誰のせい

埼玉県/20代/女


今起こってる辛いことが何にも無いのに私はもう過去が辛すぎて生きていける気がしない。普通に生活しててもいちいち「私は今間違えたんじゃないか」「あの人を怒らせてしまったかもしれない」と現在と重なってしまった過去を思い出して不安になる。

今のバイト先が決まった時、面接してくれた社員から「前向きだから」という理由で採用したと言われた。そのくらい私は意識して前向きでいるように努力してるのに、本当の私は結局いつも前なんて向けてない。

いつも過去に負けていつも傷つかないように逃げ道探して、ずっと空虚な気持ちで退屈して惰性で生きてる。そういう自分を四六時中責めている(しかも、数日前まではそれを無意識にしていた)。責めるだけでは何も変わらないことを分かってるから、気がついたときに責めるのをやめて具体的な解決策を見つけるようにしてるけど、一瞬は良くても結局どこかでダメになる。自分を騙し騙しどころか、自分を押さえつけて押し殺して生きてる。だけど他人にはそれが悲しいくらい伝わらないみたいだから、私はよく今生きてる自分の人生が誰か別の人の人生であるかのように思ってしまう。


私の体調がどうかとか私の気分がどうかとか、私が何を考えていて何を感じているかを本当にわかってるのは私だけのはずなのに、私はいつも母親から「お前が間違ってる」と言われ続けてきた。それでも子供の頃は「あんたに何がわかるんだ」って反発する元気が私にあったからそうしてたけど、それに対する母親の返答は「お前のことを一番わかってるのはお前じゃなくて私だ」、いつもそうだった。そこにさらに反発でもしようものなら「じゃあ私はお前の身の回りのことを一切やらないから全部何もかも自分でやれ、金も自分で稼いでこの家を出て行って勝手にやれ」と言われていた。

今になって思えば、子本人よりも親の方が子のことをわかってるというのは大いに理解できる。だけどやっぱり、考えはまだわかるにしても感情を否定されたことは私には納得も理解も及ばない。私がまだまだお子様だからなのだろうか。だったら私を「大人だ」と言ったり言っていたりした今の人や過去の人は何なのだろうか。そもそも真に受けてなかったので社交辞令かお世辞かの類だということに対する傷は浅いけど、「やっぱり他人は信用できない」という悲しみからくる傷は深い。他人を信用できない自分を私は責める、母親が私にそうし続けてきたように。

そんな日常があった当時、私は小学生かそれより幼かったので、母親に言われたその言葉を真に受けて家を飛び出して誰か大人に助けを求めていれば悪いのは私じゃなくて母親になるってことを知らなかった。それらの要求を、子供なりに自分の無力さをわかった上での子供なりの「そんなの無理」ではなく、法律的にも「そんなの無理」だってことを当時の無知な私は知らなかった。

だからなんかもう逆らっても却って自分が痛い目遭うだけだと気付いた私は、それでも自分を貫こうとする元気とか意地とか活気とかそういうものがなくなってきて、自分の考えにも感情にも自信を失った。黙って『親の要求をよくのみ機嫌も損ねないようにできるいい子(反抗期がこない私を案ずる母親のために反抗期のふりをしてヤンキーっぽくなろうと努力してた時期もあるから、全然いい子じゃないけど)』でいるように、自分でも気付かないうちにしていた。


正直今だって、こんなこと書きながら自分の考えとか感情とかあらゆることに自信がない。「正しかったのは本当に母親の方で、私は間違っていたのかもしれない。じゃあ今私が感じている苦しみは嘘なのかも」「嘘をついているんだとしたら、私は今苦しそうぶって楽をしていることになる。しかもそのせいで他人に迷惑までかけて、最低じゃないか」「だけどそんなどうしようもないクズだからこそ、電車に飛び込んで血やら内臓やら撒き散らして人様に拾わせるのはもっと最低だから死んではいけない」みたいに思ってる。

だけどこれらは全部過去のことだ。今私の周りには辛いことや苦しいことは何もない。あるのかもしれないけど、あったとしてもそれに対して「辛い」「苦しい」とか感じられるほど、私の心は現在にはない。苦しい過去に私の心はずっとある。

今、身近にいる人たちを信じたいのに信じられない。信じようとすると、自分のことが何にもわからなくなる。相手に合わせているのか自分の意思なのかわからない、楽しいのかもわからない。だけど傍から見てた人に「楽しそうだね」とか言われると「楽しさを感じられない自分はダメな人間なんだ」と自分を責めてしまう。


もう、苦しい。

今の私の苦しさに過去なんて本当は何の関係もなくて、過去のせいにすることで誰かに「可哀想だったね」「辛かったね」と慰められて傷が癒えることを望んでいる今の私の醜い下心のせいなんだと思う。それが満たされない苦しみなんだと思う。そんな下心をもつ自分が気持ち悪くて仕方ないし醜くて仕方ない、こんな私穢らわしいから殺してしまいたい。

