はじめまして、こんにちは
私はお菓子屋さんで働いている24才です。
これを投稿しようと思ったきっかけは、「死にたい」分析をやってみて、自分が思ってた以上に「死にたい」願望が強くて驚いて、自分の気持ちの整理のためにも、思っていることを書き出してみようと思い、投稿しました。
言葉がうまく見つからないので、読みづらいところがあるかもしれません。
まず、私が分析をするに至ったきっかけは、とある芸能人の自殺の記事を読んで、そこにあった当サイトのリンクをクリックしたことです。
私は「死にたい」というより「生きづらい」というように感じていたので、興味本位もあって分析をやってみました。
結果で特に強い要因になっている項目はカテゴリー2で、「自分の力を発揮して夢を叶えたい、それができなければ生きる意味がない」というものでした。
私には夢も目標も思い当たるものがなかったので、とても不思議に感じました。
あくまで分析なので参考程度に……ということだろうと思いました。
わたしが「生きづらい」と感じている訳は、現時点でいうと仕事です。それだけが要因というわけではないですが、なるべく簡単に昔の事から説明すると、
いじめや虐待にあっていたわけではありません。いたって恵まれた(たまに親に反抗する程度の)家庭だと思っています。今では両親とも姉妹ともそれなりに仲は良いです。
ただ、幼い頃は考えすぎていた事もあって、姉妹間でのケンカや親子での問題があるたびに
「(ケンカ相手みたいにならないよう)言葉には責任をもとう」
とか
「(アイツみたいな横暴じゃなくて)誰にでも心広く持てるようになろう」
とか考えてました。
成長して高校生、専門学校生のときは、そんな考えも忘れて、真面目に生活している傍ら、共同作業とかでサボってる奴がいると、言葉には出しませんでしたが、内心イライラしまくってました。
この頃から「他人に何かを言っても(伝えても)、無駄というか、あまり意味なんてないんだ。」という考えが出てきました。
でも今思うと、自分に多少の自信があったから、少し強気でいられたんだと思います。
そして今の職場に就職しました。
最初の1年目は雑用中心で、2年目は後輩の面倒を見ながら、別の部署で先輩たちと一緒に働き、約1年交代で別の部署(部署と言ってもL字形の建物の部屋が分かれているだけ)を回るといった勤務体制でした。
最初は一生懸命頑張って、早く仕事を覚えようと思ってました。ですが、やはり体力勝負な仕事だったり、勤務時間が長かったり、職場の先輩とうまく行かなかったりで、最初5人いた同期も1ヶ月くらいで2人辞めていきました。1人、2人、いるか、いないかで結構仕事の大変さが変わってくるので、その時は「どんなに大変でも私は長く続けてやる!辞めていった奴らと同じにされたくない!」って思ってました。
2年目、3年目になってから、後輩の面倒を私なりに真面目に見てきて、先輩たちと同じように教えてきたつもりなのに、2年目の後輩は4人全員、3年目の後輩は3人中2人辞めていき、さらには「先輩(私)が怖い」と言われていたそうです。
私なりに真面目に働いているだけなのに、そんなことを言われるなんて、正直ショックでした。
その時は一人暮しのアパートで、ボロクソ泣いて、ガラスのグラスを思いっきり壁に投げて割ったりしてました。
今思えば、自傷行為は無かったものの、「死にたい」願望はこの時最高潮だったとおもいます。
でも、「私が怖くて後輩が辞める=私が苦しくなる」
それなら「私が怖くなくなる=後輩が辞めにくくなる=私が苦しくなくなる」
というように考えて、なるべく優しい口調で、雰囲気で接してあげられるように心がけました。
でも、それはとても難しくて、どうしてもイライラしてしまい、それが態度に現れているようでした。
自分の意識ではどうにもならないと感じたのでしょう。
今思えば極端すぎる考えだったのですが、
イライラするエネルギーがあるからいけない、イライラする前に疲れたり、他の事に意識を割いたりできればイライラしない。
そこからご飯を食べる回数が減るようになりました。
もともと休憩時間が短いのもあったのですが、それまで食べていた昼食を食べなくなりました。(朝はもともと食べてないです)最低限体が動けば問題ない、イライラする前に疲れてしまえば、感情の起伏が激しくなることはない。むしろお腹がすいて、「早く仕事を終らせて、家でゆっくりご飯を食べよう。」というように考えるように意識しました。
今この文章を書いていて、我ながら極端すぎる選択だと思いますが、誰かに頼るという選択肢を選べないのは私の悪い癖ですし、今もそれができません。
誰かに相談すればよかったのかもしれませんが、私の事だから自分で何とかしたかった思いもあったし、何より誰かに相談して、それは根本的な解決策になる気がしませんでした。
一社会人として会社の利益になる手段をとるには「私が辞めるか、後輩が辞めるか」ではなく、「両方辞めずにすむ方法を考えて実行する」だと思った私には、この方法しか思い付きませんでした。誰かに相談しても前者のようになると思ったからです。
話を戻します。
4年目、5年目(現在)、になってからは後輩の人数は安定するようになりました。逆に私の仕事への意欲が下がり、仕事が出来る同期(以降Aさん)にイライラされる立場になりました。今ではその同期の事を怖いと感じています。
私はここで、身動きがとれなくなりました。
イライラする立場の気持ちも、イライラされる立場の気持ちも分かってしまったから。
しかもAさんは私と同じくらい態度に出やすい人で、チーフの人にその事を注意されて泣いていたことがあります。
真面目に仕事をしているだけなのに自分が悪いよう言われるAさんの気持ちは分かるし、なるべくイライラさせないようにと思うのですが、私はAさんほど仕事が出来るわけでもなく、空回りが多い方なので、今ではAさんの視線というか動作とか声のトーンとかにビクビクしてしまって正直無理です。
ここから私は色々な考え方が出てきてしまって、うまく自分の頭のなかが整理できなくなりました。
箇条書きで書き出すなら、
・私がもっと頑張るか、Aさんと話すとかすればいい
・Aさんも自分の意見とか感情を表に出すの辞めたらいっそ楽なのに
・(自己暗示)これはゲームだ!いかに早く仕事を終らせられるかだ!
