家族の「呪縛」

 大阪府/21歳/女


 私はいつだって縛られてきた。小さい頃から、そして今も尚、私は呪縛から逃れられない。

 割と一般的な家庭の末の長女として、私はこの世に生を受けた。父が居て母が居て父方の祖父母が居て、そして年の離れた兄が2人も居た。他者から見れば本当に普通の家庭だった。

 だけど中側から見てみるとうちの家は、少し異常であった。“世間体”が良いだけの家だった。

 生き辛いと感じ始めたのは何時だろうか。ハッキリと自覚したのは遅めの中3〜だっただろうか。小学生の頃、当時はそんなに生き辛いとは感じた事は無かった。だけれど今思い返せば、生き辛さの兆候はあったのかも知れない。

 まず母親は、私を一切褒めてくれなかった。小学1年生の漢字の小テストで満点を取っても、運動会でかけっこで1番を取っても。何をしても母親は、私を褒めてはくれなかった。母親にとっては “出来て当たり前” で “私が出来るように育てた” らしい。何度も何度もそう言われた。とても虚しかったし寂しかったし、頑張る意味が無く私はテストも何もかも手を抜くようになった。

 長兄には、覚えてる限り小学生の頃から虐められた。長兄は所謂内弁慶で、外面だけは良い人だった。長兄は機嫌が良い時は必要以上に私に構い、機嫌が悪い時は私にも祖母等にも当たり散らした。少しでも反抗的な態度を取れば、兄はすぐ私を脅した。“どけ”、”邪魔”、”死ね”、”殴るぞ蹴るぞ”、”殺すぞ”、”阿呆には何を言っても意味が無いな”

 どうぞ殺してくれ、と思った。殴るなり蹴るなり好きにしてくれ、私は所詮兄の玩具なのだろう。なんて小学生ながらに考えていた。小学生の頃は実際に殴られたりも蹴られたりもしたし、私は未だに長兄が怖い。長兄に背を見せるのも怖いし長兄と同じ空間に居るのも怖いし泣きそうになる。

 次男はまだ、私の中で好ましい方だった。必要以上に近付いて来ないし怖い事もして来ないし言って来ない。私がしつこく次男にかまちょをすると首を絞められたりもするけれど。そんな光景を見て、母親が”やめてね、まだ使うんだから”と言うのがうちの恒例だった。

 長兄だけでなく、私は母親にとっても物らしい。父親や長兄が機嫌が悪かったりすると、次男はとばっちりを受けないように私に注意を促してくれた。

 父親は私の中で、そんなに存在していないものだった。家に居るには居る、だけれど全然顔を合わせたり会話をする事が無かった。たまに家に居る時に機嫌が悪いと、周りに当たり散らす事がある。私はその怒鳴り声が嫌いで、部屋で布団に包まり泣きながら耳を塞いでいた。私は父母と部屋が同室であり、一人部屋がない。

 何時だったか、夜中に目を覚ました時父親が母親に分厚い本を投げつけているのを見てから私は父が余計に恐ろしくなった。家に居場所が無かった。何処にも無かった。

 一家団欒に、とても憧れていた。皆で食卓を囲んだりテレビを見て談笑したりする空間がとてもとても羨ましかった。


 母親はよく私を縛った。中学生の頃は行動範囲は校区内まで。門限は陽が落ちるまで。連絡が少しでも遅れると電話を連続でかけてきたり、LINEでスタ爆をされた。友達の家に泊まりにも行けず、家に友達もあまり呼べず。休日に〇〇と〇〇に行く、等と言えば”別に行かなくて良くない?”と交友関係も把握しようとするしあわよくば制限して来ようとした。“女の子だから”、”危ないから”と母親は口癖のように言ったが、きっと違う。私に何かがあると責任者である母親が追及されるし、私の事を支配下に置きたかっただけだ。

 息が苦しかった。家も、学校も、何処も何もかもしんどかった。


 高校に入学する前に、興味本位でリストカットを始めた。少し錆びた細いカッターで右手首に一筋入れた。少し、スっとする気がした。それから私は、自傷を繰り返しするようになった。手首は半袖になると周りにバレてしまうから、二の腕をカッターで切るようになった。細いカッターだと折れてしまいそうで、太いカッターを文房具屋さんで買った。

 今まで嫌な事があると、私は物に当たっていた。ゴミ箱を蹴ったり物を投げたり自分の脚や腕を殴ったり髪の毛をちぎったり。その衝動を全て、カッターに託して私は腕を切った。その自傷行為は21歳になった今もまだ、辞められていない。血を見ると安心するし、自分を傷付ける事で楽になった気持ちになるのだ。その傷でまた、私は汚いし醜い、と感じてしまう悪循環に陥る事もあるのだけれど。


 高校を卒業し、私は介護福祉士として就職した。進学しなかったのは、お金を貯めて早く家を出たかったからだ。だけど介護も1年少しで辞めてしまった。人間誰しも、イラッとしてしまう時がある。それは介護福祉士も同じだ。だけどその時に、私は思わず利用者さんへ暴力を振るいそうになってしまった。ギリギリで留まったが、これはいけないと思った私は辞める選択をした。人を殴ってしまっては、軽蔑している長兄と一緒だ。

 長兄や母親、あの家の者と同じ血が流れていると考えるだけでも吐きそうになるのに、同じ事をしてしまってはダメだ、私はあちら側へ行ってはいけない。イラッとして手が出そうになった時、悔しかったし苦しかったし怖かったし自分自身に対して怒りを感じた。長兄と同じ道を進みたくなかった。あんな人間と一緒になりたくなかった。絶対に嫌だった、だから手前で辞める事にした。


