1歳の頃には児童福祉施設にいた。
親の顔もわからなければ、大人になって戸籍謄本で親の名前を知った。
施設は18歳までしかいられないから、出たら皆んな寮がある職場に就職していった。
私は勉強したくても高校卒業するまでしかいられないし、学費を頼れる親も親戚もいないから、通信教育で福祉の学校を行って卒業した。
しかし就職が1番困難だった。身元保証人や緊急連絡先が書けないから、知人でも大丈夫な職場でしか働けない。
働きたい仕事は難しいし、給料は低いので、夜はスーパーで副業しながら生計を立ててる。睡眠時間も少なく体も辛い。
経済的に厳しいから仕事は辞められないし、今のコロナ禍で転職も厳しい。職場のパワハラもひどい。
毎日しんどくて死にたいと思いながらも、自分はまだ恵まれている方なんだと言い聞かせている。
それでも死にたいって思わない日はない。
自殺を踏みとどまっているのは、一緒に住んでいるパートナーの存在である。
パートナーの親は子供の頃に自殺していて苦労してきた。
2人で頑張って生きようって言ってくれているパートナーを1人にしてはダメって強く思いながら、
明日も生きようと思い眠りにつく。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
私の生い立ち
感想2
親との関係がどんなふうで、どんな場所で育ったかを理由に、住む・学ぶ・働くことの選択肢が大きく制限されてしまう現実が伝わりました。
一番大変だったという就職では、もし何か不測の事態があった場合に誰が対応するかについての取り決めが必要とされ、しかもその誰かは親族でなければいけない、ということを理由に苦慮されていて、私はそうした無理難題を強いてくる会社があることを初めて知り、不当な対応だと思いました。個人の職業選択の自由を犠牲にしてまで、将来起こるかもしれない何かへの対応を事前に決めておかないといけないのか?と疑問に思います。しかも親族でなければいけないとされてしまう背景として、「血が繋がっている人同士は助け合うものだ」みたいな考え方が社会に刷り込まれているのだろうかと思いました。
生活費を稼ぐために、睡眠や体の健康を犠牲にさせられてしまうことにも、やるせない思いになります。さらに、パワハラもひどいとのことで、しんどさに追い打ちをかけられ、死にたいと思うのも無理はないと思います。踏みとどまることに精一杯な様子が伝わってきます。
明日も生きようと思うあなたの強さに甘えて、社会の中のおかしいことをそのままにしておくわけにはいかないと私は思います。
2人で頑張って生きようって言ってくれているパートナーさんがいるのですね。あなたとパートナーさんのようになんとか生きようと足掻いている人たちが、経験や思いを発信して共有することができたら、お互いの存在に気づくことができたら、今回伝えてくださったように自由や健康を犠牲にしなくてはならない現実の厳しさを、少しずつ緩めていくことにも繋がるのでしょうか。私の妄想にすぎないかもしれませんが、死にトリを通して、そんな仲間になりたいと思いました。
お返事1
私の経験を読んでくださり、そして感想まで書いてくださり、ありがとうございます。仕事の休憩時間に読み、涙が止まらなくなりました。
あの日書いた日は、夜の時間帯でした。その日は何故か不安や恐怖というものが胸の中にありネットで「死にたい」と検索をしてしましいました。そこで死にトリを見つけ投稿しました。
私は生い立ちの経験から嫌な事が多く、人に話したり相談する事はありませんでした。初めてここで自分のことを話しました。親も社会も恨んだ事はありましたが、人を恨む人生より、人に感謝したり少しでも楽しんだもの勝ちだと前向きに生きるようにしてます。そのように思う事が難しくなり死ぬ事が頭をよぎりますが、その考えに引っ張られないように耐えています。
家庭環境から経済格差があり、子も連鎖的に貧困で育つのは自分の経験から感じています。そこから教育にも影響を受け教育格差が生まれます。私のような生い立ちの人は生きていくのが大変です。社会に望む事は少しでも改善されてほしいと切に願っています。
死にトリに私の経験のほんの一部を投稿して、悩みを受け止め気持ちに寄り添ってくださり、とても嬉しかったです。ありがとうございました。
感想1
経験談を送って下さりありがとうございました。恥ずかしいことに児童の福祉施設について知らなかったことばかりで、あまりの自分の無知さ加減に申し訳なく思いました。そしてこの国の制度が何とも不完全で、しかもそれが必要な人にとって優しくないことに憤慨しています。
投稿者さんは、言わば過ぎるほどの物わかりの良さで、施設を出て就職をしてその上通信教育で福祉の勉強をされたのだと思います。こういう制度だから仕方なくこうするしかない、というような選びたくなくてもそれしかない選択を強要され続けて来られたように私は思いました。
けれども現実は何から何まで逆風というか仕打ちのような経験をされています。「自分はまだ恵まれている」と自分に言い聞かせることでしか、毎日を耐え続けることができない、そんな辛さを押しつけているのは誰なのだろうか、選挙権がある自分は社会の制度を作っている側でもあると、私も責任を感じずにはおれませんでした。
もうこれ以上投稿者さんとパートナーさんの暮らしを脅かしてはいけない。お二人が安心して暮らせるためには、何をどうすればよいのだろう。投稿者さんの諦めと悟り、静かだけれども生きていくしたたかさを感じる文章に、私は心を動かされています。