私は14歳の頃からずっと生きづらかった。
高校受験の失敗、失恋、仕事での失敗、自分の気持ちと相反する仕事ばかりさせられ身体を壊したこと等、一見どこにでもある失敗体験すらしんどく、すぐ死にたくなった。自分は人と何か違う気がして仕方なかった。
何か嫌なことがあった時、かさぶたになっていない傷があるのに新しい傷ができ、癒し方も分からなかったから極力傷つかないように信用できる同年代の人としか関わらなかった。自分より年上の大人は信用できないし、困ったときに助けてもらう選択肢にすら入らなかった。しんどさを我慢するとこがベースだから、人がしんどいと思うこともある程度我慢できたし、適応しているふりが出来た。笑って元気そうに見せるのも得意だったし、恋愛では求められる自分を演じることもできた。
でもいつも埋まらない心の穴があった。そんな生きづらさを10年抱え続けている私だが、最近になり少し生きづらさの元となる原因が分かってきた。
私は家庭に居場所がなく、機能不全家族の中で育った。
物心ついた時から父は単身赴任で家におらず、祖父母と母、兄と生活していた。小さい頃はあまり生きづらさを感じず過ごしたが、14歳の時、母が不倫をしていることを知り傷つく。この母の裏切りは許せなかった。幼いながら私は、家族がバラバラになってしまうからこの事実は誰にも言ってはいけない、自分が我慢すればこの家庭はうまく回るはずと家庭でも学校でも何事もなかったように笑顔の仮面を被り続けた。祖父母から経済的援助を受けていたから、母はいつも「あなたは私や祖父母が居るから食べられているの。感謝しなさい。」と言われ続け、その代償に家事や祖父母の介護を手伝わされ、母親が望むいい子を演じなくてはならなかった。本当はそんなこともしたくなかったし、母親に言いたいことはたくさんあった。
その頃から「辛いのは今だけ。いつか笑って話せる日が来る。」と自己暗示して傷ついた出来事自体を自分の記憶から消し去ろうとした。ダイエットに夢中になり、いつの間にか食事に支配された生活を送ることもあったし、考えなくて済むようにいつも打ち込む何かを見つけ取り組んでいた。しかし、心が悲鳴をあげたときは、訳もなく涙が止まらなかった。気付いてほしくて、母に話しかけられても無言を貫くこともあったが、空気が悪くなって不愉快だからやめろと言われるだけだった。自分をコントロールしているつもりだったが、できていない自分に嫌気がさした。
傷つき体験から5年経ちはじめて彼氏ができた。それまでも家が嫌いで友人宅を泊まり歩いていたが、彼氏の家に泊まることも増え、自宅に帰らないことも増えた。母は娘がだんだん自分の思い通りにならないもどかしさがあったのか、私に不満をぶつけてきた。だから私も傷ついた気持ちと不満をぶつけたが、母からの返答は全て自己本位だった。私のことを何一つ考えていなかったし、自分の欲求のまま動いているだけだった。自分の気持ちや考えを伝えるが、母は分かろうともしなかったし、分かり合えなかった。
今まで勝手に自分が犠牲になり、家庭を守っていたつもりだったが、そんな馬鹿ばかしいことをやっていた自分に嫌気がさした。母親なら分かってくれるはずと心のどこかで期待し、希望を持っていたがそれが一気に崩れ落ちた瞬間だった。その出来事をきっかけに母が私にやっと気を遣うようになったが、その気遣いすら自己本位なことだらけで、お節介だった。
大学卒業と同時に実家を離れ、物理的にも精神的にも母の支配から離れることが出来ている。しかし、生活する中で生きづらさはずっと抱えている。
例えば、人前で弱音を吐くことはダメなことと無意識に思い込んで人を頼れないことや人を信用するまでに時間がかかるから試し行動をすること、他人から褒められても気持ちがソワソワして何か裏があるのではないかと素直に受け取れなかったりする。恋愛では自分を必要としてくれる人と付き合うから相手の望む自分に合わせすぎて疲れてしまう。他にも何か問題が起こった時、すぐに自分が悪いんだとネガティブになり、極端な答えや解決法しか思い浮かばないことや少し良いことがあるとその先に何か悪いことが起こるのではないかと、幸せを感じている自分に違和感すらも覚える。
全てが機能不全家族で育ったトラウマとは言えないが、関連することに気付いた。14歳の傷ついたときに一緒に考えてくれて「大丈夫だよ。何とかなるよ。」と言ってくれる大人の存在があったら、今までの死にたくなる気持ちは少し和らいだかもしれない。
私は人が生きていくうえで抱える困難や悩みをどうやったら乗り越えられるもしくは付き合いながら生きていけるか相談者とともに考える仕事をしている。その中で多様な人の価値観や生きづらさに触れ、自分の生きづらさにも気づかされた。この経験ゆえ共感できることもあるが、自分のトラウマに触れることがあると自分を守るために許容できないことがあったり、怒っていたりすることもある。親から受けた毒が解毒されていないから、無意識のうちに人を傷つけていたこともたくさんあった。
武器にも鎧にもなりうる取り扱い不明のトラウマに向き合いたいと思いこの経験談を書いた。ここで整理することで、トラウマを癒すとともにいずれは上手く使いこなせるようになりたいとも思っている。
最近になり少しずつ自分が心地よいと感じる居場所が分かってきた。笑顔の仮面を被らず自然と笑いが生まれる場所、力関係がないところ、強さも弱さも出せて自分らしく居られる場所。
今まで無意識に誰かの為にと自分を犠牲にばかりしてきたから自分を大事にするという意味が分からなかったけど今は、自分が心地のよいこと、人、場所を選ぶことが自分を大事にすることにつながるのだと思っている。少しずつそれを選べるようにもなっている。
このトラウマを癒すのは、まだまだ時間がかかると思うし、泣いたり笑ったりを繰り返しながらたくさん死にたくなると思う。だがこれからも人と関わり続け、人の力をかりながら自分自身とトラウマに向き合っていきたい。
感想1
書いてくれてありがとうございます。
これまでたまっていたことを一気に文章として昇華させた勢いが伝わってきました。
自分の気持ちや状況、背景を厳密に言葉にしたのだろうと感じました。同時にものすごく客観的に自分自身をとらえていると思いました。おそらく、それまで自分のことをどこか引いたところから見ていたもう一人の自分がいて、そのもう一人の自分はずっとしゃべらないで我慢していたけれど、「ようやく、自分が話すときが来た!」と思って、一気にしゃべっているような感じです。ただ、まだ少しだけそのもう一人の自分はまだちょっと離れたところにいて、注意深くリアルなあなたを見守りながら、用心深く自分が傷つかないように身を潜めているような慎重さも感じます。
せっかく語り始めたあなたのもう一人のあなたを、ぜひ大切にしてほしいと思います。「そんなこと言っちゃダメ、思っちゃダメ」と感じることもあるかもしれませんが、気にしなくてよいと思います。あなたが感じること、思うことが全てでそれを確かに自分のものだと実感していいのです。ただし、一人ではつらいこともあります。あなた自身が手に入れつつある居場所で始めているようにいろいろな人の力をこれからも借りてください。そして、あなたの力も私たちに貸してもらいたいと思います。