自分を消しながら生きる



茨城県・30代・女性


 今まで、私は私でなく生きてきた。自分を感じず、感情を抑え、両親に、友達に、世間に必要とされ愛される自分を演じ偽りながら居場所を探し続けて。毎日溺れるように苦しい。もう動かない自分を奮い立たせ、目の前の事をこなすので精一杯の日々を過ごしている。

 複雑な家庭だった。両親、祖父母、妹、身寄りのない従兄弟で同居し、親族は敷地内に別棟を構え暮らしていた。そして、家族中、親戚間の仲は険悪だった。

両親からの暴言脅しの心理的虐待があり家に帰るといつも緊張し顔色を伺いビクビクしていた。両親と祖父母の愚痴を聞き仲裁をし、借金をして祖父母を困らせる叔父を泣きながら諭した。妹は病気がちでか弱く、太った私とは真逆の存在だった。とても差別、溺愛されていた。父も葛藤の多い人で、いつも怒鳴っていて不安げで、けれど威厳を保ちたいような危うい存在だった。父と祖母の関係は最悪でよく当たり散らしていた。物に当たる、怒鳴る、子供にあたる。笑うなと怒鳴られ感情が出せなくなった。恐怖の存在であった。そして何気なく開けた引き出しに、同性愛者のビデオがあった。血の気が引き、いつもの父とのギャップ、母に罵倒され離婚されてしまう!家族が壊れてしまう。父を守らなくては!衝撃だった。小学生4年生の心に墓場まで持っていく重い秘密ができた。誰にも喋ることは無かった。

異常な家族に、もがき苦しみ頑張れば解決すると奮闘し続けた。唯一、祖母だけが私を包み込んでくれた。大好きだった。祖母が嫌いだった母はそれも面白くなかったのだろう。家族が仲良く穏やかに暮らす事が夢だった私。どんなに頑張っても虐待はあっても愛される現実はなかった。母と気持ちを共有した事はなく、いつも一方的で押し付けられ罵倒され、その度に心が押し潰されるような恐怖を処理できず、気持ちを抑え続けた。母は私には興味がない人であった。私からのプレゼントを受け取らず逆に怒られる、汚い臭い、男に産まれればよかった、妹のが可愛い、我慢しろ、体調を崩せば管理が悪いと怒鳴られ、暗い納屋にも罰として閉じ込められた。けれど、残り物を優しい声で食べて処理して?と言われるのが嬉しくて、お腹いっぱいでも食べていた。衣食住は与えられていた為、虐待とは認識出来ていなかった。心は死んでいた。

小学生6年生の頃に、醜い体と担任に言われ、それをきっかけにダイエットから拒食症になり生理が止まった。その後過食症へ移行。けれど、精神病と母は認めてくれず食べすぎで意志の弱い子。障害者に偏見のある母は、自分の子供が精神疾患だとは認めたくなかった。

それから、隠すように過食し続け成人後カウンセリングを受けるようになった。社会に出るとうつパニック障害、過食に悩まされ続けた。恋人に対しても素の自分は愛されないと、恋愛のテクニック本を読み漁った。恋人に依存し、両親の代わりにした。好きだと言われても、偽りの自分であるという思いがあり、相手を信じきれない。友達も同様だ。偽物の自分。醜い自分は見せられない。おおらかでニコニコして、相談役で物事を真面目に取り組む。好かれそうな人柄を必死に演じていた。良好な関係の裏に虚しさが付き纏った。

 カウンセリングを受け少し前向きになり、現在結婚し、2人の子供を授かった。子育てを始めてから余計に親からの呪縛が拭いきれない。大嫌いだったはずの怒鳴り恐怖で子供をコントロールしようとしている。虐待の両親と同じだ。子供達は私が抑えてきたタブーを難なく繰り返し、心を揺さぶってくる。愛したいのに、いい母親になって幸せに暮らすと夢見てたのに。母親の口癖で、育ててやっている親のありがたみを知れと繰り返していたが、子育てをして分かった。母には私に対する母性はなかった。私を罵倒し、家族の愚痴を吐きコントロールしようとした。母は私に甘えていた。母と子の関係は逆転していた。そして、何回も何回も絶望しながらも信じ続けた。大きな愛をもっていたのは私であった。何度も許し続けた。大好きな家族を。

