プラスの意味で死にたい

愛知県.20歳.女


小さい頃から家庭では母からの精神的DVがあった。ただし、私ではなく、姉と父が対象だった。「お前らは障害があるからそんなこともできない。」「頭打って死んじまえ。」そんな暴言がよく飛び交っていた。

対して私には「頼れるのはあなたしかいない。」「大人なのはあなただけ。」という言葉が投げられていた。母にとって、それは愛情だったのかもしれない。姉や父に比べれば私は随分愛されていたのかもしれない。けれど、私はうまくその愛を受け取ることが出来なかった。
「私だって子どもなのに」「本当の私を見てよ」ずっとそう思ってた。それでも私は、それを言葉にはできなかった。お母さんにとって良い子どもじゃないと、姉たちのように、私も言葉のナイフで刺されてしまう。私にとって母に認められなくなることは、死ぬより怖いことだった。

 とはいっても私も、中学生の頃、少し反抗してみたことはあった。けれど思いっきりビンタをされて反抗心を徹底的に押さえつけられた。手紙やメールも勝手に内容を見る母で「やめて」と言ったこともあるが、「親子の間にプライバシーも何もない。」と言われ、反抗するのを諦めた。

 実は、私が苦手なのは母だけじゃなかった。精神的DVを受けている側の姉も父も苦手だった。父はいつもテレビばかりで子どもながらに自分に興味がないことを感じていたし、姉は一度家出して、そのくせ金に困り、借金をして、家に戻ってきた。私から見た姉と父は、母からひどいことを言われて可哀想な人であると同時に、私を苦しめている原因でもあるように思えた。
姉が家出をした時、母は完全に壊れていた。姉を探し出すのに全精力を注いで、いつもパソコンと向き合っていた。たまに私に話してくれたと思えば、それさえも姉の話で、正直、私ってなんなんだろうとすごく感じていた。結局母は私より姉の方が好きなんだなとさえ思っていた。
父も、姉が家出して壊れた母を見ないふりしていて、いつも母からの愚痴を聞くのは私の役割だった。苦しかった。だから、私は家族全員を恨んで、殺意さえ抱いていた。「姉を殺せば私だけを見てもらえる」「父が愚痴を聞かないから私だけこんな辛いんだ」「でもやっぱり母を殺すべきか」と思ったりもしたし、「家族を殺して、私も死んどこうかな」と思ったりもしていた。

 でも最近、母がメールや手紙を勝手に見なくなった。姉も就職をした。父も最近、母とウォーキングをしている。喜ばしい変化なはずだ。なのに、私はなぜか前より不安を感じている。自分だけ過去に置いてかれている気がする。私はまだあの時のことが許せていない。すごく苦しくて辛くてしんどかったのに、誰一人謝ってくれはしない。私はあの苦しかった時に取り残されている。進もうとしても、どうしても過去のことが気になってしまう。きっと、私の心が狭いだけなんだと思い、余計に死にたくなる。

 最近、私の殺意は完全に私に向いている。「私が死ねばもしかしたら家族は上手くいくのかもしれない。」「過去に取り残されて、前に進めない私なんて死ぬべきなんだ」そう思う。

先生に相談すると「距離を取りな」と言われる。家を出ることを勧められる。けれど私は過去に取り残されていて、未だ母に反抗するのが怖いため、絶対に無理だと思ってしまう。どうせ探されて終わりだ。だからといってずっとここにいても辛い。そう思うと私の逃げ道は死ぬことしかないようにも思える。私にとって死ぬことが自分を幸せにする一番の方法なのだ。「そんなことないよ」「家出ても良いんだよ」と言ってくれる人はすごくたくさんいる。「出たくなったらいつでも協力するよ」と言ってくれる人もいる。けれど私は、そんなこと思うことすら出来ない。家を出るより、母に従っておいた方が楽だと知っているから。姉が家出した時、母が警察やら探偵やらツイッターやらを使いまくって、姉の居場所を特定した、その一部始終を私は誰よりもそばで見ていたから。家を出たところで、何もできないと思ってしまう。親身になって、相談に乗ってくれて、協力までしてくれると言ってくれる人に対して、私が毎回思うことは、「何も知らないくせに」だ。「私の抱えてる怖さ何も知らないのに」そうやって思ってしまう。最低だ。私は性格まで汚くて醜い人間になってしまったと思う。でも、素直に、「家を出たい!助けて!」って飛び出していけるような元気は、もう私にはなかった。ひどく苦しかったのが過去だということも引っかかった。今更、家を出ても、母からすればなんでか分からないだろうし、過去のことなんか忘れろと言われてしまえば、終わりだ。証拠なんてないし、「そんなことしてない」と、事実が捻じ曲げられることは簡単に想像ができる。

