経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

安心感を与えてくれる人に会いたい

幼少期から自分から人に関わることが好きではない。昔は親、友達、先生に間に入ってもらわないとコミュニケーションに参加することができなかった。
それでも幼稚園と小学校低学年までは楽しく過ごせた。
4年生に進級する頃、友達が次々と転校していなくなった。離れて最初の数ヶ月は手紙でやり取りしていたけれど、やがて音沙汰が途絶えて疎遠になった。
私は自力で友人関係を作らなければならなくなった。それ以前にもう小学4年生、10歳になったのだから自分のことは自分で努力して問題を解決しなければならない。
父に「常に受け身で他力本願だ」と何度も強く言われていたから、自分を変えるチャンスだと思い、何とかしようとした。
しかしどうすれば仲良くなれるか分からなかった。
1000円のネックレスを渡せば仲良くしてくれると思ってクラスメートにプレゼントしたが、友達が私の母に伝えてしまい後で怒られた。
消しゴム5個入り1セットを2000円で買ってと頼まれた時は、払えば友達になれると本気で思ってお金を渡した。これに似たことが複数回あった。取引相手は全て同じ人、1人だけである。
母に気付かれて、友達と彼女の母を呼んで4人で話し合いになった。渡したお金は戻ってきた。
かわいい筆箱を持っていたら注目してくれると期待したら、「自慢ばかり」と嫌われて悪口を言われるようになった。無視され、避けられるようになった。体育などグループで行う時に仲間に入れてもらえなかった。
担任Aには相談できなかった。クラスの様々な問題の対応に追われて病んでいた。子どもながらにも分かるぐらい疲れていた。(その後Aは休職、1年後に辞職した。)
親にも言えなかった。散々迷惑をかけたのに、同級生とまたトラブルになっていると言えなかった。
それに父も母も「熱や吐き気がないなら休むな。這ってでも行け」と言う人だった。
1度クラスメートにからかわれてショックを受けた話をしたら、「お前が悪い」、「そんなことで落ち込むなんて根性ない」と言われた。
いじめられたくないから休みたいと伝えても責められるだけと予想がついた。
いじめは5年生のクラス替えを機に自然消滅した。その後数年は平和な時間が続いた。
中学1年の冬、友達3人と喧嘩した。私が話すとつまらなさそうにされた。早く終わるように急かされる時もあった。
そのくせ3人は私には分からない話をして、私がその中に入ろうとしたり、話を変えようと頼むと不快感を露わにする。何回もされて耐えられなくて暴れてしまった。
次の日の放課後、担任Bに呼び出されてびっくりした。3人が嘘の報告をして、私が完全に加害者になっていた。
本当は私がずっと嫌がらせを受けていて、それが原因で怒って暴れたのに、3人をいじめていることになっていた。
否定したかったけれど、暴れたことは事実なのでどう伝えればいいか分からなかった。
帰宅して親に打ち明けて味方になってもらい、後で親と共にBに真実を伝えようと考えたが出来なかった。
家に着く前にBから連絡があって、真相を話そうとしてもBの話を信じるばかりで一切聞き入れてもらえなかった。
翌日納得できないままBがいる前で3人に謝罪した。仲良くするように言われたけれど、付き合わなくなった。
また1人になった。2年生になってクラスが変わったので新たに友達を作ると決心したが、出来なかった。
いじめていたという嘘が想像以上に広まっていた。「大人しそうなのに怖い」とか、あることないこと言われて避けられた。
3年になっても孤立していた。修学旅行の班員決めで1人取り残され、渋々受け容れてもらったものの修学旅行が終わるまで無視されていた。
修学旅行後、クラスで唯一仲が良いと思っていた子がブログに私の悪口を書いていた。悲しくて涙が止まらなかった。
しかし中3の時の担任Cは「トラブルは当人同士で解決しろ」と我関せずで相談しても無駄な時間を過ごすだけと分かっていたので、いじめについて何も言えなかった。
