経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生まれてきたくなかった

面前DVの家庭で育ちました。
父親が母親に暴力をふるう家でした。
あの頃母と私は共依存関係だったと思います。
でもそれでなんとか乗り切ってきたという感じです。
私が結婚して離れた今は逆に母に冷たく当たってしまうこともあります。

学校に行きたくない気持ちにまじめに取り合ってもらえたこともなく、いわゆる普通の家庭で育った同級生と話が合うわけもなく、金銭的に厳しく望んだ学校に行くことはできず、そもそも常に体調が悪い、でも原因はわからない(私は家庭環境のせいでこうなったんだろうなと思っていますが)
どうにもならないことがあまりにも多かったと感じます。今も。
子供の頃私が助けて欲しかった時に周りの大人に何かしてもらえた気がしないし、理解しようと積極的に努力してくれたと感じたこともありませんでした。
父親は仕事が長続きせず、感情のムラが激しく短気で、酒を飲んで暴れ、私や母の帰宅時間が普段より遅くなるなどの些細なことで不機嫌になりました。家の中で物が飛び交い、父が刃物を持ち出してきたこともあります。
よく近所のおばさんの家におもちゃや宿題を持って避難していました。
貧乏で、外食もほとんどしたことがなく、家族旅行は一度も行ったことがありません。
常に顔色を伺い、空気を読んで明るく振る舞ったりした癖が今も抜けません。
場の空気や人の気持ちを読みすぎて疲れ果ててしまうこともあります。
逆にそれを他人(主に夫)に要求してしまって、どうして気持ちをわかってくれないのか!と憤ってしまう時があります。全く理不尽だと分かっているのですが……

今私はパートナーもいて、大切にしているペットもいて、打ち込める趣味があり、ちゃんと屋根のある家で毎日ご飯を食べることができる生活をしています。幸せだと感じることも多いです。
でもどうして私をこの世に生み出したのか?
私は望んでいなかったと母に言いたいです。
生まれてきたくなかった。
途中で止めることもできず、この思い通りにならない不調だらけの体を抱えて死ぬまでは生きるしかないと思っています。

感想1

あなたが感じているさまざまな感情や望みを、受け止めてくれる人やコミュニティがなく、自分の中に閉じ込めて生活してきたのかなと想像しました。

子どもの頃の生活について読み、あなたにとって安全に生活を営む権利が保障されていなかったのだと率直に思いました。DVは被害を受けた人が、早く加害のある環境から離れて安全な生活と尊厳を取り戻していけるように手助けする必要があると思いますが、それが行き届いていなかったのだと思いました。そのような社会の不備を、あなたや母親さんは、自分たちだけの力で補おうとするしかなかったのではないかと考えました。

そして、ある程度生活の基盤が安定した今、これまであなたの中で閉じ込められたままになっていた思いや感覚が、うずいているのかなと思います。私は、それらの思いや感覚について、あなたの気が向くタイミング・方法で表現してみてほしいなぁと思いました。そして今よりもあなたの経験について想像と理解を深められたらうれしいです。

感想2

家庭の中に暴力があり、安心して過ごせる環境ではなかったのだろうと思います。顔色を伺いながら生活しなければいけない状況で緊張を強いられてきたら、そのやり方を他の場面でも繰り返すことがあるのも自然なことだと感じました。また、その一方で、自分が今どんなふうに感じているか、どんな気持ちでいるかということを優先することが苦手になっている部分もあるかもしれないと想像し、もしそうだとしたら、体調を崩してしまったり、不調が続いたりすることも頷けると思いました。体についてくわしいことは私にはわかりませんが、もしかすると、体のさまざまな働きは、つらい状況下で投稿者さんの体を守るための動きをしている部分もあったのかもしれないと考えてみています。

文章を読んで、投稿者さんは自分の状況を見つめて整理することを続けてきたのではないかと思いました。そして大切にできる存在や趣味に支えられながら、一方で思い通りにならない苦しさに付き合い続けることに疲れているのかなと感じました。投稿者さんが心地いいと感じる時間、ゆったり呼吸ができて、安心を感じられる時間はあるだろうかと気になりました。

生まれるということは理不尽でままならないことだと感じます。だからこそ、今まで生まれてきた存在、そしてこれから生まれてくる存在がなるべく心地よく生きられる社会を私は望んでいます。ままならない体、ままならない人生の中でも、感じることや考えること、そしてそれを伝え合うことはなにか小さな可能性になるのではないかとも思います。これからも死にトリに参加して、投稿者さんの見てきたもの、感覚や思い、考えなどをシェアしてくださったらうれしいです。

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