経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

どうしてまだ生きてるんだろう

子供の頃から自分が大人になる想像ができなかった。

将来の夢とか、お嫁さんになりたいとか、そういうのもちっともなかった。未来を描くことも含めて、世間一般的な当たり前とか普通とか、そういう感覚が私の中になかった。子供の頃はそういうものだと思ってたけど、ただ社会の普通と私の普通はズレていて、同じじゃなかった。
それでもなんとなくの想像はできたけど、想像にすぎないものは心もとなくて頼りない。特別にわかりたいと思ったことはないけど、わかったらしんどさの大部分は感じなくてすんだんじゃないかなと思う。でもわからなかったから、クエスチョニングや非性愛で苦しまなかった。
そういった周囲の齟齬から揶揄いまじりに不思議ちゃんとか天然とか評されることも含めて、わからなかったし、同時にどうでもいいものだった。

小中にいじめにあってた。一番ショックだったのはずっと親しくしていた男友達に突然距離を置かれたこと。寂しかった。でも私にはその感覚はわからないけどそういう年頃だしと思って受け容れたら次第にいじわるなことを言われるようになって困惑したし、仲が良かった分反動で大嫌いにもなった。
それ以外のいじめはただ困ったし、中学で馴染めなくなったこととか、どうすればいいかわからない気持ちの方が強かった。恐怖はたぶんあった。ただ、どうして怖いのかがわからなかった。暴力を振るわれたことはないし、悪意があったかも怪しい。ただ、面白いおもちゃで遊んでて、私はそのおもちゃだっただけなのに、そのことに恐怖を感じることが不思議だった。
そういう恐怖を含めて、当時は今よりずっと自分の感情に鈍かった。

いじめと同じかそれ以上に父親の方が怖かったのもあると思う。虐待はなかった(と思う)けど、子供を苦しめる「毒親」の要素はあった。きっかけは忘れたけど、もしくはきっかけなんて明確なものはなくて、幼少期から少しずつ父親と同じ空間にいることへのプレッシャーだとか緊張だとか恐怖だとかが当たり前になって、定期的な不眠症もリストカットも小学生の頃には当たり前になってた。そういうもの全部含めて、自覚がなかった。問題視もしてなかった。
不眠症は不定期で「また」だったし、リストカットも、そうすれば少しだけスッキリするし、傷跡を見ると安心できたからしてただけ。成人以降、精神科医の主治医に指摘されるまで二人に一人くらいは一度くらい過呼吸やリストカットの経験があると本気で思ってた。

中学のフリースクールは楽しくて楽だったけど、同時にその頃から世間一般的な「普通」がわからないことも増えていった。多少の戸惑いはあっても、気にしたことはなかった。実際は、たぶん自覚がなかっただけで相応に疲弊してたんだと思う。わからないことも、自分が「普通」じゃないことも、焦りがあったし、わからない自分がだめなんだと思うようにもなっていった。「普通にならなきゃいけない」って、強迫観念のように思ってたし、引け目みたいなのもあった。

高校卒業後、頻繁な過呼吸や、高校の間は治まってたリストカットで心療内科に行って、発達障害の可能性があると言われて、言われるがままに専門のクリニックで診断された。広汎性発達障害。ASD。私はずっと私じゃなかった。普通じゃない私が、普通なんてわかるはずもないし、なれるはずもない。
アイディンティティの崩壊は絶望を味わうのも、「私として」産まれてきたくなかったと思うにも十分すぎた。

診断後数年間の記憶はおぼろげ。実家で過ごしてたとき、父親から見れば「努力不足」で「やる気がなくて」、たまに親友と遊ぶことさえ顰蹙を買って、私には、扶養されている障害者には何かを楽しむ権利もないと突きつけられる現実がつらかった。
それはたぶん障害への理解の無さと、もしかしたら私への期待もあっただろうけど、私を抑圧するものでしかなかった。当時は今ほどASDを含めた本もなければ内容も変わり映えしないものばかりで、ASDは脳の仕組みで、なんて説明する気力もなかったし、諦めてた。何より恐怖が先に立って上手く思考もできなければ言葉にもならなかった。