塾でも嫌なことがあった。数学の男性講師Dにセクハラされた。座る場所がなくて困って相談すると、「座りながら授業やるから俺の上に座るか」と言われた。他の受講生がたくさんいる前で。受講生たちは汚く笑っていた。
後で机と椅子を用意もらえたので、Dの上に座ることはなかった。
しかし「本当に座れば良かったのに」と男子にも女子にも笑いながら言われた。ショックだった。
もう一人の数学の男性講師Eにも不快なことをされた。数学の成績が悪いと肩に手を置きながら注意された。胸や下半身は触られなかったが、肩に触れている必要はあるのかと思いながら聞いていた。
そしていきなり「タイヘンって10回言ってみ」と言われた。なぜそう言うのか分からないまま従った。
次に「数学の成績が悪いとタイヘン、タイヘン、タイヘン…ヘンタイ!」と言って、言わされた。そして「大変って繰り返すと変態になる。数学のテストの点が低いお前は変態」と言われた。意味が分からなかった。怖かった。
またEは授業中に私が机から落としたシャープペンシルを拾ってEの鼻の穴に突っ込もうとした。
「やめてください」と小声で止めたから未遂で終わったが精神的にかなりダメージを受けた。
蛇足だが数学が苦手なのは中3のこれらの出来事が原因かもしれない。(中学の担任Cも数学教師だった。)
塾の人は皆信じられなかった。どの教科の講師も皆男性だったから。皆DとEと同類に見えた。
塾を辞めたかったけれど、それを親に伝えることは出来なかった。
高校受験まで時間が無いのに塾を変える余裕がない。私の話を信じてもらえるか分からない。塾を辞めたいと言うと、「根性なし」と責められるかもしれない。塾を変えてもそこでまた嫌な目に遭うかもしれない。そう思うと何も言えなかった。結局中学卒業までその塾に通い続けた。
高校は志望していた女子高に入学した。
そこでもつらいことはたくさんあったけれど、小中学生時代と比較するとはるかに楽しかった。知っている人が1人もいなかったのが一番の要因だろう。中学校や塾の同級生の女子たちは「女子校は陰険だから」と言って(どの口が言うのだろうか)女子校を受験することを避けていた。
授業や修学旅行など行事で2人以上のグループになる必要がある時も残されることはなかった。
休みの日に同級生たちと県外に遊びに行くこともあった。
でも心を開くことは出来なかった。遊びながら「この子とは長く続かない」と思っていた。
実際、仲良くしていた人たちとは卒業後疎遠になっている。
大学は共学の文系学部に入学した。たくさん勉強や読書して教養を身に着けて、友達も恋人もつくろうと決めた。今度こそは、と。
だがそれもうまくいかなかった。3年生の前期から体調がおかしくなった。
自動車の運転免許を取るために教習所に通っていたが、教官が皆男性という環境が高校受験で通っていた塾と似ており気持ち悪くなった。
運転練習で車内に教官と2人きりになるのも、Eに数学の成績について呼び出されて変態扱いされた時のことを思い出し、つらくなった。
教官に不快なことをされたわけではないが生理的に受けつけなくなった。通えなくなってしまった。
教習所に通うお金を支払ってくれた家族に申し訳ない。そう思いつつも、今さら私が塾で嫌な目に遭ったこと、教習所と塾の環境が重なることは言えなかった。言っても通いたくない言い訳としか捉えられないことは分かっていた。私の苦しみまでは理解してもらえない、と。
だから面倒臭くなったと嘘をついた。自分の被害経験を正直に明かして否定されることと比べると、根性なし扱いされるほうが傷つかずに済むと考えたから。
その判断は今も間違っていないと思っている。
徐々に心身の調子は悪化した。
文章の内容が入ってこない。気分転換に音楽を聴こうとするが受けつけない。好きなものを嫌いになったわけではないのに見たり聞いたりするのが苦痛。授業やゼミを無断欠席することが増えた。
4年生前期終盤、ゼミの先生が気にかけてくれて大学内のカウンセラーに繋いでくれた。カウンセリングを受けて、心療内科の受診を勧められた。通院して診断を受けた結果、適応障害だった。