もういいや。なんでも。
そんな思いだ。
私の悲しみや苦しみなんて切り捨てれば良いし、適当に家族の中で笑顔作って楽しそうにやってけば良いんでしょ。
投げやりだ。
もうよくわからない。誰を信じるべきで、どうするべきなのか。自分が何をしたいのかすらわからない。
空っぽだ。

 でも一つだけ言えることがある。
私は、プラスの意味で死にたいんだ。自分なんていらないから死にたいとかそんな気持ちよりも、自分を幸せにしたいから死にたいという気持ちの方がずっと強い。素敵なことじゃないか。自分を幸せにしたいんだよ。止めないでくれよ。なんでいけないんだよ。

私は今、幸せに向かおうとしている。幸せをつかもうとしている。それがたまたま「死」という方法だっただけで、それも立派な自立なんじゃないのか?
むしろ、それ以外の方法があるのなら教えてほしい。家を出たいという意思さえ持てない私が、それでもここから解放されたい私が、幸せになる方法はどこにあるの?そんな魔法が存在するような優しくて甘い世の中じゃないじゃん。救えるもんなら救ってよ!

…..

私が一番嫌いなのは、こんな私だ。周りのせいにして、世界のせいにして、現実を見ようとしない。自分の力で踏み出そうとしない。弱すぎて、気持ち悪い。
さっきは自分を幸せにするために死にたいと書いたけれど、こんな自分を変えるためにも死にたい。生まれ変わりたい。
「生きてたら良いことあるよ」とか言う人もいるけど、「じゃあこれから先にある良いこと全部放棄するので今の私から逃げさせてください。」と思う。
そんな自分も大嫌いだ。
それでも、
こんな私でも、
私は幸せになりたい。
だから死にたい。
これが今の私だ。

感想1

経験談「私にとって死ぬことが自分を幸せにする一番の方法なのだ」との文章を読み、言葉に言い表せない感情になりました。でも文章を読むと、いかにそれがあなたにとって妥当な結論であるのかが伝わってきました。経験談を読ませてもらうようになってから、「生きていたらいいことあるよ」が、いかに無責任で想像を放棄している発言なのかを思い知らされています。今この瞬間も苦しみや悲しみに生きている人間が、そう言われて「そうだよね」と思ったとしたら、かえって不自然です。

母親さんが家族に精神的DVをしていたのですね。もうご存知かもしれませんが、子どもの前でDVが行われることは面前DVといい、場合によっては心理的虐待とされることもあります。また、手紙やメールのチェックは社会的暴力といわれることがあります。そして、そういった行為が、何をしても無駄なんじゃないかというように、反抗する意思を奪うときがあります。なので、それだけのことがあれば過去の影響が今に続いていてもおかしくないように感じます。

そうやって考えていると、ますます死ぬことが幸せなのだということへの説得力が私の中で強くなってきました。ただ、その一方ですごく理不尽さを感じています。経験談のどこを読んでもあなたに非があるところは見つかりませんし、むしろ、計り知れないほどの努力があったのだろうと推測しています。そんなあなたが死ななければならない理由って、いったいなんなのでしょう。(こういう気持ちを向けられて、困ってしまうかもしれないと少し反省していますが、私個人の勝手な思いなので気にしないでください。)

個人的に、家族の中の問題を家族だけで解決するのはとても難しいと考えています。何十年も昔だったらわかりませんが、今の時代は家族一人一人に余裕がなく、親戚づきあいも希薄です。なので本当なら、こんな時代に合わせて家族を超えた地域や社会のつながりや仕組みをもって問題が解決されるべきなのでしょうが、そうなっていない現実があります。あなたの経験から、どんなことがあればほかの幸せがあったのか、思いつく範囲で教えていただきたいです。

家を出られない理由はとても理解ができますが、もし家を出ようと思ったときにはご連絡ください。なにかお手伝いできることがないか、一緒に考えたいです。

感想2

経験談を送ってくださり、ありがとうございます。今のあなたにとって、幸せとは逃げ出すことであり、逃げ出す手段は死ぬことしかない、だから「幸せになるために死にたい」ということだろうと解釈しました。どのような状態になれば「幸せになれた(=逃げだせた)」ことになるのか気になっています。