今、社会的にはまだ若者の範疇でも、十分に大人と言われる年齢にはなった。だからもう、子供の私が想像できなかった大人になって、大人になるまで頑張ったんだから、もういいかなと思う。死にたいと強く思うときもあるし、(ASDとして、つまり今の私を形作る私として)産まれてきたくなかったと思うときもあるし、生きたくないと思うときもあるし、何もかもどうでもいいと思うときもある。
大切な人たちより早く死にたいな、とずっとどこかで思ってるから、簡単に自分の生を投げ出すような思考になるところはあると思う。だってそんなの、耐えられない。傷つきたくない。だから早く死にたいし、来年の私が生きてるのか自分でもわからないし、そもそも長生き自体したくない。何よりずっと母親に負担と迷惑をかけて、可哀想だなと思う。私なんか産んだせいで、しなくてすんだかもしれない苦労をして、ならやっぱり、私の存在に価値なんてないんだろうなと思うし、いつまで続けるんだろうと自分に対して思う。
死にたい理由があるとしたら、生きることが苦しいとかだけど、生きていたい気持ちが薄いのは、産まれてきたくなかったってことと、私がいなくなったら母親は私から解放されて楽になるんじゃないかなって願望。絶対に悲しむし傷つくだろうなってわかるけど、苦労しなくてすむのもたぶん本当だから。
ただ、身内とか、学生時代からの親友とか、SNSを含めた親しくしている人とか。私が大切に思う人たちが、私が死んでもあんまり悲しまないで、勝手な奴だって怒って、引きずらないでほしいなと思う。さっさと忘れてくれればいい。私を傷にしないで、好きに、できれば幸せに生きていってほしい。そこだけが今の気がかり。

感想1

経験談の投稿、ありがとうございました。
自分が「普通」ではないと感じることが多く、プレッシャーに思ってきたのだろうかと思いました。私は「普通」がなんなのかよくわからないし、普通かどうかで決めなければいけないと困るなぁと思うことが多くありますが、投稿された文章の中で求められていた「普通」とは、違いが目立たず、「普通ではない」と周りに言われたり、そういうものとして扱われたりしない状態のことを言うのかもしれないと思いました。
私は違いが目立つことが苦労につながる社会は狭量だと感じますが、人それぞれがみんな異なるということを十分に学ぶ機会を持たずに育つしかない場合も、現代日本社会の中では少なくないのだと感じます。
また、実家で過ごしていたときの父親さんの「努力不足」といった視線は適切なものではないと感じました。生きている限り、すべての人間が心地よく生きる権利があると思います。そしてその権利を大切にするために生きていいはずです。でも、その権利は生きている人皆で支え合わなければいけないものだと思いますが、実際には家庭などの小さい集団に責任を押し付ける形で孤立している状況があるのだろうと思いました。
家庭と学校で緊張を感じる場面が多かったとすれば、眠ることがむずかしくなることも頷けますし、自傷行為に安心を求めることは投稿者さんにとって必要な対処法だったのだと感じます。
いま投稿者さんが安全だと感じられる場所はあるのだろうかと気になりました。投稿者さんには大切な人がいると書かれています。そう感じられる関係、そして投稿者さん自身の感覚は安心につながるものかもしれないと想像しています。人以外のもの、たとえば音楽や風景、場所、食べ物などでも、投稿者さんが心地よくいられるきっかけになるものがこの世界に多くあればいいと思いました。

感想2

「普通」「世間一般」とされているものが、この世の中での「常識」になっていると感じている部分についてがとても分かりやすく書かれていると感じました。それが分からない人、また逆にそれが分かる人って、誰の基準なのだろうか…常識として分かる人がいるのならば、それを伝えてくれる人が教育現場に居るべきなのではないか…と考えてしまいました。でも、「普通」「世間一般」といったような考えは一人一人違うのではないかと私は考えています。育った環境も違えば、出会った人も違くて、他人とのズレはあって当然だし、そのズレがどの部分なのかは想像でしか無いのも当然だと考えています。
だけど、この社会には同調圧力のような、みんなが同じ方向を向いていなければいけないという圧力を感じる場面が存在しているのも確かだと感じます。この圧力を感じるような経験が多ければ多いほど、しんどくなるだろうし、生きづらさに繋がると思っています。「不思議ちゃん」「天然」と称されても、どんな意味があってそう言っているのか分からなくて当然だし、分からないことを言われているのだから、どうでもいいという気持ちにもなるだろうなと思いました。また、そのようなことを言ってくる人も、多かれ少なかれ圧力を感じていて、他人に対して自分の価値観を押し付けているのではないかと私は感じています。