大学のカウンセラーも心療内科の先生も優しい人だった。でも二人とも私の状態が良くなるには家族の協力が必要と言った。
ダメだと感じた。今まで相談しても理解しないどころか最後まで話を聞かない人たちが協力するわけがない。話し途中で自分の考えを押し付けたり問い詰めたり責めたりする。
私が適応障害と診断されたと明かしたところでかえって嫌な思いをするだけ。
それ以降は大学のカウンセリングにも心療内科にも通わなくなった。
大学は1年留年して卒業し、その後職業訓練校に1年間通った。病んでしまったし、ゼミの課題提出と卒業制作、卒業に必要な単位を取ることに必死で全然勉強が出来なかったから。
その頃は元通りとまではいかずとも、体調が回復して会話や文章の内容が入ってくるようになった。音楽も聴けるし、好きなものを拒絶しなくなった。資格もいくつか取得できた。
でも勉強すればするほど未熟さが浮き彫りになる。どこまで頑張ればいいのと感じ始めた。頑張って資格試験に合格しても家族は誰も褒めてくれない。「そのくらい出来て当然」と一蹴される。褒めてもらうために勉強を頑張ったわけではないが、昔からずっとこんな調子なので滅入ってくる。
どうしてこんな気持ちをなるのか自分が嫌になって、モチベーションが低下していった。
またおかしくなった。無気力感が心身を支配している。何もしたくない。誰とも顔を見たくない。話したくもない。休んでいる場合ではないけれど休みたい。
何とかやる気を起こして正社員やアルバイトの採用選考を受けた。だが面接で男性面接官と2人きり、男性面接官複数人と求職者複数人という環境になると塾を想起してしまい、うまく話せなかった。
そのお蔭で何度も不採用が続いた。
心が折れて引きこもりたいという欲に負けて昨年秋から今年春まで引きこもっていた。
消えたい。いつか旅行で訪ねた関東某所の海が綺麗だったから、そこに出かけて海に入って消えてしまおうか。
でもコロナの影響で遠出することはできない。死にたいけれど無関係の人を巻き込みたくない。いなくなるのは自分だけでいい。
自分がいることに罪悪感を覚え、どうやって死のうか考えた。
ご飯を食べなかったりシャワーや歯磨きをしなかったり不健康な生活を送れば自然と死ぬと思ったが叶わなかった。私って図太い人間だ。
手首を切ろうとか色々考えたが出来なかった。刃物が怖い、死が怖いのもあるが一番の理由は傷つけようとする度に好きな芸能人Kとハイタッチしたことを思い出して、その記憶がある皮膚を傷つけることにためらいがあったから。たった数秒しか触れなかったのに。こういう時にその感覚が蘇るなんてホッとするような苦しいような何とも言い難い気持ちになった。
なかなか死なないから、それならもう少し頑張ってみようと春から引きこもりをやめるため求職活動を始めた。
もしかしたらその間に気持ちは変わっているかもしれないという期待もあった。
サポステに通い、カウンセラーさんに今までの出来事や就職に対して感じている不安や悩みを打ち明けた。自助会にも参加してみて同じ境遇の人に出会った。少しずつコミュニケーションをとる機会を増やしていった。健康的な生活に変わっていった。
そして最近アルバイトとして働き始めた。食品加工の仕事をしている。
グループでの作業なので従業員さんとのコミュニケーションが難しい。
注意されることが多くて自己嫌悪に陥るけれど辞めようとは思わない。まずは契約更新の日まで頑張ろうと決めている。
でも死にたい消えたいという欲は生まれてはなくなりを繰り返している。隙があれば考えている。仕事中も休みの時もどんな時も頭から離れない。
どう対処したらいいのか分からない。家族にも誰にも言えない。
安心を感じることができれば死にたい、消えたいという欲はなくなるのだろうか。
その安心感はどうやって手に入れられるのだろう。努力して得るものなのだろうが、今の私にその余裕はない。私の力だけでは変われそうにない。
甘えなのは分かっている。誰か私に安心感を与えてほしい。希死念慮から遠ざけてほしい。
これが今の正直な気持ちである。

