いきづらさとは

20代/女

 私は、加害者でした。クラスでなんでかわからない子を、理由もわからずに省いたり、嫌だなと思った子をグループから追い出したりしたことがあります。そんなことをするような人間ですから、幸せになる資格なんて私にはあってはいけないと思います。だから、わざと加害者に向けての罵詈雑言がある場所に行くこともあります。自分が生きていると害があるんだと認識していないと、また何かしてしまうのではと不安になるのです。そして、もういないほうが良いんだと思い直すのです。

そんな反面、私は今恵まれた環境にいます。理解者がいて友人がいて。なんて自分が卑しくてあさましくて最低なんだと考えています。本当は責任感も優しさもない人間が、いっちょ前にカウンセリングなんて受けるのです。滑稽でたまりません。頭の中で、誰かがいつも私に最低だといったり笑ったりします。お前はそこにいるべきじゃないと言われます。なのに、生きやすい場所に縋ってしまう自分が、醜くて本当に価値がないと思います。

 これを生きづらさと形容することが、甘えなのだろうと思います。そんなこと、言う資格がないのですから。人より苦しくて当然なのです。これまで漠然と死にたいと思うことが有りましたが、最近はネガティブな波に入ると段々と具体的になってきました。死ぬことが望まれているのではと思うのです。加害者は死ねって言われてますよね。だから私も死んだほうが良いのかもしれません。

仕事もろくに出来ずに辞めて、過去に意地悪に振る舞ったくせに自分がされたら簡単に壊れるなんてもうたまらなく面白いですよね。もうそのまま粉々になってこの世から消えることが良いことなんです。そんなこと思っててもリストカットの一つもできない自分が可愛いだけの愚図なんだと、突きつけられます。

 加害者の”私”が自分の目の前にいる前をむこうとする私を切り刻むのです。私が加害者だったことは決してなくなりません。ただそれは、加害者だったころと何も変わらないのだと思います。ただ対象が外にいる人から最も簡単に傷つけることができて、簡単にはいなくならない自分に変わっただけで、根本的に何も解決していないのです。自分は自分から逃げられない。

 生と死を考える時、生きたいか死にたいか自分に聞くのですが、特に生きたいと思わないし、死ぬのも面倒だと言われます。私はとても嬉しいことがあった時、「生きててよかった」と思えるのですが「生きるのが楽しい」とは思えないのです。「生きててよかった」の後には「もう死んでもいいや」が続きます。死んだら別になにも感じませんから、趣味も恩師も家族も何もかも、置いていった先に永遠と続く苦しみがあるのなら、そのほうが、中途半端に生きてきた私にあってるのかもしれません。誰かが、私にそのほうが良いと頭の中で言うのです。いきづらいのは誰なんでしょうか、いきづらいってなんなのでしょう。

感想1

経験談を送ってくれてありがとうございます。自分が加害者であったことを、日常的に責めながら生活されているのだろうかと推察しました。責めたり責められたりすることは、あなたに生きづらさを感じさせる一方で、責められることへの安心感のようなものをかんじさせているのかなと漠然と思いました。うまく説明できないかもしれませんが、自分は責められるべきと思っていると、責められたときに、その方が自分にはふさわしいと感じそうです。

個人的には、加害者は被害者的な側面もあるのではないかと考えています。なぜなら、なんのストレスもなく生活をしている人がだれかに危害を加えるとは思えないからです。つまり、加害者はなんらかのストレスや環境の要因があって加害者になると考えています。なので、あなたにももしかしたら家庭でのストレス、クラスの雰囲気、人間関係などいろいろあったのではないかなと勝手に推測しています。なにか心当たりがあれば、聞かせてほしいです。

感想2

生きづらいって何なのでしょうね…。私もよく考えているのですが、曖昧な言葉だと思います。

あなたが「根本的に何も解決していないのです」と感じていることは伝わってきました。ずっとあなたを苦しめている「何か」があるのだろうと思いますが、それはどのようなものか、もう少しお話を聞けたら想像できそうな気がします。

クラスメイトをグループから追い出したりしていたのは、かなり前のことなのかな、と思いました。相手に謝る機会もなくなったとしたら、自責の念が大きくなりそうです。自分に価値がないと感じていれば、自分が恵まれた環境にいることが相応しくないような気持ちになっても不思議ではないと思います。

理解者がいる、とも書かれていますが、その方はどういったことを「理解」してくれていると感じているのか気になりました。

あなたは人を傷つけるようなことを二度としたくないと思っていそうです。ご自身も意地悪をされて壊れたと書かれていますが、される側を経験したことによって、過去の自分の行動が相手をどれだけ傷つけていたか想像できるようになったのではないでしょうか。今はとても辛いかもしれませんが、相手の気持ちを想像して人と関わることができるようになるチャンスなのではないか、と私は思います。

「加害者の私」は過去の一面でしかなくて、現在のあなたは「前を向こうとする私」なのだろうと思いました。前を向こうとしているけれど、前を向くのがとても不安な気持ちがありそうです。これからも生きていくには人と関わることを避けられないので、「相手の気持ちを十分想像できないのでは」「また傷つけてしまうのでは」と不安に感じても不思議ではありません。

ところで、死にトリでは掲示板とりコミュが再開しました。リアルで人と関わるのが不安な時も、ネットで気軽に誰かと対話できる場として利用してもらえたらと思います。

返信

家庭環境が悪かったり、金銭的に困ったりは特にしておらず、アニメなど好きなものもあって、恵まれていたと思います。ただ、両親は共働きで、祖父母に育てられました。自営業でしたので、高校生から大学卒業までずっとアルバイトで手伝っておりました。母の愚痴を聞く機会が多かったです。

責められることへの安心感はいつもあったように思います。言われた瞬間は酷く傷つくのですが、時間が経つにつれて、その言葉は、何も出来ない私には相応しいと感じるからです。
自己犠牲的に大切に思う相手には尽くさなければならない、という思いもどこかにあります。そうでなければ繋ぎ止められないと感じるのだと思います。でも、自分ひとりでは何も出来ない、やらない、そこから自己嫌悪がはじまって、その負のスパイラルから抜け出す勇気を持てずに居ます。