幼少期の家庭環境、いじめなどは、当時のあなたにとっては「普通」だったのかもしれないと、勝手に想像しました。そして、圧力を掛けられ続けていた経験から、楽しいと感じられる環境(この経験談では、中学のフリースクール)で過ごしていく中で、周りの人への関心が増えて「普通」について今まで以上に深く考え始めたのではないかと想像します。「普通にならなきゃいけない」とあなたが考えていたのは、自分自身のことよりも周りのことを考えていたために、自分の「普通」を押し殺していたように感じています。

一人一人に「普通」の考えがあるけれども、自分は自分、他人は他人、といった境界線が分からなくなってしまった時に疲れてしまいそうだなと思いました。このように感じる以前に、あなたには考えられる余裕もないほど、必死だったのかもしれません。

最後の段落に書かれている「大切な人たちよりも早く死にたいな」「私が死んでもあんまり悲しまないで、勝手な奴だって怒って、引きずらないでほしい」が、自分の死にたい気持ちと大切な人を想う気持ちの間で葛藤し続けているのかなと感じました。あなたが思う大切な人は、あなたが思うくらいだから、あなたの「普通」を受け止めてくれる人なのではないでしょうか?最初にも述べましたが、全ての人が個人の「普通」を理解するのは、私は無理だと思っています。もしも、大切な人が受け止めてくれるのであれば、生きる理由ってそれだけで十分なのではないかと私は考えています。生きづらさを抱えた社会の中で、一人一人の「普通」を理解する働きがあれば、もっと良いのですが、なかなかこの社会には難しそうなので、私はこう思いました。

感想3

これまでの経験と考えてきたことを書いていただき、ありがとうございます。
子どもの頃から「世間一般的な当たり前とか普通とか」を感じとって、それについて考えさせられてきたのかなと思いました。
当時と現在の認識の違いを、投稿者さんが感じていると捉えられる表現がいくつかあったと思います。当時のつらさを、今になってより強く深く実感するということもあるのだろうかと思いました。また、振り返ってみて、今の投稿者さんなりの知識や考え方でもって、再び解釈をしようとしているようにも見えました。
「普通がわからない」とあなたに思わせたのは、何だったのだろうと想像したくなりました。「普通ではない」という評価をされたり、他の人や物事が「普通ではない」と評価されているのを見聞きしてきたからなのかなと推測しました。
さらに、もしかしたら投稿者さんは、「普通」に限らず、何かが「わからない」ということに不安や恐怖を感じてきたのだろうかと想像しました。情報が充分に得られないと、よくわからないし、かといって自分になじみのない情報が飛んできても、よくわからないので、怖いのではないか…と思いました。その中で、投稿者さんのこれまで得てきた知識や経験を総動員しながら、自分や周囲の人について考え続けているのだろうかと思いました。それが、投稿者さん自身の生きる支えとなってきた面もあるのだろうと想像します。
私は、投稿者さんは、他の人とは独立した一人の人として、生きる権利を守られなければならないし、それが担保されるような社会であってほしいと思います。もし、これまでのような恐怖や不安に耐えてまで生きることがつらい・やめたいと感じているなら、その恐怖や不安を緩められるような手だてを一緒に考えて、試してみたいなと思いました。

お返事1

私の経験談を紐解いていくような丁寧な感想をありがとうございます。
拝読させて頂き、自分でもしっくりきた部分や、なるほどそうかもしれない、と思えるところがあり驚きました。
自分のことさえ分からないことが多く、それをどうにか自分自身を見つめて、考えて、タイトルの「どうしてまだ生きてるんだろう」という素朴な疑問を私なりに掘り下げたものに、暖かな言葉に安心しました。