結局何が言いたいのかもうよくわからなくなってしまった。文中に無茶苦茶なところも多分いっぱいある。だけどありのままの私が何も考えずに書いた文章だから、読み直したりしたくない。


なんかもう、全部嫌だ。今別の部屋で、私の大嫌いな高飛車で偉そうな父親が、私にとって誰よりも大切な母親を小馬鹿にしている。私が一番辛かった時に、「わかる」とただ言うだけで実際は何にもわかってくれなかった父親。わかっている人の言動と思えないくらい、辛い私をさらに追い込んだ父親。その「わかる」のせいで私がどれだけ必要以上に傷付いたかなんて全く知らない父親。その話を聞いて「お父さんはあなたのことを心配してるんだよ」とかいう無神経なお気楽な言葉を私にかけてきた当時の周囲の人たち。一旦は私もそれを信じてみた。ただそうしたがために、「父親の気持ちを汲み取れない私が悪なんだ」と私は自分を責めてすごく苦しんだ。

今の私は、家族にすごく怒っているっぽい。だけど私は「自分は他人に怒る資格とかない人間だ」と思ってるので怒れない。なんかもう、全部疲れた。早く何もかも全部やめたい。

感想1

経験談を書いてくださり、ありがとうございます。押し殺している自分と、周りの人から見える自分のギャップが大きいと、自分とは別の誰かの人生を生きている感覚になるのは、なんとなく想像がつきます。自分を責め続けていることに数日前に気づいた、ということですが、何かきっかけがあったのでしょうか?

母親はあなたの気持ちを押さえつけることによって、精神的に支配しようとしているように見えます。子どもを自分の思い通りにさせたくなってしまうような背景や圧力があったのではないかと推察します。幼少期からのこうした経験は、「過去が辛すぎて生きていける気がしない」と感じさせても不思議ではありません。家庭で感情を抑えて育ったら、家以外でもあまり感情を表現しようとしなくなるのではないでしょうか。それが周囲には「大人」のように見えたかもしれませんし、実際にあなたが早く身に付けた力もあったのかもしれませんが、「大人だ」と褒めるように言われても、自分の中で押し殺された感情を見ようとしてくれていないように感じて傷ついてしまいそうです。そのため、人を信じることが難しくなっていても、あなたのせいではないと思います。

親が社会的に(法的に)間違ったことをしていても、幼い子どもは気づかないだろうと思います。おそらく10歳未満くらいの子どもにとっては、自分とその身近にいる人(とくに親)の作り出す世界が「世界の全て」あるいは「世界の中心」であり、その世界の中で正しいこと・普通になっていることを「正しい」「普通」と認識しそうだからです。そして、長い間感情を抑えて生きてきたため、感情の一部が麻痺していて、今苦しいのに「苦しくない」と思っているのではないでしょうか。

まずは、怒りや苦しみ、悲しみなどネガティブな感情をそのまま表現していくことで、心身の奥底に押し殺されて溜まっていた塊のような何か(表現が適切でなければすみません。)を溶かしていけるのではないかと思いました。これからも死にトリで気持ちや考えを表現してもらえたらと思います。

感想2

母親の「わかっている」も、父親の「わかる」も、投稿者様にとっては「本当は何もわかってもらえていない」ことが痛切に感じ取れました。理解してもらうことができないという経験が自信を喪失させ、自分を責めることにつながっているのかなと思います。本当は投稿者様自身が感じていることが正しいはずなのに、それを外から規定されるのは違うのではないかと思います。

現状の苦しさを過去のせいにして慰められることを期待する下心は醜い、とありましたが、個人的にはそんなことないのではないかと思います。今苦しい思いがあるのは事実で、それを癒すことを求めるのは自然であり必要なのではないかと思います。だから、今回ここに投稿者様の思いを吐露していただけたのをうれしく思います。

こういったところで気持ちを出してみて、答えてもらって、というのが投稿者様の心を軽くする一助になればと思います。

【感想1】返信

感想を送っていただきありがとうございます。あと10年もしないうちに私を産んだ母親と同じ年齢になる今の私の想像としては、母親はきっと退屈だったんだと思います。それから、母親自身が幼少期を酷い家庭環境下で過ごしたことも何かしら関係があるかもしれません。退屈な状況と自分の親と同じになりたくないという母親の思いとが掛け合わさって、それが私にとっては『過干渉』だったのだろうと、今の私はそう思っています。実際どうだったのかはわかりませんが…。ネガティブな感情をそのまま表現することを認めてくださることは、私の心の拠り所になります。ありがとうございました。

【感想2】返信

感想を送っていただきありがとうございます。「本当は何もわかってもらえていない」ということを感じ取ってくださったんですね。それを理解してくださる方がいることが、私はとても嬉しいです。他にも温かい言葉を沢山送ってくださり、ありがとうございました。