私は自己肯定感が低い人間です。
自己肯定感の意味を調べると、「ありのままの自分を肯定する、好意的に受け止めることができる感覚のこと」とありました。 他人と比較するのではなく、そのままの自分を認めること、自己の価値を感じること…私には、全然ない感覚です。
以前、知り合いから「こっちは素直にすごいと思っているから褒めてるのに、なんでいつもそれを否定するの?素直にありがとう、嬉しいって言えばよくない?」 って言われたことがありました。
確かにその通りです。言葉を素直に受け止められないのです。
私は、今で言うヤングケアラーでした。そして、いつも兄弟と比べられて育ってきました。
両親は不仲で、父はほぼ単身赴任。母は病気ばかりで、しょっちゅう入退院を繰り返す。多い時は1年の半分以上いない時もありました。
私は3人兄弟の末っ子です。小学校高学年の頃から、母が入院した時には、学校から帰ってきて掃除や食事の支度、病院に荷物を届けたりしていました。上2人は中学生や高校生だったので、学校にいる時間も長いですし、部活や勉強もあります。いくら兄弟で平等に協力してと言っても、無理なものは無理で、主に家のことを担っていたのは私です。それが何年も続きました。
でも、いつも「あなたは末っ子だからまだ楽。大変なのは1番上の子」と母からも、祖父母からも言われていました。感謝の言葉ではなく、まだ末っ子だからマシなのだと。
上の2人は、母の自慢でした。成績も優秀で、生徒会とかやるような人達。高校も余裕で推薦で入学。逆に私は、成績も悪く、人前に立つようなこともなく、高校も滑り止めの学校。「いつもあんたは…」が母の口癖でした。
でも私から言わせれば、家事をやっていれば勉強時間なんてないし、そもそも疲れて勉強どころではなかったので、責められても困ります。小学生の頃からいじめられっ子で、クラスではいつも孤立していて、でも相談しようにも母はいないか、自分のことで手一杯。体調が悪いと言えば休むための仮病だと言われ、登校拒否をすればひたすら責められました。
私は、何をしてもダメな子でした。褒められた記憶もほとんどありません。いつも上の2人と比べられ、劣っている部分を指摘されてきました。唯一褒められた記憶は、とある国家資格を取得した時だけです。
結果として、自己肯定感なんてものは私には備わっていません。自分に自信なんて全くないですし、人目が気になり、他人と比べては卑下してしまいます。自分の存在意義、存在価値…そんなことをひたすら考えます。
今は結婚もして、子どもも2人います。上の子は小学校高学年。育児をしていると、子どもの自己肯定感を高めましょうとよく言われますし、本とかもよく見かけます。
子ども達には、私のような生きにくさは感じてほしくないと思って、本を読んだり、勉強したりしてみた時期もありますが、なんせ自分が自己肯定感というものがわからないのと、上の子どもは発達障害があるため、ありのままを受け止める・認めるということが難しいと感じることも多く、子どもの自己肯定感を高める関わりなんてできていません。
今でも、私のやっていること、私の存在自体を誰かに褒めてもらいたい、認めてもらいたいという気持ちが強くあります。
無理しないで、あなたはあなたのままでいいんだよ、毎日頑張ってるよ…そんな言葉で心が満たされる経験をしてみたかったなと思う日々です。
感想1
経験談の投稿、ありがとうございました。
この経験談を読んで、私なりに「自己肯定感」について考えてみました。あなたが感じている「他人と比較するのではなく…」というのは、この社会で生きていながら、なかなか難しいことと私は感じました。その中で、「ありのままの自分」を好意的に受け止められる人って、本当はなかなかいないのではないかとも感じてしまっています。「子どもの自己肯定感を高めましょう。」という育児方法もあなたのように分からなくなってしまう場合もたくさんあると私は感じています。
その中で、この「自己肯定感」を高める方法ってどんな方法なのかと考えてみました。それは、自分自身を好意的に受け止めるということよりも、他者がその人を受け止めようとする気持ちが必要なように感じます。あなたの経験談を読んで、例えばいくら自己肯定感を高めようと頑張っても、他者(この経験談で言うと、「兄弟」)と比べられてしまい、劣っている部分を指摘され続けてしまうと、「自己肯定感」を高めるのは難しいことだと私は思います。そもそも、「自己肯定感」が高い人が良いとされているような圧力にも疑問を感じます。一人一人、育った環境も違えば、性格も違うのですから、「自己肯定感」を高めるよりも、他者に寄り添って相手の気持ちを理解する様に努めることがとても重要だと私は考えています。
今まで、ヤングケアラーとして学業と家庭を支えてきたことは、たくさん我慢したこともあるだろうし、逃げ出したくなるような忙しさだったのではないかと勝手に想像してしまいました。しかし、「いつもあんたは…」という言葉で片付けられてしまっては、年齢が幼ければ幼いほど、「自分はダメな子」という認識が根付いてしまいそうです。他者から見れば、あなたがしてきたことは、誰にでもできることではなく、あなたが一人で抱えてしまうには大きい問題なのに、それを担ってきたのだから、そこを認めてもらうべきだったことだと私は思います。
最後に書かれているのは、あなたが望んでいる(望んできた)言葉だと思うし、私がこの経験談を読んで「自己肯定感」を高めるためにも世の中に必要な言葉だなと思いました。今は子どもさんのことをとても考えられていることが伝わっています。全く会ったこともない私が、言うのもどうかと思いましたが、経験談の最後に書かれている言葉をあなたに送りたいと素直に思っています。