感想1さま
感想を拝読し、小さな私は平々凡々な、どこにでもいる、ありふれた、目立つことのない子供でいたかったのだと思いました。もっと言うならば、個性を個性として受け止める、「違う」ことを否定されない、人との「違い」が当たり前で、そういう当たり前を求めていたのだと。お察しの通り、幼少期からずっとプレッシャーがあったのだと思います。

私が普通でない、周囲との隔たりを感じることが多かったのは幼少期の体験も大きいと思います。
幼少期、遡ると赤ちゃんから二十歳まで、先天性の病気で長らく通院と、数回の手術・入院とそれに伴う養護学校への通学をしていました。今は数年に経過観察をするだけですが、そこは幼い頃から今でも安心の象徴です。数少ない、否定のない場所。
その病院には、病院外では決して見ることのない病気や身体障害の小さな子供たちが多くいました。幼い私にとってその光景は、一歩病院の外を出たら(恐らく障害者介護などの施設を除けば)決して見ることのない光景は、当たり前のものでした。みんな同じだという前提がなく、人それぞれに異なることを知っていたから、病院外での、とりわけ小中での無個性や同調圧力に類するものへの強い抵抗があって、それもストレスだったのかなと思います。
けれど私がそうした当たり前の、幼い頃から馴染んだはずの人々を病院外で見ることがないと気づいたのは、恥ずかしながら成人して随分経ってからでした。ゾッとしました。私はASDで、病気も今は経過観察だけで、見た目で分かるような何かはありません。だけど小さな頃、友人になった子たちのような、見た目で分かる何か(小人症や、運動麻痺(四肢麻痺)など)のある人を、街中で見かけたことはありません。時折、車椅子の方を見かけることはあります。けれど、そうした目に見える病気や障害は、目に見えない病気や障害とはまた違った方向で、とても分かりやすく世間から排除されているように感じました。隔離で、「外」では生きていけない人がいるのに、「見えない」から「いない」。そんな風に感じて、酷くやるせない気持ちにもなりました。

私が今なお普通を気にしてしまうのは、否定されない安心できた場所と、家庭や学校との違いへの混乱が強く根付いているからなのではないかと、そう思いました。何よりも、親しんでいた人たちは一定の場所にしかいられなくて、分かりやすく普通じゃないと受け容れられないと、そういったことを無意識ながらも恐れていたからかもしれません。

不眠症や自傷行為が、私にとって必要な対処法だったというのは、とても嬉しいお言葉です。ありがとうございます。
自分が感じていることを上手に言葉にできなかったり、自分でも分かっていなかったり、そうしたことへの症状が必要なものだったと受け止められるのは、今はもちろん、幼い過去の私にとっても救われる気持ちです。
現在は幸運にも安全だと思える場所がありますが、安心かどうかはよく分かりません。安心という感覚が分からない、しっくりこない、と言い換えてもいいです。

私にとって安心は、否定のないもので、人に迷惑や心配をかけないことなのだと思います。だからあの病院は今なお安心の象徴です。当時は子供だったからというのもあるでしょうが、心配されることを素直に喜べた。申し訳なさも心苦しさも覚えることはなかった。成長するにつれ、否定されずとも、大切な人がいても、いるからこそ、安心という言葉あるいはイメージがしっくりこない。なので、というわけでもありませんが、人以外のもの、にドキッとしました。眠れないとき、どうにも気分が落ち着かないとき。音楽をかけて、胎児のように丸まって、抱き枕を抱いて、そうして不安や、緊張や、怖いことを和らげるようにしていたことを思い出しました。案外と、自分が心地よくなるためのものをちゃんと知っているのだなとも、思いました。

感想2さま
感想ありがとうございます。
常識やその基準については、結局のところバランスと折り合いなのだと思います。ただ、仰る通り人によって「普通」も「世間一般」も違うものだと頭で理解している人は少なくないけど、実感として結びついているかは別なのかなと。所属するコミュニティが分かりやすいと思いますが、そのコミュニティが似た人たちで形成されている場合、それ以外は、つまり自分たちとは(不適切な表現かもしれませんが)違う世界の人として自覚の有無に限らず、感覚としてそう捉えてることが多々あるのではと思います。極端な例を挙げてしまえば、裕福と貧困、社会的強者と弱者など、全く正反対に位置する場合、当然「普通」も「常識」も違います。もしかしたら、そういった自分たちとは違うある種「自分が知る普通じゃない」社会・コミュニティがあることが信じられないこともあるかもしれません。けれど、そういった、自分とは全く違う環境下にあったり、価値観や考え方が異なる人がいることを知ることは無駄ではないと思います。無論、それが自身の負担になるのならば意識的に情報をシャットアウトすることも自分を守る上で大事なことだと考えています。

