私は幼い時から両親の大きい期待を背負って生きてきたように思います。そして幼い時から私の周囲の子達は「大人しく引っ込み思案な子はいじめたりからかってもいい」という意識を持っていたように思います。
大人しく、運動音痴で鈍臭い私は幼稚園~中学生の間、孤立したりからかい、いじめの対象になることが多くありました。いわゆるスクールカーストというものだったように思います。大人しい子は活発で友達も多いような子にとっての玩具。玩具は意見をいうこともできなければ、先生の助けも得られない。ゴミやボールを投げつけられたり、悪口を言われたり、暴力を振るわれたり、のけ者にされたり…。私は休み時間になるとたった1人で周囲から隠すように絵を描いていることも多くありました。友達が全くいなかった訳では無いけれど、3人以上でいると必ず一人で余るような子だったので、それが惨めで嫌でした。
あまりに悩みが強い時や参ってしまった時には体に悪い影響がでることも結構あったけど、まだ子供だった私にはそれがストレスから来るものだと気付くことはできず、一人で抱えては事情をしらない大人に叱られたりしながら過ごしました。
高校時代に入ると、とたんに誰もからかいやいじめをしてくることが無くなりました。友達も急に増えました。すごく嬉しかったはずなのに、私の中には大きな戸惑いが生まれました。何故からかわないのか、何故仲間外れにされないのか、本当は後で盛大にバカにするんじゃないのか、大好きな友達のはずなのに信じきることが出来なくて、たくさん悩んでいるうちにいつしか私はうつ病になっていました。
そこからの毎日は地獄になりました。父と母が理解をしてくれなかったからです。「それは気の持ちようでしょ」「心療内科にばかり行かないで。医療費が高い」「心の病なんて、バカバカしい」…この人たちは本当に自分の両親なのだろうかと思いました。苦しくて苦しくてたまらなくなってリストカットすることもありました。今思えばあれはリストカットというよりも、心についた傷を体で表現して、気づいてほしかったのだと思います。しかし、それを見た父は激怒し、「お前は頭がおかしい。最低だ」と言い放ちました。その時、何かが崩れ去ったような気がしました。
母が絶対に入れと言った、少し偏差値の高い高校に頑張って入って、母が決めた習い事も長い事続けて、私の成績に一喜一憂して、立派になったら大きな家を建ててねっていつも期待されてきた私。両親は期待の持てなくなった私を心の中で捨てたのかもしれない。そう思いました。
動くのすら辛くても休むことも許されず、立ち止まれない私は「今のままでは就職もできない」と思い、奨学金を借りて無理やり大学に行くことで働くまでの猶予を得ました。同時にかなえたい夢ができました。心理学科に入りました。この辛い心の病気を抱える人を、支援できる人になりたいと思いました。大学に通い、勉強しているうちに、病気も良くなっていくかもしれない。そうしたら卒業に合わせてカウンセラーの資格を取ろう。そして就職さえすれば、両親だって認めてくれるだろう。…そう考えていた気がします。
しかし、病状は悪化する一方でした。時にはスクールバスにすら乗れず大学へたどり着けなかったりしました。辛くて家で寝ていると、怠けているとでも思われたのか両親の怒号が飛んできました。大学では高校と打って変わっていい友人に巡り合うこともできませんでした。
数回、人知れず自殺未遂もしました。生きていくことが怖くてたまらなくなったのです。こんな自分にも、両親にも、友達にも、世界にも未来にも、何も希望を感じることができませんでした。みんなが私に消えてほしいと望んでいる…本気でそう思っていました。同時に祖母が認知症になり、両親の負担が大きくなったせいか、私への風当たりはもっともっと強くなっていきました。
いつ死んでもいいように遺書を泣きながら書きました。この日で死のうかなと日にちを決めては、残り〇〇日と数えながら過ごすとなぜか心が穏やかになるという不思議な体験もしました。強い不安や逃げたいほどの鬱に襲われ、人から見つかりづらいところを自傷で傷つけて心の安定を図ったりもしました。
大学卒業前、発達したインターネットのコミュニティの中に自分の居場所を見つけられ、そこで今の主人となる人と出会うまで、私の苦しみは長く続きました。
