わるのは疲れることもありますが、それでも一人で抱え込むのではなく誰かと関わりたい、誰かに聞いてほしいと思うことはあると思います。自分の外にアウトプットすること、そしてできればなんらかの(些細であっても)フィードバックがあることは大事なのではないかと私は思っています。
そういうときに相談という選択肢以外にも、いろんな関わり方があって、それを選べるといいのになと思いました。
その意味で、死にトリは「相談」という関わりではない選択肢を持てる場所として設置されているのだと思います。投稿者さんが経験談を送ってくださったことも、その選択肢のひとつかなと思いました。