小学生のとき、教科書に載っていた金子みすゞさんの「わたしと小鳥とすずと」が大好きでした。みんな違ってみんないい。

だけど現実はそんなものは理想論だとばかりに同じを強要することが多く、息苦しいままです。マジョリティによる、マジョリティのための社会だと思ったことも、あります。実際そんなものはなくて、同調圧力によって気は進まないけどなんとなく歩調を合わせるようにして、そうして出来上がったのが今日の社会なのかもしれません。社会そのものが今を生きる人々に追い付いていないと感じることも多々ありますが、それだって私と似た価値観や考え方の人と接することが多いからそう感じるだけかもしれません。想像の域を出ない、シュレーディンガーの猫です。
自分が苦しいとき、批難や攻撃が他者に向く人と自分に向く人がいます。どちらにも当てはまらない人だって当然いると思います。ただ圧力を感じて、そのストレスだとかで自分の価値観を押し付ける人がいるなら、負の悪循環ですよね。価値観を押し付けられて苦しい思いをする人はもちろん、押し付けてしまう人もつらくない、そういった社会になればいいと思います。中にはそうすることで自分を守っている人も、それを何とも思っていない人も、そうしたことに快楽を見出して中毒のようになっている人も、同じ価値観の押し付けでも色々な人がいると思います。固く絡まって解けなくなった紐みたいに、そういった色々な人がいるからこそ、問題がより難しいものになっているのだと感じます。人間、もうちょっとシンプルになってもいいと思う。

家庭環境やいじめなど、確かに今思い返せば当時の私にとって「普通」のことでした。疑問の余地すらない、当たり前のこと。当時私が必死に意識して考えていた「普通」は、私にとっての普通と他者の普通は違うという前提でのものだったんだなと、改めて思いました。人と違うことが当たり前すぎて、自分ですら自分のことを完全には分からないのに、他者を理解できるとも他者に理解されるとも思っていない、悪い意味ではなく、分からないことが当たり前の中で、多くの人にとっての「普通」に「ならなきゃいけない」。「普通」でなければ排除されると過去のいじめ体験から学んでそう考えたのか、周りのことを考えていたからかは分かりません。ただ、私が私の「普通」を押し殺していたことは確かだと思います。

自分の命と自分が傷つきたくない気持ちを天秤にかけて、後者に傾いたものでもあります。後者に傾いているのに、誰かが私のために傷ついたりすることも迷惑をかけるのも嫌だというどうしようもないわがままです。死にたいし、生きていたくないし、どうでもいいし、どう生きればいいのか分からない。そもそも長生き自体したくない。自分を大事にする方法なんて分からない。でも、幸い、私の周囲の、私が大切に思う人たちはそれを望んでくれています。そのことが酷く苦しい。求められていることができないことも、本当の意味で私がその人たちに何も返せないことも、申し訳なくて、後ろめたさのような、引け目のようなものを感じてしまう。心配されることに、大事に思われることに、恵まれていると他人事のように思う自分がどこかにいて、素直に感謝したり喜んだりができないことが、申し訳ない。そんな価値私にはないとどうしても思ってしまう。どうして私にそこまで心を砕いてくれるのか理解できなくて、だけど心を砕いてくれることは分かるから、やっぱり思うのはどうして私にそこまで、と、不思議に思ってしまうんです。
価値という言葉は嫌いですが、心情的な、自分にはあなたが必要で、誰もあなたの代わりにはなれないしいないんだよ、とか、そういったものなら理解できるし、その上で、私は私に価値があると思えません。私が全く、誰にも何にも影響を及ぼさないとは思わないけれど、それだけ。生きていく上で誰しもが当たり前に持っている影響はあっても、それ以上の、「私」だからこそのものがあるという(自分自身を価値がないと断じているからという意味で)実感がないし、疑いはなくとも不思議な気持ちの方が勝ってしまう。