私は過ごしてきた人生の中で、「私は立派で人より優れていなければならない」「人に好かれていなければならない」「いい子、優しい子でいるべきだ」ということを意識に植え付けられていたように思います。結果できあがった私というのは、自己肯定感が異様に低く、傷つきやすく、人の顔色を窺っては疲れ、成功者を見ては嫉妬で苦しくなり、弱い立場の人の苦しみを見てはそんな人たちが救われない世界は間違っているから滅びてしまえと呪詛を吐く、そんな人間でした。
今もうつ病と一緒に発病した自律神経失調症で数々の体の不調に苦しみ、小さいころから好きだった絵をいかした仕事も体調に左右されてうまくいかないことが多く、自分のことが嫌いでイライラしたり、死んだ方が楽だなと思ってばかりですが生きています。私を救ってくれた主人との仲は良好なので、主人に捨てられる日がくるまでは、自殺はしないつもりです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
私という人格が出来上がるまで
感想2
死にトリに経験談を寄せてくださり、ありがとうございます。色々考えながら読ませていただきました。
幼稚園~中学生のとき、ストレスを一人で抱えて、体に悪い影響が出てくるほど参ってしまっているのに、事情を知らない大人に叱られるのは、さらに心にダメージを与えかねないと思いました。
心のストレスが体に出るのは、自然なことであって、特に子どもであれば、頭で状況を整理したり、環境を変えるための行動を起こしたりすることも難しいので、ストレスに対して体が反応を起こしやすいのだろうと思います。
私は、周りの人や自分自身の、体の不調やしんどさを、「心がしんどいサインかもしれない」と想像できるようになりたいと思いました。
そもそも、相手の事情を知らないのに叱ることは、相手が大人であれ子どもであれ、身勝手で理不尽だと思いました。
「玩具は意見をいうこともできなければ、先生の助けも得られない」とあり、そんなところで毎日過ごさないといけなかったら、心がパンクしてしまいそうだと想像します。
今の学校では、なんとなく「生徒は生徒の役割」を「先生は先生の役割」をしないといけないような雰囲気があると思いました。それって、少し不自然なことだなと思います。
〇〇中学校の何年何組の生徒だから、この教室で過ごさないといけないとか、休み時間はみんな12時50分から13時20分までで、数分でもズレてはいけないとか、そんな型に機械的に嵌めようとするのは、窮屈で不自由だと思います。もっと、色々な年齢の人たちが、一緒に出掛けたり、遊んだり、勉強を教え合ったりして過ごせる場所や時間が増えたらいいのかなぁと思いました。
高校では、友達が急に増えたということでした。場所が変わるだけで、そんなにも人間関係が大きく変わってしまうことがあるのだな…と知りました。それが、良い方向の変化であっても、慣れるのはかなり大変そうです。悩むのも無理はないことで、あなたに問題があるのではなく、急に環境が変わってストレスを生み出してしまうような、ちぐはぐで断片化された世の中に問題があると思いました。
うつ病になって、両親から侮辱や否定するような言葉がたくさんあり、それは親であろうとなかろうと、許されるものではないと私は思いました。そして、「何かが崩れ去った気がしました」というものごく自然なことだと思いました。同時に、どうしてあなたがそんなことを言われないといけなかったのだろうか?と悲しくなりました。
それ以前から、学校の先生にも、両親にも、体や心の不調や、そのもとになっているストレスの多い環境について、理解しようともしてくれない経験が重なり、父の言葉が最後の引き金になって、もう生きる気力さえ奪われてしまったのかな、と想像しました。
また、母に生き方のレールを決められて、有無も言わさずそのレールを走らされてきたのだろうか、と考えてしまいました。どうして、たまたま親と子という関係だった他人に、あれもこれも強制的に決められ、選択の自由を奪われて生きないといけないのか?それはあなたが人として尊重されていると言えるのだろうか?と疑問に思いました。