 それから別の仕事を始めた。所謂、水商売である。介護を辞めた時、私には何も無い事に気が付いたのだ。何も目標が無いしやりたい事も無い。何なら、私はずっとずっと死にたかった。だけど今死んだとして、何も残せないのも嫌だった。だから興味本位で、その道に進んだ。

 そんな折り、祖父が死んだ。それから、家で祖母虐めが始まった。元々祖母に当たりが強かったが、それが更に顕著に現れてきた。長兄も父も母も、祖母に聞こえるように悪口を言い、同調し、意地悪く当たる。見ていて吐きそうになった。母と祖母に至っては嫁姑だけど、長兄や父に至っては血が繋がっている。この人達には血も涙も何も無いのだなあと、感じた。そしてきっと祖母が死んだら、葬式でわざとらしく泣くんだろう。一周回って怖くも感じた。私にも悪口の同意を求めてくる母親が気持ち悪かった。一刻も早く私は家を出たかった。頭が狂いそうだった。


 そして今年に入り、私は一人暮らしの準備を始めた。物件を紹介して貰いいよいよ引っ越す、という時に父と母に反対された。このまま父と母の言いなりになっていたら、私は狂ってしまう。そう思い私は夜逃げ同然で荷物を纏めて友達に手伝って貰い新居に逃げ込んだ。1、2週間は連絡がひっきりなしに来た。“何処にいるの”、”いつ帰るの”、何十件も。娘である私への執着が本当に怖かった。少しだけ経ってから、私は話をしに実家に帰った。結果、なんとか一人暮らしを勝ち取った。

 これで私は、「呪縛」から解放されたと思った。思っていた。全然解放なんかされていなかった。何も無くても、ふと昔の事を思い出し泣いてしまったりするし、しんどくて苦しくて腕を切ってしまう。親からの何気無い連絡でも頭がおかしくなるくらい息がし辛くなる時もある。ふとした時の感情の波で、兄や母親の口調や仕草と同じ事をしている時、恐ろしくなる。それでいてあの家から離れたいとあれだけ思っていたのに、いざ離れると心配になってしまう。

 母親は、父親は、兄達は、祖母は、犬は元気?あれだけ縁を切りたかったのに、未だに連絡を絶つ事が出来ない。でも実家に帰ったら帰ったで苦しくしんどく辛くなるのだ。何なら自分から苦しみに行ってるのかも知れない。いつかこの「呪縛」から解放される時が来るのだろうか。もしくは、上手に付き合っていける時が来るのだろうか。きっと暫くは、無理だと思う。私は未だに人の顔色を窺ってしまうし、人のご機嫌取りをしてしまうし、実家の事を気にかけてしまうし、人前では取り繕い情緒不安定なままだ。

 でもきっと、それでも良い。私は今、こんな私の近くに居てくれる人達の為に頑張りたい。こんな私を受け入れてくれている人達が居る限り、私は生きなければならないし恩返しをしたい。

 死にたいし、生きたい。

感想1

経験談を投稿いただき、ありがとうございます。文章の最後のほうに「でもきっと、それでも良い」とありました。それでいい、そう肯定することが前に進むエネルギーになるのだろうと思います。肯定することは難しいことだと思うのですが、そういった言葉があったので力強さも感じました。

お話にあった家庭環境で生活していくのは、常にさみしさと恐怖があったのかなと推測します。そういった中では本当に安心して過ごすことなどできないなと思いました。特に、母や長兄に物として扱われていると感じるのは耐えられないほどつらいのではないかと感じます。今、一人暮らしをされているということで、辛い環境から離れられたのは良かったのではないかなと思います。また、離れると心配になってしまうとありましたが、これまで一緒に過ごしてきた分を考えると、それも当然なのかな、という気がします。なので、個人的には心配することが変なことではないと思います。そして、連絡を絶ったほうが楽なのに、それをするのもつらい、というのが私自身にも覚えがあるので読んでいてとてもつらくなりました……。環境変化に加えて、時間の経過も解放されていくのに必要なのかなと感じました。

感想2

経験談をありがとうございます。私は、書かれている一つ一つの場面の情景が浮かぶような文章だと思いました。そして、あなたが実家にいた時に、明るく振る舞い顔色を窺いながら過ごしたであろう緊張や恐怖、期待や落胆の繰り返し、祖母を攻撃する家族への嫌悪感など沢山の我慢を積み重ねてきた姿を想像し、きっとリスカで自分を保ってきたのだろうなと思いました。

子どもの頃からの支配と抑圧、生き残る術として身についた対人関係のクセ、内面で揺れ動く家族への気持ちなど、あなたの表現する通り【呪縛】のように、今もあなたを悩ませ続けていることが伝わってきました。

同時に、現状の自分の状態を「でもきっと、それでも良い。」と受け入れているのかなともとれる表現をしているので、家を出てから今現在あなたが築いている、人との関係や経験に肯定的な感覚ももっているのではないかなと感じました。

なかなか人には見えにくい生きづらさだと思うので、もしも周りに自分の辛さを言える人がいない場合には、どこか表現できる安全な場をもつことも呪縛から解放したり、上手に付き合っていくことに役立たないかななんて考えました。

この死にトリもその一つとして活用して頂けたらと思います。