私の存在って、生きる理由って、意味って、価値って、必要性って何だろう。そんなものどこにもない。私は私の中にそれを見つけてあげられない。ずっとそう思っていました。今でも時折、発作のようにそうした昏い気持ちになることがあります。だから、ありがとうございます。私の「普通」を当たり前のように受け止めてくれる人がいる。それだけで十分なんて、そんな考え方、私にはできないし、発想もありませんでした。だから、ありがとうございます。大切な人がいて、幸せになってほしいと思う人がいて、その人が私をただの私として受け止めているなら、確かに生きる理由としては十分かもしれないと、単純にも納得してしまいました。

感想3さま
単純な疑問から生じたものを自分なりに整理した文章へのお言葉、ありがとうございます。
私が診断を受けたのは成人前です。過呼吸や自傷行為が酷くて女性医師のいる心療内科に行ったら発達障害かもしれないと専門のクリニックを紹介されて、それまで初めて発達障害だとか、自分が人と違うかもしれない可能性を知りました。それまで薄っすらと周囲との齟齬や隔たりを肌で感じていても、みんな人それぞれに異なるからと疑問はあれど違和感を覚えたことはありませんでした。発達障害と診断された人の中には、「もしかしたらと思っていたから診断されて逆に安心した」というパターンもありますが、私は寝耳に水の方でした。
人にとって、世界の中心は自分です。基準も常識も普通も価値観も捉え方も感じ方も、何もかも自分というフィルターを通して世界を見て、創って、判断して、自分ではない誰か、自分とは違う何かと交流をする生き物だと思っています。だから私は齟齬を感じても、ときには疎外感や孤独を覚えても、そういうものだと認識するのみでした。だって人と人とが違うことは当然だから。私にとって、私以外は全員他人です。家族だろうと親友だろうとパートナーだろうと、等しく他人、自分とは違う別の人間。自分とは違う価値観があって、その人だけの感情や意思や思考があって、同じものを見ても受け取り方も感じ方も捉え方も違う別人。その不思議で面白い当然の違いを、私は子供の頃から楽しみ、また愛してもいました。ただ、子供の頃は、ある種俯瞰的に、あるいは客観的に自身や周囲を見ることも考えることもありませんでした。要するに、上記のように思うが儘、私は私の「普通」を殺さず自由に生きていました。

私は前提として、考えることが好きです。人と違うことが好きです。より正確な表現をするのであれば、その人だけの、その人を形作った人だけが持つ違いが好きです。私の経験談に対して三つの感想を頂きました。経験談の中でどこがより気になったのか、三者三様ですよね。そういう違い、配慮の仕方、心配り、寄り添い方。同じでも、同じじゃないと思います。私は人の話を聞くのも好きですし、話をするのも好きです。自分にはないものが分かりやすい形で知ることができるから。だからこうして経験談に感想を頂いたことは嬉しく、また感想への感想を考えて書くのも楽しいです。一番はこういった機会はそうそうないから、という部分が大きいですが、改めて自分自身と向き合う、、向き合えているかは分かりませんが、楽しいです。自分自身の過去/現在への認識の違いと、再度の解釈は、今までに何度もしてきたことです。といってもたいていは頭の裡であれこれ考えているだけなので、文章に起こすことは私にとっても大切なことでした。

「普通がわからない」と思うのは、今ではいい加減自覚していますが、自分が人と少しばかり異なった感性や感覚があるという自認もあるように思います。実際、誉め言葉としてですが、そういったことを言われたことも何度かあります。その言葉には不快さも何もありませんでしたが、前述の通り、私の世界は私のもので、人それぞれに自分の世界を持っているはずなのに、と、疑問はありました。その上で、私という一人の人間の根底を揺るがせたASD、脳の仕組みというどうしようもない、私を私たらしめるものへの複雑な思いと相俟って、コンプレックスじみたものが滲み出ることがあります。普段はどうということはないんですが、幼少期からの体験を含めてもうすっかり私の中に根付いてしまったものがひょっこりと顔を出すことがあるだけなのか、それとも余裕がなくネガティブな気持ちになったときに湧き出るものなのか、自分でも分かりません。分からないので、普段は普通とか曖昧かつ定義もはっきりしないもの分かるはずないし分かんないなあと思うだけです。