「動くのすら辛くても休むことも許されず」、無理に無理を重ねて、何とか生きるためにやり繰りして、凌いでこられたのだと思いました。私は、あなたが許されなかった「休むこと」を、これから少しでも、できる機会があればいいなと思いました。
大学に入ってからも、両親の期待があなたの考えや行動を縛り付けているように思い、大人が子どもに勝手な期待を押し付けることの罪深さを感じました。私は、他人に一方的な期待を押し付けないように気をつけようと思いました。また、逆に自分が誰かに期待を押し付けられたら、拒否するのは正当なことなのだと思いました。
長い長い苦しみが緩和されたきっかけが、インターネットのコミュニティや出会いだったと聞いて、ネットでもリアルでも、人とつながろうとすることは、無駄なことではないのかもしれない、と思わされました。
これまでの厳しい経験から、今もあなたが苦しんでいること、それが「私という人格」と表現されているような、体の調子や仕事、考え方の根っこにある意識などの様々な面に及んでいることを教えてもらいました。根っこに植え付けられた意識は、それなしには「私という人格」ではなくなるほど、生きることに深く影響を与えるものなのだろうと、考えさせられています。
今回は経験談から、多くの学びの機会をいただき、ありがとうございました。
お返事1
この度は、私の経験談について感想をいただき、ありがとうございました。
とても久々に、自分の奥深くにしまいこんだ心の傷にやさしく触れていただけた感じがして、しばらく涙が止まりませんでした。
今となっては遠い昔になったはずの子供時代の辛かった記憶も、今思い出してこうして涙が出るのは、真の意味で傷が癒えていないままで、自分の一部になってしまっていたからなのかなと感じます。
自分の事がたとえ嫌いでも、生きていくことは、何とかできます。けれども大人になった今、それはあまりに生きづらいことだと痛感しています。
自分が嫌いだと、自信が持てません。たとえば仕事をもらう時、自分ができることをアピールしなければいけませんが、それの辛い事といったら。「できますか?」と聞かれたら、本音は「わかりません。出来なかったらごめんなさい。でも一生懸命頑張るから、見捨てないでほしいです」なのですが、社会人として言わなければならないことは、できるのかできないのか、それだけです。そして少しは自信がなくても、無理にでも「できます」と言わないと、仕事は回ってきません。
多くの人はこのくらいのことは難なくクリアして仕事に入っていくのでしょう。けれども、私のような人間は、「このくらいのこと」がかなりの苦痛であります。
子供のうちに、自分の好きなところをみつけること。どんな自分でいたいのか、どんな大人になりたいのか(職業ではなくて、人格というか、どのような人間という意味)、それを考えさせることは、将来の夢を聞くことよりも実は大切なんじゃないかと考えたりします。
それを考えていくべき時期に、私のようにいじめやからかいを受けたり、孤独になったり、大人の理解が得られなかったりすると、やっぱり大きな障害になると思います。
私も、仰るとおり、友達の反応が違ったら…両親の反応が違ったら、もう少し違う人間になっただろうと考えています。言っても仕方のないことかもしれませんが、台無しになった自分の人生のことだから、恨み言も言いたくなります。
結果として心理士への道は諦めてしまった私ですが、薬の副作用でふらふらになりながら通った大学で、可能な限り吸収した知識は、自己分析や他の人の心のケアのためアドバイスをする時などには役に立っています。自分を客観的に見ているようだと仰られましたが、それはそのためかと思います。
主人も実は大学の心理学科に通っておりました(全く別の大学です)。その事実は後で知ったので驚きました。同時に、心の病に対してまったく偏見がない理由が、ここではっきり分かった気がしました。
私の投稿ではまるで両親から全く愛されていなかったような文章となってしまいましたが、ちゃんと愛情もくれたのは事実です。でもだからこそ、私がうつ病になって本当に心の底から助けて欲しいと願っていた時に罵声を浴びせられたことは、私にとって致命的なダメージになりました。最初から信じていなかったものに裏切られても「そんなもの」と諦められるけれども、最大の理解者であって欲しかった人々に裏切られることは、耐え難い悲しみです。
