生きていても何も楽しくない

東京・30代・男


何をやっても無意味に感じ、何の行動にも移すことが出来ない。いつか死ぬのは分かっているし、お金を貯めていても年をとれば体力も衰えるためやりたいことにお金を使う気力もなくなる。「自分の老後生かす為」という目的で今働いてお金を貯めることにも無意味さを感じる。なぜそこまでして生に執着しなくてはならないのか。何も出来なくなる老後など何も楽しくない。何も出来ず死を待つだけの無意味な存在になる。そんなことになるのは嫌でしょうがない。
老後の無意味な生き方に絶望感を感じることもさることながら、今を生きることにも無意味さを感じる。何かをしている時の楽しさはその時の一瞬で、終わってしまえばとてつもない虚無感、喪失感がやってくる。
働くことも同じ。好きなことで生きていく、楽しいことを仕事にする、やりたいことだけやれ、巷では「働く」ということにこういった意味付けをつけてきている。まるで楽しむことを強要されているかのような息苦しさを感じる。そして、自分には夢中になれることもないし、探す気力もない。提案されても受け入れる気力もない。また、仕事なんて楽しくないという価値観もある。所詮は働くなんて金を稼ぐための活動なのだから。では、その金は何のために稼ぐのか?全く分からない。


今を生きるため?どうせいつか死ぬのに?
今を楽しむため?どうせいつか死ぬのに?
老後安心して生きるため?どうせいつか死ぬのに?

死んだら何も残りはしないし、生きた軌跡すら何の価値もない。それこそ後世に語り継がれる程の偉業を成し遂げなければ。本当に何も楽しさ、夢中になれるものが存在しない。諸行無常、全てのモノゴトには必ず終わりがくることを分かっていると今やることに何も意味を感じない。

今心に渦巻いている感情は「いかにして早く、楽に死ねるか」ということだけだ。出来ることなら日本にも安楽死を認める法律、仕組みが早く導入されてほしい。今も未来も何の期待もしていないから、早くこの世から消えてしまいたい。しかし、こんなことは人には言えるわけがないのだ。「早く死にたい」などと誰かに直接言うことは「生きたい。助けてくれ」と同義であることを分かっているからである。何故なら、そう言ってしまえば、誰かは必ず心配してくれるし構ってくれるし支援もしてくれるだろう。親がいるなら、家族がいるなら、愛してくれる人がいるなら、必死で止めるだろう。あらゆる手を尽くすだろう。それは、「ラクして生きる」「人に依存して生きる」「他人の人生の時間、資源を吸い尽くして生きる」という寄生虫のごとき生き方に他ならない。誰かの人生に寄生してまで自分自身は生きたいと思わない。だから死にたいと思っても親しい人、知り合いには絶対に言いたくはない。死ぬときは黙って死ぬ。遺書も書かず、誰にも相談もせず。

しかし、今自分は死ぬ度胸すらない。ビルから飛び降りることも、線路に飛び降りることも、首を吊ることも、自ら刃物で致命傷を負うことも。どうやったらラクに簡単に誰にも迷惑かけずに死ぬことが出来るかばかり考えている。睡眠不足になるほどの過労レベルで無茶苦茶に働いて過労死でもするか?そんなことが出来れば良いなとも思っている。しかし、自死するために楽しくもない、やりたくもない仕事をするなんて何とバカバカしいことかとすら思える。故に死ぬためにガムシャラに働くということも出来ない。

自分が無価値、無意味な存在なことは十分に理解できており、生きていてもしょうがないし、楽しいことが待っているわけがないことも分かっているので早く消えてしまいたい。そんな風に思いながら毎日を生きているのが苦しくてならない。

考え方を変えたら?色々チャレンジしてみたら?何でも楽しいと思えるマインドに切り替えたら?生活環境、仕事環境を変えてみたら?利他の精神で生きてみたら?などというありきたりなアドバイスもうんざりである。多くの自己啓発書、自己啓発セミナー、ネットの人生相談、自殺相談、鬱相談、自己啓発動画、あらゆるものを見てきたが、今にも未来にも何も期待していない絶望しか抱いていない人間にとっては全く心に響かなかった。

