将来に絶望して過ごす日々

京都府/10代/女性


今思えば、私は小さい頃から普通ではなかった。

小中学生では人間関係がうまくいかず毎日苦しかった。

高校生になり、毎日を楽しく生きたいと思ったので、好かれるような性格を演じるようになった。すると、友達がたくさんできて、とても楽しい1年間を過ごした。この1年間は私の人生において初めての「学校」が全く苦でなかった時間である。しかし、2年生になった頃から生まれつきの難聴が悪化した。声が聞き取れなくて上手く会話が出来ずに1人で泣くことが増えた。所属していた吹奏楽部でも音が取れなかったりして迷惑をかけた。友人や先輩後輩はみんな良い人で大好きだったので、迷惑をかけるのが辛かった。

当時1番仲が良くて、難聴のことも相談していた友人から「今、本当にボーッとして聞いてなかったね」と言われた時は胸が張り裂けそうだった。聞こえない辛さを分かってほしかったが、何も言う気が起きなかった。

そして大学に進学し、キッチンのバイトを始めた。しかし難聴のせいで上手く聞き取れず迷惑をかけてしまった。この頃気付いたのだが、私は、「聞き取れず迷惑をかけてしまう」と意識すると余計に何も聞きとれず、表情も不安気になってしまう。そこで我慢して続ければ良かったのかもしれないが、毎晩泣いて悩んで眠れず結局そのバイトはすぐに辞めた。今はほとんど人と接しない静かなバーで働いているが、友達のように接客を積極的にやる場所では働くことができない。そして難聴とは別に、私自身の能力としても、仕事があまりできず、怒られやすいので、将来に不安しかない。

話は変わるが、私の親はとても愛情深く大切に私を育ててくれた。しかし、何気なく「飲食店はやっときなさいよ」「〇〇ちゃんは毎日飲食店でバイトしてるね」と言われるだけでも精神的に辛い。しかしどうしても、家族の前では表面上は明るく、何も悩みなどないように振る舞ってしまう。

こうして私の人生を書いてみると、自己肯定感の下がる出来事の連続に加え、自分自身の働く上での能力の低さや、難聴など生きる上での試練に溢れていると感じる。

将来には不安しかなく死にたいとよく思う。私よりもっと辛くても頑張っている人もいると言われればそれまでだが、感じる辛さや心の許容量は人それぞれで私はそろそろ限界のように感じる。

なぜ、テキパキ動けて周りの役に立てる人並みの子になれないのだろう。せめて耳だけはよく生まれたかった。

結論をいうと、将来、つまり働くことに対して不安感しかない。甘えだと言われるかもしれないが、自分では人生において我慢できる辛さをとっくに超えている。大学生になり、バイトで役に立てない日々が続いたことでその辛さが更に加速した。

誰かに気持ちを話したいが、知っている人には話したくないので書かせていただきました。

感想1

経験談を投稿してくれて、ありがとうございます。人間関係のうまくいかなさを何とかするために、自分を演じるようになったのですね。想像でしかありませんが、それはかなりストレスのたまることだったのではないでしょうか。自分じゃないだれかを演じ、自分の本当の気持ちを隠すのは、並大抵のことではないように思います。

また、文章中にもありましたが、自分を演じるのがベースになると、人に悩みや本音を話すのも難しくなることがあります。明るい自分でふるまってうまくいっていると、ネガティブな面を人に見せるのに抵抗が生まれてもおかしくありません。そのような、自分を演じることによる影響が、あなたを苦しめているのかなと思いました。自分を演じるようになったのには、そうせざるを得ない状況があったはずです。あなたのせいではないはずなのに、その影響を受けなけなければならないのは、なんだか理不尽だと感じます。

あくまで私の感覚ですが、親さんの言葉からはトゲを感じました。「~した方が良い」とのメッセージは、裏を返すと「~しないとダメ」にも受け取れます。もしかしたら、あなたも裏メッセージを感じてつらくなっているのではないでしょうか。また個人的な考えですが、飲食店のバイトをしなくても、これからの人生で困ることはないと思います。あなたがこれからの人生で飲食店を極めたいという方なら別かもしれませんが、飲食店も様々ですし、飲食店の他にも働く道はたくさんあります。それに、だれもがテキパキしなくてはならないわけでもないと思います。周囲からの「~でなくてはならない」というメッセージを強く感じていそうだなと感じたので、もしよかったら、それについて思うところがあれば聞かせていただきたいです。

感想2

経験談をお寄せいただき、ありがとうございます。

ふと感じたのは、「飲食店のアルバイトをそつなく、すんなりこなせる人ってどのくらいいるのだろう?」ということです。
というのも、飲食店のアルバイトって、意外と求められることが多そうです。
たとえば、マニュアルを覚えて、決められた時間に行って、ずっと立って機敏に動いて、大きな声を出して、言われたことをすぐ理解して……。
これはイメージですが、考えてみると、けっこうむずかしい仕事のように感じられます。
「当たり前にできる仕事」ではないのかもしれません。

仕事にもいろいろある思います。
座り仕事、立ち仕事、動く仕事。機械を使う仕事、肉体を使う仕事、考える仕事、話す仕事、見ている仕事……。

そして、世の中には、とてもいろいろな人がいそうです。
ずっと座っている仕事が楽な人もいれば、体を動かせなくてつらいと思う人もいます。考える仕事が楽しい人もいれば、マニュアルに沿って仕事をしたほうが達成感を得られるという人もいるでしょう。
手先が器用な人、不器用な人。話しかけられたときにすぐに言葉が出てくる人、出てこない人。にぎやかな環境が好きな人、静かな環境の方が好きな人、マニュアルを覚えるのが得意な人、苦手な人。マニュアルがないところで考えるのが得意な人、苦手な人……。

そのどこを「普通」と考えるかで、「自分はどのくらいできているか?」という感覚も変わってくる気がしますし、もっと言うと、人ってあまりにも多様なので「普通」なんていうものはないんじゃないかとも思います。

あなたのつらさや、悲しさは、 「普通じゃないから」ではなくて、あなたが人のことを考えられる感受性を持っている人だからなのではないでしょうか。

文章を読ませていただいたことをきっかけにして、そんなふうに、「普通ってなんだろう」ということを考えました。
そして、「普通かどうか」なんて意識しなくても生きやすい社会になればいいなと思いました。
それを今後の死にトリの活動のなかでも、模索していきたいなと思います。

感想を読んでのお返事

確かに、〜でなくてはいけないということを強く感じているなあと思いました。また、難聴だし、自分も飲食には向いてないということを親に伝えてみたのですがすごく軽い感じで受け取られました。

そして「普通」ってなんだろうってすごく思います。自分は精一杯頑張ってるし甘えてるわけでもないと思っていますが、出来ないことが多くて日々心が削られています。特に、難聴はしょうがないことなのですが、聞き返すのがどうしても苦痛です。

演じている、と書きましたがもしかしたらそれが今の自分の真の性格になりつつあるかもしれません。性格を変えてから友達も増えて毎日が楽しくなりました。今の性格は変えないまま辛いことは辛いと言えるようになりたいと思います。

メッセージに書いていただいた通り、私は感受性が強いと思います。そのため、自分の弱点が現れると、行動が鈍くなったり心が病んだりするんだと思います。しかし、大切な家族や友達もいるので、希望を持ってこれから大学卒業までの間で自分に向いていることが見つかればいいなと思いました。