経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
心の何処かではわかっていたのかもしれません。
でも怖くて見て見ぬふりしていたのかもしれません。
ここ数年の友達との関係が大きく変わってしまったことに。
私はたまにでも友達に『今の自分』を発信していました。
でも最近そんなことをしている自分に疲れて発信をやめたのです。
そうしたら笑ってしまうほど誰からも見向きもされなくなりました。
私は一方通行で独りよがりなキャッチボールをしていたのです。
私がボール投げれば相手は返してくれる。
でも相手からのボールは来ない。
そんなキャッチボールが楽しいわけもなく虚しくなりました。
私が元気にしててもしてなくても誰も興味無かったんです。
あと今の年齢の2倍は生きていかなくてはなりません。
例え誰からも見向きもされなくても…。
感想2
「興味を持ってもらいたい」という気持ちがあり、けれどそれが満たされることがなくて虚しさを感じているのだろうと思いました。コミュニケーションにはさまざまなやり方がありますが、その中でも相手からの働きかけを期待する気持ちが強いのかもしれないと思います。もしかすると、一人か何人かの特定の友達に対してそう感じているのかもしれませんし、あるいはいろいろな人から働きかけられたいという気持ちがあるのかもしれません。
自分の側から始まった働きかけだとしても、それに反応があるということは、「見向きもされない」ということではないのではないか?とも思いました。もしかすると、投稿者さんはだれかに「ボール」を投げることができるタイプで、相手の人はそこまで得意なタイプではないことがあるのかもしれないとも思いました。
個人的な話をすると、私は人よりもたくさん話してしまうことがよくあり、相手と私の会話量やバランスは不均衡になることも多いです。それで相手を話せなくさせてしまっていたらよくないと思いますが、相手もそのバランスでちょうどいいと思っているのなら、それでも問題はないのかなと思ったりもします。(この感想も長くなってしまいましたね…)
相手によってコミュニケーションは変わることが多そうです。投稿者さんにとって心地よいバランスのコミュニケーションができる相手が見つかるといいなと思いました。
感想1
文章を読んでみて、人が人に興味関心を抱くことにポジティブな思いを持っている方なのかなという印象を受けました。また、他人とのコミュニケーションの取り方を模索しているようにも見受けました。
今回、投稿者さんの友人関係に変化があったことで、様々なことを考える機会になったのかなと思いました。私は、人間関係の変化は、望んでも望まなくても避けられないものだと思います。変化することによって、お互いに成長することも多いのではないかと考えます。
「自分に興味のある人はいない」というふうに書かれていますが、逆に投稿者さんが興味のある人はどんな相手なのだろう、と気になりました。その相手の存在は、投稿者さんにどんな影響をもたらしているのでしょうか。機会があれば、もう少し知りたいなと思いました。