愛してほしい

大阪府/56歳/女性


あれは女子から無視が始まり勘違いした父が引っ越しを提案しあれよと言う間に引っ越しして新しい学校に行く事になった時の事。

女子無視の件で学校側が検討してくれ学年が変わって学校に行く事が出来ていた。無視グループから完全に離れまたお世話係り的な子に事情説明して此れから助けてあげてくれとお願いしてくれたみたいで始業式から積極的に話し掛けてくれまた色んな事をリードしてくれた子が出来て学校生活は楽しく過ごせてました。

ただ私の行ないと父の事が噂になっており「この家は嫌だ。何処か引っ越ししたい」と訴えた事実は有りました。私はこの家=父の側が嫌だ。と訴えたつもりでした。転校など考えていなかった。父は私と話し合いはせずに引っ越し先として提案した場所。それは噂になっていた相手。スナックのママさんの家(文化住宅)の上の部屋を借り家財道具一式を揃え「此処で良いやろう」と言い反論出来る状況じゃなく仕方無しに了承したら転校となりました。私は電車通学が出来ると考えてましたがそれは叶わなく転校となりました。私は転校する気等一切無いのに父の早合点とママさんの側に引っ越したい気持ちが一致して引っ越しとなりました。

私は転校する気が無かったので新しい学校に1日だけ出席して後は一切出席しませんでした。自宅学習や塾の提案が無かったので私は自分の趣味である読書に没頭し勉強をしなくなってました。そんな状態で受験は出来ず中卒で学業を終えました。その後は今は言葉がある所謂プータローになってました。

そんな時に姉から「私なぁあんたさえ産まれてけえへんかったら高校行けてんで。ほんま勿体無い」と言われた時は「私は産んでくれと頼んだ覚えは無い。そんな事私に言われても仕方無い。文句があるなら父に言え」と内心叫んでました。謝る事しか出来なかったが話し合う事をしなかった父を責めず私を責めました。

私もこれだけ父、姉、兄から要らぬ存在と言われた時は途方に暮れました。私は何処に産まれて来れば良かったのだろう。と何時も思ってます。
私がつくったつもりの家庭でも要らぬ存在とされ今は1人暮らしで過ごしてます。
私は何処に産まれて来れば良かったのでしょう。

感想1

「要らぬ存在」と家族に言われながら日々を過ごしていたら、自分の中でもその言葉が染みついて洗脳のようにご自身についてもそう感じてしまうのでは…と思います。そして今、家族から離れ、おひとりで生活することを選択されたことによって過去のことや自分自身について考える時間が増えているのではないかと思います。家族、または家庭が自分にとって心地よいものではない場合、それはだれにとっても一緒に時間や空間を過ごす価値がないので、離れるという選択は賢明だったと思います。

どこに産まれてくればよかったのでしょう…私なりに考えてみました。幼少期の傷を大人になってから癒していくのは時間がかかるので、産まれた家に対してそのように思ってしまうのは当然だと思いました。ですがあなたには父親に対しての怒り、兄弟に対して内心の叫び、があるのであれば、せっかく離れて暮らしているわけですし、内心にとどめておくと、心の中にずっと留まってしまいそうなので、相手がどう反応してくるかはわかりませんが、内心にあるものをぶつけてしまうのも手ではないかと思いました。それがもしかしたら産まれてきた家を多少なりとも赦せるきっかけになったり、あるいは家族、という形でなくとも、これから先あなたの存在を認めてくれる場所や人に出逢うきっかけになるかもしれない、と、きれいごとに聞こえてしまうかもしれないですが思いました。

「人は産まれてくる人や場所は選べないが、どこで誰と、何者として生きるかは、自分で選ぶことができる」というネイティブアメリカンの言葉を思い出しました。

感想2

自分の望まない方向に大人が動き、引っ越しすることを余儀なくされたのですね。私も小さいときに何度も引っ越しを経験したので、引っ越しに伴う心理的・社会的なダメージは少し想像できます。本来であれば、自分の住みたい場所や行きたい学校は自分で選べるべきであるのに、そうならないばかりか、他者の都合で勝手に決められてしまう現実があります。もともと自分の意志で生まれてくるわけではない子どもが、どうすれば自分の意志で自身のことを決められるように保障できるのか、一緒に考えたいなと思いました。

