朝が来る前に

福島県・19歳・女性


私の中学生時代は不登校で昼夜逆転の生活を送っていました。
毎日のように先生が朝に家庭訪問に来て無理やり車で学校まで私を連れて行き、何か違う事をするたびに先生方の前で怒鳴られ、学校に行けない日は家で怒鳴られ、ハグをしようと提案をされました。中学生ながらに思いました。

「この人は私の為に怒鳴ってるんではなくて自分が正しいと思って怒鳴ってるんだな」

そう思うともう人間関係を築く事がしんどくてしんどくて、その後その教師とは沢山ありましたがなんとか卒業をしました。この時私は鬱病になりかけていました。

家族も不登校にあまり理解はなくて酔った祖父には学校にも行けないクソガキと罵られたこともありました。
酔った祖父は怖くて暴言は当たり前で怒鳴り散らして騒ぐ人間でした。でも朝になると記憶がないから責めることもできません。大好きな祖母がそんな祖父の介抱をしているのにそばに行くこともできず布団で蹲ることしかできませんでした。

夕方になると毎日家族の誰かに怒られるのではないかと恐怖で生きた心地がしませんでした。それでも祖父含め家族を嫌いにはなれませんでした。クソガキと言われても、学校に行かない事を責められても事実ですから仕方のない事でした。毎日暗い部屋の隅で絶え間なく流れる涙をどうすることもできませんでした。泣く事さえ許されない事だと思いました。

その後なんとか中学を卒業し、高卒の資格を取ろうと夜間の学校に入学しましたがその結果10月でやめました。授業なんてまともにできない状態で、唯一得意だった絵を描く為に美術部に入れば男子に馬鹿にされて、家に持ち帰った作品は数日後祖父によってゴミ箱に入れられていました。
人とコミュニケーションが取れないせいでバイトを推奨しているのにクラスでバイトしてないのは私だけ。気づくと食事が取れなくなり授業中に過呼吸になる程でした。この時は人の前で食事ができなくなり口元を晒す事が出来なくなっていました。もう誰も信じられませんでした。

1ヶ月ほど通院している病院の閉鎖病棟に入院しましたがなんの病名なのかわからないと言われました。祖父母や姉、が見舞いに来てくれ、母は毎日仕事の後に遠い病院に会いに来てくれて嬉しいという気持ちよりもやはり情けないという気持ちになりました。
そんな中、父は会いに来ることなく受付に荷物を置いて帰ったことを知りました。

父は精神病に理解のない人で同性愛者も嫌いな悪く言うと古い考えの人間です。きっと閉鎖病棟という父が嫌いな精神病を持った患者さんがいる場所に娘がいることが耐えられなかったんだと思います。
父は幼い頃嘔吐してしまった私を一瞥し、汚いと言って離れていき母に処理を任せていたことを今でも覚えています。

それから父には不信感があります。父は私が薬を飲んで苦しんでいても気のせいと言い、薬で病気が治ると偶々だというのです。短期で自分の思い通りにいかないと怒り出して周囲に当たり出すのです。


退院後、同級生とは一年遅れて通信高校に入学しました。
この頃には中学生時代にネットで仲良くなった友達とコミュニケーションを取れるようになり、きっと自分は顔を見なければそれなりに話せるんだなと理解できました。

なんとかバイトを始めるもののどうしても続かずどれも3ヶ月程度でやめてしまいました。
一つ目は雇用条件が全く違い、体調を崩し
二つ目はパートの方があなたのこと嫌いみたいだからやめてほしいと言われました。
三つ目は病気があることを事前に言ったもののやる気が足りないと言われてしまい、この環境はまずいと思いやめました。

この頃は家に姉の彼氏が毎日来ていて私はソファで睡眠をとっていました。
隣の部屋で自分の姉が男と布団で寝ているという事実に耐えられませんでした。毎日家族と姉が喧嘩して私がそれを宥めて、愚痴を聞いて。辛い日々でしたが中学生時代に迷惑をかけて高校も辞めてしまったのだから文句も言えませんでした。
何より誰にも相談できず夜も眠れない母親に自分が重なりました。仕事があるのに夜に眠れないのは辛いのは私も知っていますし、母親は父の不機嫌に付き合って自分のこともできない状況下でした。私が愚痴を聞かなければ母が死んでしまうと思いました。