感想1

経験談を送ってくださり、ありがとうございます。
全体的に、このように思ったからこうした、というふうにあなたの気持ちと行動が理論的に繋がっていて、とても合理的な方なのだろうという印象を持ちました。
また、人間関係を主な軸に、話が展開していると思いました。自分から人に関わることが好きではないと書かれていましたが、現実にはあなたが無理をする必要があるほど、人と関わることが求められる機会が学校などでたくさんあったのかなと思いました。自分から人と関わろうとしなければ、死にはしなくてもかなりの不利益を被りそうな状況があったのかなと考えています。そのような環境は、自分から人と関わることが好きな人を優遇しているようで、偏っていそうだなぁと私は思いました。
それから、あなたは自分のことをよく知っている方なのではないかと思いました。自分の振る舞いや態度や人生をよく考えてこられたからなのかなと思っています。

これまでに経験された学校や家庭は、集団内で優位な人がより優遇されて、分断されていく構造(スクールカースト、家族カースト?)を生みやすい文化が強かったのかなと私は考えました。そのような文化がハラスメントを再生産して弱い立場の人(子どもなど)に恐怖を負わせることがあるのだろうと考え、悲しくなるのですが、一筋縄では解決しない問題だろうし、何ができるのか悩ましく思いました。

学校では、何年間という単位で同じ人たちの集団で過ごすことになっていて、クラスは年に一度しか変わらず、さらに先生は一人で大勢の生徒の対応を背負わされている状況では、あなたの逃げ場がなかったことが分かり、心苦しくなりました。
いじめやハラスメントが続けて起こり、孤独に耐えるしかない状況が続けば、生きていても生きている実感がしない感じだったのかな、自分の人生が尊重されている実感はしなさそうだな、などと想像しました。

私は、少なくとも今のあなたは「受け身」でも「他力本願」でもないと、経験談を読んで思いました。むしろ責任感が強く、無理をしすぎてしまうほどなのでは、と映っています。

また、あなたは自分自身のことは、多少は信じられるのだろうと受け取っています。それはご自身の思考や感覚を頼りにして研ぎ澄ませながら生きてきこられた、とも言えるのかなぁと思いました。
一方で、他の人に協力を求める力もありそうだと思っています。ただこれまでは、あなたにとって必要なことを理解して協力してくれる人にあまり会えなかったのだなと思います。それは、世の中にまだまだ問題の複雑さを理解し、それぞれの人生をトータルで考える視点が足りないということなのかもしれないと思いました。

「たった数秒しか触れなかったのに。」
たった数秒だけでも触れたこと、会えたことが人生の助けになることもあるのだなぁと思いました。日常の中でもあなたの助けになるような存在や出来事がもっと見つかったら…と思います。

最後に安心感について書かれていて、安心の対義語は不安だとすると、安心感がほしいと思うのは不安なときなのかなぁと考えました。(あなたの中では少し違うかもしれません…。)
いくつかの参加できる場所を確保しておけば、一つダメになっても逃げ場があるので、不安を減らすことになるのかなと考えました。また、入ったらなかなか抜けづらいカルチャーの場所だけではなく、もう少し気軽に出入り可能なところもあればいいかもしれないと思いました。死にトリはネット上のゆるやかな繋がりの場ではありますが、気が向いたらいつでも、訪れて話したり眺めたりして使ってもらえたらなと思いました。

感想2

 経験談の投稿ありがとうございます。家族や先生などの身近な大人が頼れず、むしろあなたの心を折るような対応をされたことで、日常的に傷ついてきたのだなという印象をもちました。また、その傷つきの経験があるため、頼ろう、甘えようとしたときに記憶がよみがえるということがあるのだと解釈しました。頼れなかった経験やハラスメントがあれば、周りの人に頼りづらくなるのは自然なことだなと感じつつ、過去の経験が頼れるかどうかを左右することについての理不尽さも感じました。

 文章中によく、感覚や感触のことが書かれています。もしかすると、五感やそのときの印象などが記憶に残りやすい方なのだろうかと想像していました。良くも悪くも感覚と記憶がセットになっていることで、過去をそのまま経験しているようなリアルさをもって思い出しているとすると、ふとしたことで過去に戻ったようなつらさを感じているのではないでしょうか。

 春からは悩みや不安をカウンセラーに話しているとのことですが、死にたい消えたいはだれにも言えないのはどうしてなのかなと、純粋に疑問を感じました。安心感が持てないことと関係しているのかなと勝手に想像しているのですが、もしよかったらあなたの言葉で聞きたいなと思っています。