私は、「逃げ出せた」状態になる条件の一つは、「過去の苦しみを他人に理解されること」ではないかと思いました。私自身の感覚では、過去の苦しみを他人に理解されると、過去の苦しみの一部が自分の手を離れて共有のものになります。すると、「自分の過去」でしかなかったものが、「自分たちの経験してきた事実」であり、「自分たちを今も苦しめているもと」になります。

これまで理解してくれる人に出会えなかったとしたら、誰かに理解されるイメージがつかないかもしれません。

家を出て自立するために、「家出する意思」を求められ、いざ家出しようとしても「安全な家出」を支える制度も資源もないという現状はかなり酷だと思います。「家出」をする意思を持たなくても、家を離れることはできると思います。新しい土地で新しい自分に生まれ変わるようなつもりで「移住」する、そのついでに今までの家とは縁を切って来る、という方法も一つかと思いました。探されても場所を特定されないようにするには、すぐに住所変更の届出をしない(するなら行き先とは別の住所を書く)などのポイントがあります。

また、家庭として健全に機能していない家庭で育ってこられたのではないかと思いました。家族にされてきたことは精神的な虐待と言えると、私は思いました。「母親にとって良い子でなければ認められない」という圧力は、ときに直接的な暴言よりも、深刻で長期的なダメージを与えると思います。

ところが、今の社会では精神的な虐待の環境下にいる若者への理解も適切な支えもほとんどありません。こんな社会環境では「周りのせい、世界のせい」で死にたいと思うのは最もだと思います。

また、他の家族より敏感な感性を持っているのかもしれません。敏感さは今苦しさを感じさせているかもしれませんが、社会の中の誰かにとって必要で貴重な感性だと思います。たしかに、この世界に魔法はありません。それでも一緒にこの世界を変えていきたい、もっとお話を聞きたいと私は思いました。

~感想を読んでのお返事~

(感想1を読んで)
まず、死ぬことが私にとって一番の幸せだという考えを理解してくださって、ありがとうございます。自分の思いがちゃんと届いて、嬉しかったです。
どうして私が死ななきゃいけないんだという理不尽さに関しては、全く感じたことがなかったので、そんな考えもあるんだなと気づかされました。

また、どんなことがあれば他の幸せがあったかに関してですが、私は正直、あまり考えつきません。
けれど、出来るだけ早い段階で、私の家で起きている虐待を見つけて、無理やりでも家族から引き離して欲しかったと思います。今になって、虐待だったと気付いても、反抗心が完全に押さえつけられてしまった後だし、家を出るためには自分の意思を持つ必要があるので、なかなか辛く、難しいというのが現状です。

今、どこかに、私と同じような経験をしている子どもがいるなら、出来るだけ精神的な支配が進む前に、周りの大人が引き離してあげてほしいなと思います。
また、定期的に会って、話を聞いてもらうだけでも、だいぶ違うと思います。
学校の先生に話すには、「相談があるんですけど」と自分から話に行く必要があるし、友達に話すには、重すぎる内容だし、カウンセラーの先生は緊張してなかなかうまく話せないという難しさを私は今でも感じています。
もっとカフェとかで、気軽に話せるような、友達のような、大人がいてくれたら良いなと最近よく思っています。

(感想2を読んで)
「過去の苦しみを他人に理解されること」が、「逃げだせた」につながるということは考えたことがありませんでした。私はとにかく、死ぬしか手段がないと思ってきましたが、他人に話して理解してもらうことなら、出来るかもしれないなと思います。ただ、周りに気軽に話せる人がなかなかいないので、話せる人を作るところから始めなければならないなと思いました。

また、私は自分で何かしようとする時、必ず、「いや、無理でしょ。母いるし」と思ってしまいます。「家出」をするにしても、「移住」をするにしても、もっと自分の意思を持つ必要があると思いました。私は、現実的に見て、出来ることでさえ、「私には無理だ」と思ってしまいます。それこそが、母の心理的DVで受けた心の傷なんだろうなと実感しています。本当に難しすぎる傷が残ってしまいました。「家を出て、解放されたい」と言うくせに、「こんな方法があるよ。」と紹介されると、「いや無理」となってしまう。自分でも、その矛盾にイライラします。

最近、虐待の報告件数は上がっていますが、それは周りから見て分かりやすい虐待の場合に限ると思います。お金もあって、物も買ってもらえて、世話もしてもらえていると、なかなかその家に起きている複雑な事情は発見されません。どうにか、発見されやすい虐待に埋もれている虐待も、発見されるような時代にならないものかと願っているのですが、プライバシーなどの関係で家庭という環境がどんどん閉ざされた空間になっている今、なかなか難しいんだろうなとも思います。
感想を送ってくださり、ありがとうございます。嬉しかったです。