それからなんとか平穏が訪れ私は通っていた通信高校に事務として就職をしました。ですがそれさえももうやめようと思っています。習っていた先生が私の上司になるのですがその人の性格に耐えられませんでした。
生理休暇をいつ取るか毎月聞かれ、生理痛がひどいのはおかしいから調べると言われ、違う人ならイライラしてるとからかわれ、私と先生がお付き合いしているような間柄だと思われると困ると言われ、挙句物忘れが激しい私に今度そういうことしたらペンで頭を叩いていいか、と。
自分より10歳も年上で男の人なのが余計に怖くてヘラヘラ笑ってやめてくださいとしか言えませんでした。

生理休暇はまだ分かります、私は生理痛がひどく、いつもお休みしてしまうので聞かれても仕方がないです。その次も、私が悪いから仕方がないです。
ですが私は頭をペンで叩いてもいいような人間に見えていたということでしょうか?聞けば叩かせるような人間だと思われていたのでしょうか。
頑張って精一杯やってきました。先生にも真面目な人間だと。お人好しで優しい、害がなさそうな人間だと言われました。そう見えるように振る舞いました。
化粧をしているような女の子や彼氏がいる女の子が嫌いだと言っていたのを知っていたので不快な思いをさせたくありませんでした。
それなのにお付き合いしていると他生徒に思われたら困るなどと。どの口が言うのかと思いました。気持ち悪くて気持ち悪くて早く逃げ出したいと思いました。

真面目に学校生活を送り、仕事を行なっていました。確かに休む日は多かったですがそれを承知で雇うと言われました。

今以上に待遇の良い仕事はありません。週三日4時間〜6時間程度です。
しかしもう出勤するほどのメンタルがありません。辞めさせてくださいとお話はしましたが辞めないで欲しい、1人で仕事したいなら1人になるようにすると言われました。何が悪かったか教えてほしい、仕事を共にしていて楽しかったと。

私は楽しい時なんてありませんでした。何が悪かったか。本当に分からないのかと呆れました。いつ怒られるか怖くてずっと関係ない話をすることしかできないし、本当はこう思ってるんじゃないか、今のは嘘じゃないか。今までのバイトもそうでした。全部に疑いをかけてしまってもう外も歩くのが怖いです。

それからはお仕事をお休みさせていただいてますが、何をしても仕事もしてないのにどうしてこんなことしてるんだろう、家族は仕事してるのにこんなに早くに寝てしまって申し訳ないという気持ちが強くなり、誰かにずっと監視されているようなそんな気さえしてきます。私の間違いを背後から怒鳴り散らせるようにきっと準備をしているのだと。
誰かの目を見ると私を酷く責めているようで見る事ができません。

両親に泣いて相談しました。誰も何も信じられないと。仕事を辞めたいんだと。
父から帰ってきた言葉は嫌ならやめれば良いじゃん。
母親は私の言葉にショックを受け泣いていました。


もう、もう良いかなとさえ思います。十分頑張ったのではないかと。
朝が来るたび何かの拍子で死なないかなと思います。このまま目が覚めず死なないかなと。
友人もいない、まともに仕事もできない、やりたいこともない。
中学に行けずに高校もやめやっと就いた仕事も辛い。迷惑をかけた母親を泣かせ父親を苛立たせることしかできない。

些細な事で心が折れて考え込んで不安になる弱い自分にいつも吐き気がします。自分は甘えているのに他人にそれを許せない自分が卑しい人間だと言うのは理解してます。
きっと友人のあの子なら上手くできるだろうとか私はみんなと違うダメな人間なんだと再確認してしまい朝が来るたび誰かに怒られる恐怖に震え、明日のことを考える事さえ辛いならもう死んだほうがマシなのだと思います。