はっきりと「うつ病」という形で心身を壊したのは高校生の時が初めてでしたが、それ以前にも何度かストレスのせいで原因不明の体調不良に悩まされたことはありました。それは今だからそうだったんだと分かるけれど、子供のうちはそんなことは分かりません。なんども体調不良を訴えていると、大人の目は厳しくなります。嘘をついているのではないか?と。そうなるとますます子供は誰にも相談できずに抱え込んでしまうことになります。
高校生の時から、学校にはスクールカウンセラーの方が時々いらっしゃるようになりました。私も何度か相談に訪れました。こういったことは、小学校のうちから幅広く、全ての学校で実施してほしいと思います。
できれば、おっしゃる通り、もっと学校も柔軟な対応をしてもらえる場であったら…と私も思います。そしてそれは学校だけでなくて、働く場でも。人間は色々なタイプの人がいます。時間に縛られることが極端に苦手な人、集団行動が極端に苦手な人、いじめっ子を引き寄せてしまうような私みたいな人、…そのような人達は学生のうちから「生きづらさ」を常に感じることになってしまいます。本当はそのような人達にだって、能力を発揮できる場所さえあれば素晴らしいことができるかもしれないのに、全ての人を型に嵌めた生き方にさせようとするから、ただ辛くて何も発揮出来ずに苦しんで埋もれていくだけ…。そのことをとても悲しく、息苦しく思います。
また、スクールカウンセラーの方を増やして欲しい理由にはもうひとつあって、それは「いじめの被害者と同じくらい加害者の精神的なケアが必要」だと思うからです。日本では基本的に辛い思いをした被害者の方にしかケアをしないように思いますが、外国では加害者のケアもすると聞いています。加害者となる生徒もなにかしらの家庭問題や進路や友達関係などのストレスを感じているから、弱そうな子を虐めることでしか発散できない状況になるのだと思います。はっきり言って弱いものいじめをしなければ保てない心は異常なことです。加害者をなんとかしなければいくら被害者のケアだけしてもいじめはなくなりません。
私は現在、両親とも別居して主人と二人で暮らしています。両親とも適切な距離を置けたことで、同居していたころよりも良い関係になれている気がします。主人は私が体調を崩して休んでも叱りません。基本的には、安定していられます。
けれども未だに「生まれてきてよかった?」と聞かれたとしたら、答えはNOです。
私は女ですが、子供を産む気にはなれません。もしも産まれた子供が私と同じ人生を体験して成長しなければならないとすれば、生まれない方が幸せと思います。私だって精神的に脆い自覚がありますから、もし自分が辛い時に子供が助けを求めてきて対応しきれず、酷い言葉を放って大きな心の傷を作ってしまったら…考えるだけで恐ろしいです。
長々と語ってしまって申し訳ありませんでした。
なかなか表に出す機会がない気持ちを語る場がいただけて大変嬉しく思います。
そして、苦しんで生きた過去の私に寄り添ったお言葉を頂けたこと、本当に感謝申し上げます。
感想1
投稿ありがとうございます。
タイトルが「私という人格ができるまで」ということだったこともあり、人格ってどうやってできるのかなというのを、投稿者さんの原稿を何度も読み返しながら、素人なりに考えてみましたところ、人格というのは、出会った人々の自分への反応を元に形成されるということではないだろうかと思いました。
たとえ大人しかったとしても、友達の反応が違ったら・・・たとえうつ病だったとしても、ご両親の反応が違ったら・・・投稿者さんの人格は別の形になっていた可能性があるなと考えました。
夫さんは、これまで出会ったことのある人々と違う反応をする方なのだろうなと想像しました。ですから、これまで形成された人格というものがありながらも、新しい人格というか自分が引き出される可能性もありそうだな、と思いました。
全体を通じて、過去を客観的事実として文章にしている印象を持ちました。過去の経験は今につながっていることに違いはないと思うのですが(今が楽で苦しんでいないという意味ではなく)、過去と距離をとりながら今を生きている投稿者さんを想像しました。