感想3

再び経験談を送っていただき、ありがとうございます。まず、この家は嫌だから引っ越したいと訴えたり、文句があるなら父に言えと内心叫んだりしていた、ということから、内面の強さを感じました。反論の余地もなく、父親に言われるがまま転校させられたら、自分の内面を見失ったりもしそうですが、あなたは心の中で、こんな扱いは嫌だ、理不尽だ、と叫び続けていたのではないでしょうか。

私は、全ての子どもが、この家で過ごすのは嫌だと思ったときに、親と離れて、他の場所へ引っ越しするという選択肢が認められるべきだと思っています。しかし、現在の制度では、児童相談所以外に行けるところがほぼありません。子どもの意見を聞く仕組みもできていないと思います。引っ越したいと思ったときに、どんな場所に行けたらよかったと思いますか?もし親以外の大人が、話を聞いて、引っ越し先を選ぶのを手伝ってくれたらどうでしょうか?ぜひあなたのアイデアを教えてください。

返信

姉・兄にとって家族はお互いだけが家族として認識していたのだろうなぁ。とピースが嵌る処が感じられる事が有りました。姉・兄はお互いだけが家族だったのだろうなぁと推測出来る事が思い返してみたら多々有りました。2人だけはお互い連絡を取り合っていた処も有りました。2人にとって家族とはお互いだけで父・母・次兄・私は家族じゃ無かった事を感じられるのは度々でした。
私を含め6人家族でしたが2人にとって家族とはお互いだけな雰囲気を醸し出してました。何故かは分かりません。また分かろうとも思いません。今更姉・兄にこの気持ちをぶつけても多分理解不能だろう。と思ってます。

望む所に産まれて来れない。しかし自分で選ぶ事は沢山有る。
この言葉は私にも記憶が有ります。ぐだぐだと悩める環境はこの国が平和だからだと思います。弾丸飛び交う日常や食事は疎か水さえ不自由した事が無い者の贅沢な悩みです。

それでも虚しさは感じます。
また私の様に家族から要らぬ存在として忌むべき存在とされる人も沢山居てると思います。

今は日本ではDVに拠る被害者が掛け込めるシェルターが出来てます。が子どもにもシェルターは必要だと思います。大人でも目に入るDVに於いてはシェルターが有ります。ですが精神的DVに於いては無いと認識して居ます。大人でも子どもでも精神的苦痛を感じたら逃げ込めるシェルターの必要性は大きく有ります。

子どもは虐待死で取り沙汰される事が増えました、そんな子ども達が自らの意思で逃げ込めるシェルターの設置・運営・継続支援出来る制度を設けるべきと思います。また目に見える虐待だけじゃ無く精神的虐待に於いても同じ制度を設けるべきと思い至ります。

私には母からだけは愛されていた記憶が有るから今迄生きて来れました。1度も愛されていた記憶が無い者にとって生きる術が見つけられません。他者でも良いんです。誰かに愛されている・いた記憶は大事です。愛情を知らず育っても恋人が出来たら良いと思います。がそんな事も知らず生きる事は中々に辛いものが有ります。母から愛されていた記憶が慰みになってます。恋人から愛されていた記憶は無くても母からの記憶だけでも充分です。

人は自分以外の誰かに愛されていた記憶だけは必要です。

生きるのに生死が保証される国では愛情が必要です。

愛情から取りこぼされた人達を救済される制度も必要です。

生死が保証される国では精神の生死も保証される国で在るべきと考えます。

愛情を感じられて居たら悲惨な事件は起きなかったのではと考える様になりました。

犯人を擁護している事になりますが犯人の背景を見たら愛情が無く生きて来たんだろうなぁと思いました。この国から犯罪を失くす事は難しい事ですが愛情が有れば減るのでは無いかと考える事が増えました。
この国に産まれて来たならば生死が平等で在るべきとするならば愛情も平等で在るべきと考えます。制度を変える事は大変ですが一考すべき問題と考えます。