恥の多い生涯とはこういう事なのだと思います。自分で自分の首を絞めて泣いているのですから馬鹿なものだとも思います。
病名があれば病気のせいにできるのにそれさえできない。
家族のことは好きです。文句言われたりするけどみんな人間でイライラするのは当たり前だし大人だから我慢しろとは思いません。私も20近くで毎日泣いています。
普段は優しいし一緒に笑い合うこともあります。好きだからこそ私がウジウジして苛立たせてしまうのが嫌でした。

ただ、死ぬなら家族に迷惑かけず悲しませず死にたいです。情けない人間に育ってしまって申し訳ないという気持ちでいっぱいです。

家族には滅多な事で怒鳴る人はいません。
きっと他の人も怒鳴っているとか怒っているというわけではないとは思うのですが、私には声を荒げていたり、注意を受けたり、不機嫌な時点でもう不安になって怒鳴られると思ってしまうのだと思います。
明確に理由をつけるとすれば中学の頃に怒鳴られ続けていたことや自分が何もできない人間で、何もできないからこそ怒鳴られるのだと言うことだと思います。

この間いつも励まして慰めてくれた祖母に初めて死にたいと言いました。
馬鹿なこと言ってんじゃないと怒られました。立派な人生っていうのはなくてお前が生きてきたってだけで立派だと。見本はないんだと言いました。
それに酷く安心したんです。私まだ生きてても、私のこと好きでいてくれる人がいるんだと。
祖母は毎日のように泣いて同じような話をする私のそばにいつもいてくれて私のほしい言葉をくれました。祖母の話だけは疑わずに聞くことができました。

日本に安楽死制度がなくてよかった。きっと死にたいと言う前に死んでいたと思うから。

それでも結局朝が来ると殺してくれと思ってしまうので、どうしたってダメな人間なのでしょう。

感想1

経験談読ませて頂きました。日々、誰かから怒られないか怒鳴られないかと恐怖や緊張の中過ごしていることが伝わってきました。書かれてはいませんが、中学生以前の幼い頃から、家庭内で酔った祖父などの怖さを経験してきたのではないでしょうか。

怒られたり怒鳴られたりした経験から人の機嫌に敏感になっているのか、聴覚が優れているのか、理由はわかりませんが、その恐怖や緊張の中で過ごすのは、相当疲弊もすることではないかなと想像しました。

また、私は、この経験談から、他者とのコミュニケーションについて考えました。

それは、あなたの職場の上司とのやりとりから、あなたが他者の言葉の意図を必死に考えている姿を想像したからだと思います。それだけ人間関係があなたにとって死活問題になっていることを感じました。そして、あなたが仕事を辞めたいと思った理由が、上司に何も伝わっていなかった点が気になりました。あなた自身「振舞いました」と書いているので、上司からはあなたも楽しそうにしているように見えてしまっていたのかなと思いました。上司の発言にはたしかに失礼であったり、異性や他者への配慮が足りない発言を感じました。

私自身もどこかで相手にとって不用意な発言をしている可能性もあり、自分と関わっている人が嫌だと感じた時に、真剣に嫌だと言える関係性を普段から作っておきたいと思いました。

私にとってあなたの経験談は、自分自身の他者とのコミュニケーションを見直す機会となりました。ありがとうございます。

感想2

経験談を送ってくださりありがとうございます。学校でも家庭でも仕事場でも、あなたのことを理解してくれる人があまりいない環境で気持ちや思いを押し殺しながらの生活は相当しんどかっただろうなと想像しました。中学の頃の経験(もしかしたらそれ以前も含め)から“自分”よりも“他者”を優先にと考えてしまうことが多いのではないでしょうか。

あなたが相手を不快に思わせたくなくて「振舞ってしまう」こともきっと上司との間柄だけではなく他の場面でもあるのかなと少し想像していました。あなたが経験してきたこと(家族からあなたへの関わり)などを考えると、そういう行動をとってしまうのも自然なことといいますか、ある種の自己防衛手段なのだとも感じます。あなたにとってどういう環境であれば振舞わないであなたらしくいられると感じるか気になりました。