人も信用できない。全ての人間は打算的に自分と付き合っているのが見え透いている。メリットを感じなければ切り捨てる。利用するだけ利用して捨てる。そんな仕打ちもたくさん経験した。多くの人間に裏切られ、騙されもした。

生きることが心底楽しくない。今も楽しくなければ、未来が楽しくなる展望も見えない。誰も信用できない。どうせ死ぬと分かっている人生、何を頑張ろうが、どんなコトを為そうが、偉業を残そうが、近しい人を幸せにしようが、ビジネスを成功させようが、全て無意味・無価値。こんな人生に何の意味がある?誰にも打ち明けられず、ひたすら苦しみ続ける人生。もう嫌だ。早く楽にさせてほしい。

感想1

意味について考えている過程や、生きることについて感じていることを、教えてくださってありがとうございます。
寄せていただいた文章を読んで、私もしばらく「生きる意味」について考えてみました。

生きる意味について、いろいろなことを言う人がいます。
そういう言葉を聞くたびに、「なにが本当なんだろう?」と考えてしまいます。
最近読んだ本では、「生きる意味があればつらいことにも耐えられるけれど、人間は無意味としか思えないつらさには耐えられないのだ」というようなことが書かれていました。
有名なこども向けアニメの主題歌でも、「生きる意味がわからないまま終わるのは嫌だ」というような歌詞があります。

でも、生きる意味はそんなにかんたんに見つからない気がします。
見つけるというのも「なにかを自分の意志で意味にする」ことなのであって、もともとは意味なんてないのかもしれないと思います。

そんなことをしばらく考えてみて、そもそも、別に生きる意味がなくてもいいのかもしれないとも思ったりしました。
意味なんてないのに、呼吸をして、ご飯を食べて、活動してしまう。無意味なのに、そうやって私は生きている……この状態が不思議で、奇妙で、なんだかおもしろいのかもしれない。
まるで他人ごとみたいに、そう思いました。

生きる意味がなくても、絶望していてもべつにいいのではないでしょうか。
でも、そのなかで一瞬でも、心地よい、楽しい瞬間があるといいなと思いました。

感想2

経験談を投稿してくれて、ありがとうございます。推測でしかありませんが、1日1日をなんとか生き延びるような生き方をされているのかなと思いました。あなたにとっては1日、あるいは一瞬が苦しく、未来がポジティブだとは到底考えられない状況なのではないでしょうか。もしそうだとしたら、それだけ人生を空虚だと感じているのも、納得がいく気がします。毎日が苦しくて楽しくなければ、生きている意味がわからなくなってもおかしくありません。

あらためて考えてみれば、ハッピーなのかわからない未来の人生に希望を持てるのは、どうしてなのでしょうか。私の周りの人たちの様子をみるに、根拠のない自信みたいなもので希望を持っているような気がします。そう考えれば、生きる意味に悩む人の方がまっとうな人間に思えます。そのため、安楽死制度ができると喜ぶ人たちがいる一方で、まっとうな人間がこの世から少なくなるのではと個人的には危惧しています。

私も(?)世間が当然とする生き方に違和感があります。自分が心から納得したわけではないのに、生まれたときからだれかが決めた制度の中で生きることを強いられている時点で不服です。周囲の人が感じているのと同じような価値を感じられないと、奇異の目で見られるのはつらいです。特に労働は、人間を商品として売買しているようで気持ちが悪いと感じます。

経験談を読んでいて自分もどうして生きているんだろうと考えが止まらなくなったので、話せればよかったのにと思いました。もしかするとあなたの周りにも、そういった話をしたい人がいるかもしれません。人は信じられないとのことですが、気が向いたら話してみるのも手段の一つだと思います。それでまた傷ついてしまったらと考えると強くはおすすめできませんが、私は話したいなと思いました。