 そして、今私も子供達に甘え、自分の心の闇の扉を開かせてくれた。どんな最低な対応、未熟な人間、ありのままの私を大好きと受け止めて、繰り返し信じ続けてくれる存在である事を。

だから、私はカウンセリングを受けている。私がなりたかった愛のある生活を大切な家族と送るために。笑顔で共に歩けるように。

感想1

これまでの経験を文章にして共有してくださり、ありがとうございます。

経験談を通して、波乱の人生の旅の途中に、今立っているような印象を受けました。

大好きな家族を、大きな愛を持ってゆるし、絶望しながらも信じ続けたということに自ら気づいて、それを今回伝えてくださったことに、敬意を抱くとともに、その事実を重く受け止めたいと思いました。

冒頭に、いつも必要とされる自分を演じて生きてきた、居場所を探していたとありました。必要とされる自分を演じ続けていれば、演じている自分が受け入れられたとしても、本当の自分を受け入れられているとは感じられず、居場所を探しても探しても見つからないことになりそうだなと思いました。

たくさんの大人が、仲が悪いのに同居し、怒鳴ったり脅したり、子どもに当たったり閉じ込めたりするような環境下では、心が死んでしまうのも頷けます。すでに死んだ心のまま、家族の関係を改善しようと、ますます死ぬほどの努力をしてきたのだろうなと思います。

小学校の担任のその言葉は、大人としてあり得ないと思いました。怒りが湧きました。

現在、ずっと抑えてきたことを抑えたまま、子どもを育てるのは大変なことではないかと想像します。一方で、子どもがあなた自身の抑えているものに、気づかせてくれているのだなと理解しました。愛を知っているあなたは、自分に自由に生きることをゆるし、子どもが自由に振舞うこともゆるすことができるのではないかと、私は思いました。また、そのためにもカウンセリングやパートナーをはじめ、たくさんの味方を付けて、これからの旅を続けてほしいなと思いました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。

安全を担保されるべき、安心できる居場所であるべき家庭のなかで、安全安心がもたらされることなく、ながらく緊張状態におかれてきたのですね。

それはとても息苦しいことだと思います。

また、教員からも批評的なことを言われたら、どうしていいかわからなくなってしまうと感じました。

カウンセリングを受けることで、前向きになった面があったということですが、どんなふうに変化されたのでしょうか。

そのきっかけになる考え方や、きづいたことなどがあれば、よかったら教えてほしいと思いました。

お返事

 自分の闇の部分をさらけ出し、感想を頂き、励まして頂ける。共感して頂ける。受け止めて頂ける。こんなに幸せな事はないです。私は私でいいんだ。と、認められた気持ちになり涙が出ます。これが家族に求めていたものなんです。共感です。
 カウンセリングをして前向きになったのも、これに通じます。まず、自分の偏っているけれど信じ生きてきた世界が苦しくて、外の世界に助けを求めました。自分の闇も苦しさも、汚さも吐き出し共感し認めてくれる。よく頑張ったねと。消えたいとはいつも思っていたが死にたいとは思わなかった。カウンセラーの方に、これだけの経験をして死なずに生きていてくれてありがとう。と言われました。その言葉は、私を包んでくれました。自分は懸命に頑張ってきたんだな、過食症も憎むことしかしなかったが、守ってくれていたんだな。その、帰り道今まで感じた事がなかったキラキラした外の景色が、凄く記憶に残っています。体から毒の様な鉛が流れ出す感覚でした。カウンセラーの方にも恵まれて、凄く暖かい聖母の様な方でした。とても、幸運だと思います。