感想3

「自分から人に関わることが好きではない」ということを理解するための手掛かりとなるエピソードの数々、読ませていただきました。誤解され理解されず、そして立ち止まることを許されず・・・。小学生中学生の小さな心身で相当なダメージだったことと思います。ご両親はじめ教師や塾の講師など、投稿者さんの周囲の大人の対応に呆れるばかりです。そんな中、受け身でいることを指摘され、何とか自ら人へ関わろうとした貴方の努力(努力ということばが適切か悩ましいですが)を知ることができました。

努力について少し考えてみたのですが努力には2種類ありそうです。1つ目は、やむを得ず、追い込まれてする努力。もう1つは、自らエネルギーが沸いて自分の意志でする努力。そういう意味で、投稿者さんは、これまでの人生の前半はやむをえない努力をしていたのかもしれないなと感じました。そして、引きこもりを中断し、サポステに通い始めたころからは後者の努力の要素が含まれているような気がしました。

それにしても「死にたい、消えたい」という欲求は根が深いものですね。投稿者さんが投げかけて下さった『安心を感じることができれば、「死にたい、消えたい」という欲求はなくなるのだろうか』について、興味(興味という言葉が適切か悩ましいのですが)を持ちました。「死にたい、消えたい」欲求の背景というのは、みなさんの投稿を読みながら理解を深めている最中ですが、「死にたい消えたい欲求」は「消えるのか」、「もし消えるのであればどんな条件や経験、プロセスがあるのか」私は未知なのです。ただ、投稿者さんがおっしゃっている「私の力だけでは変われそうにない」という言葉にとても共感しています。

最後になりますが、投稿者さんは自分を小さく見積もっている可能性があると感じました(もちろん、そう見積もらざるをえない周囲のかかわりがあったと思っています)。自分自身の可能性について再見積もりが必要な時期なのかもしれません。これまでの人生経験そのままで、投稿者さんがデビューしてくださることを私は望みます。勝手なことばかり書き連ねましたが、「貴方が消えてしまうのはもったいない!」というのが私の率直な気持ちです。

お返事1

経験談を読んでいただきありがとうございます。
感想や質問に応える前に追記しておきたいことがあります。
食品加工のアルバイトの話がありますが、経験談送付後に辞めました。人間関係が原因です。
従業員の誰とも仲良くなれず、忍耐力がなく仕事を数週間で辞めてしまい情けないです。
他にもつらいことがあり、現在は心身回復を図りながら求職活動しています。そのことはまた経験談として纏めて書くかもしれないし、とりコミュに投稿するかもしれません。

ここから先はスタッフ様の感想を読んでの感想等を述べていきます。

感想1さん
理論的、合理的と言われたことがなかったのでびっくりしています。
文章を書くのは会話するより楽というだけで得意というわけではないので。
私は自分から人に関わることだけでなく、あらゆることについて父からの評価を気にしてしまいます。
昔電話に出てうまく話せなかった姿を父に見られて露骨に不快感を顕にした表情を見てしまってから、「うまくやらなければ」という強迫観念があります。
父がいない場所でも視線や圧力を感じます。場合によっては塾のことも思い出してしまうのでつらいです。
「自分のことをよく知っている」と言われましたが、周りの反応で自分はどんな人間か判断してきたので自分をよく知っているのか正直分からないです。
短所や苦手なもの、不得意なことは把握していますが長所や好きなもの、得意なことが分かりません。
それは否定されたり駄目なところばかり指摘されたりすることはあるものの、何かを達成した時に誰かと一緒に喜んだり褒められたりした経験がないからです。
たとえば国語のテストで平均点以上の点数をとっても、父からは「でも数学の点数が悪い」と返事されました。国語のテストについてはノーコメントです。
母は父ほど厳しくなく否定的でもありませんが、「国語の点数が良いけど数学が良くないからお父さんに何か言われるかもね。何言われても怒らないでね」という感じでした。
母は喜んだり褒めてくれたりしたように思うし、ないようにも思います。よく覚えていません。
そんな環境で育ったから私は国語が得意なのかどうなのか分かりません。不得意とは思わないけれど、得意かと問われても肯定できません。
唯一好きと分かるものが経験談で少し話した芸能人Kです。
Kが好きと分かったのも彼が結婚した知らせを聞いてショックを受けて、「ああショックを受けるほど好きだったのか」と気付いたからです。
サポステに通うようになってから褒められることが増えましたが、褒め言葉を受け取れずにいます。
「この人は駄目人間(私)に何を言っているのだろう」、「誰か他の人と間違えて評しているのではないか」と疑ってしまうのです。
失礼なことを考えているように思うのですが、良い評価を素直に受け入れていいか分からないのです。
そして自分を信じられるということについてですが、自分しか信じられるものはなく暗中模索で生きてきた感じがします。
本当は自分の感じていることが正しいか自信がないので誰かに頼ったり甘えたりしたかったです。
しかし今年になってサポステや自助会、そして死にトリとやっと身近に頼れる存在を見つけられました。
今までは好きな芸能人の存在だけが頼りでしたが、頼れる場所が増えて嬉しいです。