・困ったときは焦ってもミスするだけだから、会話も最低限にして、淡々と仕事をこなそう。(←現時点ではこの考え方でいることが多い)
とにかく困ったり、考えても答えがでなかったり、怖いと思ったら、なにも考えないようにすることが多くなりました。
最近では、人と話すのが辛いというか、話しづらいというか、思った言葉が出てこなくなって、仕事ではあまり話さなくなりました。
代わりにアパートに帰ってから独り言が多くなったような気がします。
今の気持ちをそのまま言葉にするのなら
怖いとか不安は感じるけど、「死にたい」ほどじゃないんだよなー
でも「生きてる」意味もあんまり感じないんだよなー
漫画、ゲーム、旅行とか「生きてないと」得られないものも好きだし、家族を泣かせたい訳じゃないけど、今「死んでも」別にいいなー
てか、こんなにウジウジ考えても答えでなくてしんどいなら、いっそ誰か「殺してくれ」
生きる理由も死ぬ理由も無いから現状維持
が今の私の気持ちに一番近い言葉かもしれない
この文章を書いていて、私は自分自身がこういう人間になったことを周りの人とか環境のせいにしだがってる様に書いてるのかもしれない。
Aさんだって人としては悪い人じゃないし、頑張り方は人それぞれだから、そこにイライラしても仕方がないのも分かってる。
考えれば考えるほどまとまらなくて、人と話すときいい言葉が浮かばなくて、詰まって、話せない。
こんな気持ちを誰かに相談出来る気がしない。
きっとうまく話せないから。
ここなら文章だし、とりあえず書くだけって思った。
相談してスッキリするだけじゃなくて、問題を解決して、答えが欲しかった。うまく行く方法を見いだしたかった。
今思うのは仕事1年目が一番頑張ってた
なんであんなに頑張ってたのかもう分からない。
環境を変えてみようと思ったから、次の3月で仕事は辞める。
何だかんだ4年間働けたんだ、あと1年ならきっと文句も言わずに頑張れるはずだ
分析結果で、理想の自分になれないギャップに苦しんでいるってあった、
確かに、自分の考えに答えを出したいけどできないっていうのは、当てはまるかもしれない。
でも多分、出したい答えが出せないでいるのは、自分がどうしたいのかハッキリ分かってないからかもしれない。
誰か私という名の戦闘ロボットにのって私の代わりに私を生きてくれ。とも思う。
我ながらクズな事言うけど、私は生きるのも、死ぬのも、他人に任せて責任から逃れたいのかもしれない。
とりあえず、支離滅裂なところもあるけど、書きたかったことは書けたと思う。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
感想1
読ませていただいて、投稿者さんは物事を捉えて真剣に考える人なのだと感じました。なにかが起きたときに、「これはどういうことだろう」「どうしてだろう」と深く考え、結論を出し、それに沿って動くことが多いのかなと思いました。ご自身でも書かれていましたが、それをだれかと共有しながらやるのではなく、自分の中で解決する志向があり、それによって判断や行動を進めてきたのだろうと思います。
また、仕事の中でコミュニケーションを取ることは多くあっても、「どういう思いだったのか」「どんなことが気になるのか」「なにが大切だと感じるか」などをお互いに話し合う機会はあまりなく、答え合わせのないまま自分で結論を出さなければいけない状況が続いているのかもしれないと思いました。
もしかすると、ときには「このほうがいいだろう」よりも強く「こうしなければいけない」という思考になり、ほかの選択肢を探せなくなることもあるのかもしれないと思いました。そういうときは、できればだれか他者の言葉から、全然別の視点を見つけてみるのもいいかもしれないと感じました。また「うまく話せない」という思いがあるなかで、死にトリの経験談として思いを投稿してくださったことうれしく思います。
投稿者さんは本当であれば頑張りたい、そのほうが満足できるという気持ちがあるのかもしれないと想像しました。あるいは現状の困ったことを解決したいという思いなのかもしれません。私は個人としては頑張らなければいけないということもなさそうだと思っています。人それぞれどんなふうに過ごしたいか決める権利があり、それはだれにも否定されるものではないと思うからです。でも、一方では頑張りたいときに頑張る権利もあると思います。投稿者さんが過ごしたい時間を過ごせることを願います。