感想をすべて拝読させて頂いたとき、一番驚き、嬉しさを感じたのはこの一文でした。

「普通」に限らず、何かが「わからない」ということに不安や恐怖を感じてきたのだろうかと想像しました。

すごい、合ってる!とちょっと興奮しました。すごい。私でも最近気づいたことなのに、やっぱり自分のことを一番分かってるのは自分だし、自分のことを一番よく分かってないのも自分なんだなとよく分からない自画自賛のような納得をしました。「分からない」ことに不安や恐怖を感じたのは中学生の頃からだったように思いますが、それ以前、小学生の頃から緊張はあったようにも思います。当時の私からすれば理不尽かつ不条理な環境に強制的に晒されていたようなものですから、そうなるのも避けられないことだったのだろうなと、過去の幼い私が不憫になります。シンプルに可哀想。
感覚の違いという、どうにもならない部分での「分からない」って、理不尽です。これが多数派の側だったら理不尽にならないことも含めて、世知辛いと思ってしまいますね。情報があっても、たぶん、受け取り方が違うんだと思います。もしくは捉え方。考え続けることで生きてこられた面も、たぶん少なからずあると思います。診断されてからは特に変わり映えのない専門書をいくつも読みました。コミュニケーション能力など、特性としては確かにあるけど個人差が大きい上に結局人それぞれで役に立たないと諦めてからはご本人やご家族の方が発達障害者だという方が運営されている個人ブログや、発達障害を専門に扱うサイトを主な情報源としていました。数年はじゃあ自分はどうなんだろう、を診断を受けてからずっとどこかで考えていた時期もあります。今は自分はどうなんだろう、に加え、他の人はどういったしんどさがあってどう感じているのだろうと考えるようになりました。

あたたかなお言葉を、ありがとうございます。そんな夢みたいな社会になれば、きっと私だけでなく多くの人が救われるだろうと、心からそう思います。
正直なところ、恐怖や不安の感覚が麻痺しているのか、敢えて無意識的にそうなっているのか分かりませんが、よっぽど酷いとき以外、薄っすらとしたものは当然のように私の中にずっと居座っている状態です。生きる権利って、誰にでもあるものですよね。生きていてもいいのかって、そう思ったことはこれまでに何度もありますが、生きる権利は誰しもが持つものだから、そんな問いかけ、無駄なものなんだなと思いました。ただ私の心境の問題で、それほどまでに心が疲れ果てた理由や原因を考えて、対処すること。解決じゃなく、どうしたら少しでも生きることに希望を持てるか。死ぬことよりも生きることの方が怖くて苦しいと、生を投げ出す方がよっぽど簡単だと、少しずつそういったものをほぐしていくこと。難しいし大変だし疲れるけど、何からすればいいかなんて全然分からないけど、考え甲斐のある難問だと、少なくとも今は素直に生きる気力が湧いてきそうです。

………………

随分と長々とした感想となってしまいました。
結局のところ、私を長年苦しめ続けている「普通」は、自分の中に確固として存在する「違うことは当たり前」という価値観との盛大かつ壮大な喧嘩で、矛盾のようでありながら矛盾じゃないことへの葛藤だったのかなと思います。だって私は私のために普通になりたいわけでも理解したいわけでもないから。普通だったら、多数派だったら、生きることが今よりは楽かなとか、そういった憧れにも満たない気持ちはありますが、それでもやっぱり、私は私を嫌いだけど、同時に気に入ってもいるから、そこにも葛藤と多少の複雑さがあります。
今は落ち着いているけど、ふとしたときにまた、死にたい、生きたくない、と思います。今年の誕生日を迎えるまで生きているかなと去年の誕生日からずっと考えているくらいなので。でもまだやってみたいこともやれてないこともあるし、欲しいものもあるし、死んだときのために遺品整理は…と考えながら、死にそびれても苦笑するだけで終わりそうだなとも思います。まあ、もし死んじゃったらそのときはそのときかなとも思いますが(自殺の予定はないです)。
ここでさえ長くなってきたので、この辺りで。貴重な機会と、やさしく暖かなお言葉を、ありがとうございました。

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