お返事2

感想2さん
いつから死にたさや消えたさがあるか書き忘れていましたが、小学4年生から存在しています。
その時から誰かに相談したい気持ちはありました。しかし家族は否定的に捉えることが多く結論を急かされたり問い詰められたり責められたり押しが強いので、言っても良いことないと分かっていたので言えませんでした。今も言えないです。
小4のある時、死にたい・消えたいという気持ちを「転校した〇〇ちゃんところに行きたい」と言い換えて親戚にぼそっと言ったことがあります。返ってきた言葉は「お父さんやお母さんが困るでしょう」。
私のつらさ苦しさは実際より軽く見られていると知り、希死念慮について誰にも打ち明けないと決めた瞬間でした。
それでもずっと1人で抱えるのはつらくて最近(経験談送付後)サポステのカウンセラーさんに死にたさや消えたさについて打ち明けました。
じっくり聴いてくれたし、否定も押し付けもなく理解を示してもらいました。
それが仕事だから当然なのかもしれませんが。
今のところ死にたさ・消えたさについて話したのはサポステのカウンセラーさんと死にトリだけです。
自助会の人たちには何回も会っており、境遇が似ている人や理解が深い人もいるのでこれから話してみようと思います。
色んな人と死にたさや消えたさについて話して、付き合い方を知ることができたらいいと考えています。

お返事3

感想3さん
経験談で書いた、中3の担任についてですが新学期初日にいきなり「俺は放任主義だからトラブルは当人同士で解決しろ」と私含めクラス全員に言い、その後も事あるごとに言っていました。
その影響かいつも荒れていました。
いじめられるし、教室のガラスは割れるし、クラスメイトの3分の2ぐらいは授業中にゲームしている環境でした。
その授業中にゲームをしている人の半分ぐらいは私と同じ塾に通う人でした。
講師Eが「こっち(塾)のほうが学習進度速いから君たちにとって学校の授業は無意味」、「無意味な時間を過ごすならゲームでもやって過ごせばいい」と言ったからだと思います。
Eは塾のほとんどのクラスで数学を教えていたので、成績の良し悪しなど関係なく色んな人がEの言う通りにしていました。
両親は毎日三食食事を作ってくれたり学費を払ってくれたりなど感謝する部分はあります。虐待やネグレクトはなかったです。そういう意味では私は恵まれていると思います。
しかし全然性格や考えが合わないです。
私の感じていることを否定します。不快感を顕にしたり、話の途中で問い詰めて責められたり、意見を押し付けられたり結論を急かされたりします。
肯定されたことはないように思います。
上述の通り、食品加工のアルバイトを辞めてしまったのですが理由を話しても分かってもらえませんでした。
「優しい言葉をかけられなくて悪かったね」と母に開き直られました。
それを踏まえて改めて考えると私は恵まれていると言えるか分かりません。
恵まれていないと言えるのかも分からないです。
努力についてですが、本音を言うと努力なんかしたくありませんでした。誰かに頼りたかったし甘えたかったです。
そう思うのは最近「自立とは依存先を増やして生きること」とカウンセラーさんに言われたことが原因です。
数ヶ月前の出来事ですが今も混乱しています。カウンセラーさんは私を困らせるためにそう発言したのではないと理解しているのですが。
他力本願と言われ克服しようとしてやってきたことは意味があったのかなかったのか自分で判断できません。
感想1さんへの返事にも書いた通り、サポステや自助会、死にトリを見つけられたことは良いことと思います。
しかしもし身近に安心して頼ることができる人がいれば、もう少し早く見つけることができたかもしれないと考えてしまうのです。

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