東京都 根本真紀さん



こんにちは。朝比奈さんからバトンを受け取りました。主に都内でソーシャルワーカーをしております、根本真紀と申します。

社会福祉協議会という全国すべての自治体に設置されている組織で、地域で暮らす人が主体となって自分たちの暮らしの課題の解決に向けて取り組んでいくことをさまざまな形でサポートする仕事をしています。

また、仕事とは別に、15年ほどホームレス状態にある方の支援活動にも携わっています。

私は大学では福祉とは全く違うことを専攻していたし、最初の就職も全く違う業界でした。大学の時に福祉を勉強している友人もいましたが、篤志家の人もいるんだな…くらい自分にとっては身近なことではありませんでした。


そんな「福祉」がある日突然身近なことになりました。

働き始めて数か月後に行った最初の健康診断で異常が見つかり、そこから数か月大きな病院に通院するということがありました。健康が取り柄みたいな人間で、それまで滅多に病院に行くような機会もなく過ごしていたので、診察までに長時間待ち、数分の診療でまた会計まで長時間待つ…という現実や、それ以前に病院に多くの人が毎日のように訪れている現実に驚きました。

同時に、当時実家で同居していた祖母が急に介護が必要な状況になり、病院に入ったものの一定期間がたったら退院を促されたり、でも急に入れる施設はなく、選択肢がない中であまりいい環境でないところに入って不適切なケアを受けざるをえなかったりということも経験しました。

普段何不自由なく暮らしていたとしても、何らかのきっかけで誰でもつまづいてしまうことはある。

転んでしまった先が底なし沼の落とし穴で、再び立ち上がる気力すらも奪われてしまうような状況ではなく、転んでしまったとしてもクッションがあって、また立ち上がって歩き出そうと思えるような状況じゃないとしんどい。

そして残念ながら今の世の中は一度転んでしまうと立ち上がるのがとても困難。

どうしてそんなことになってしまっていて、どうしたらその状態が良くなっていくのか、そんなことを学びたくて福祉の道を志すようになりました。


さて、自分自身が病気にかかっているとわかったとき、あるいは家族に介護が必要な状況になったとき、当時の私はそれを誰かに「相談」したかな…と思い返してみました。

「なんかあったら相談して」という側からすれば気軽に言えるけれど、いざ相談する側にたってみると、意外とそのハードルは高い。

どんな時に相談してみようかなと思えるか、と考えると、「この人に話したら何かいいアドバイスがもらえそう」とか「この人なら否定せずに受け止めてもらえるだろう」みたいな期待を感じる時なのかな、と。

日々生きていく中では、数学の数式のように「絶対にこれが正解」ってものはなくて、常に「どうしたらいいんだろう」と迷いながら、その中でも小さい選択を重ねながら過ごしています。選択と言っても「0か100か」、「白か黒か」じゃなくて、立ち止まったり、上を見上げてみたり、下を向いてみたり、寄り道してみたりーそんなウロウロすることも時には大事で、そんなウロウロを時には前から引っ張ってくれたり、横で一緒に歩いてみたり、後ろから眺めたり、時にはお尻を叩いたり、一緒に悩んだり、そんな存在がいてくれたら話してみようって思えるかな、と考えています。

一筋の強い明るい光じゃなくても、ほのかな光であったとしても「ウロウロしていいんだ」と思えること、そしてそのウロウロについたり離れたりしながら近くにいてくれる人、そんな存在が「希望」につながっていくのかな、と。


私がホームレス状態にある方の支援活動に関心を持ったきっかけは、15年ほど前に観たドキュメンタリー映画「あしがらさん」でした。20年以上の過酷な路上生活で、人とのコミュニケーションもままならない「あしがらさん」が、カメラを回している青年(監督)との数年の交流の中で、紆余曲折ありながらも福祉制度を利用しながら住むところを得て地域生活を取り戻すという内容ですが、「どうせ何をやってももう変わらないだろう」と思ってしまいがちな自分は「人は人とのかかわりの中で変わることができる」ということを突きつけられて、とてもいい意味での衝撃を受けたことを覚えています。

監督は支援の専門職でもなければ、最初から福祉の支援につなぐことを目的にかかわっていたわけでもありません。カメラを回しながら時間を共にする中で、たまたま体調を崩したときに青年に助けを求めた。ほのかな光に手を伸ばして、そこから一緒にウロウロしながらも地域での生活を取り戻していった「あしがらさん」。そんな「あしがらさん」が映画の最後の方で、「人生でよかったなと思える時期は?」と監督に問われて、「いい時期なんてまだ来ないよ、これからだよ」とニコニコと答えていたシーンが忘れられません。

どんなしんどい状況にあっても、一緒にウロウロできるほのかな光であれるように、そしてそれが特別な専門職の誰かでしかできないということではなく、誰かが誰かのほのかな光であれるように。微力ではあるけど無力ではないと思って、私自身もこれからもウロウロを続けていきたいなと思っています。